したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

鉄鋼・非鉄金属スレッド

1荷主研究者:2003/12/07(日) 00:12
「鉄は国家なり」とは古い言葉だが、新日鐵やJFEをはじめ日本企業が世界の大手を占めている。特殊鋼や非鉄金属もユニークな企業が多い。そんな鉄鋼・非鉄金属・金属製品産業の総合スレッド。

社団法人日本鉄鋼連盟
http://www.jisf.or.jp/

社団法人日本アルミニウム協会
http://www.aluminum.or.jp/

社団法人日本電線工業会
http://www.jcma.jp/

1998とはずがたり:2018/12/25(火) 00:40:50

148 名前:とはずがたり[] 投稿日:2012/12/29(土) 12:41:48

工場別硫酸生産実績(昭和26年)
http://butsuryu.web.fc2.com/ryusan-00.html

149 名前:荷主研究者[] 投稿日:2012/12/30(日) 01:54:00
>148
また随分と古いデータを纏めたねぇ…。

この表の工場の内、今も硫酸製造を続けているのはどのくらいだろうか。
既に存在しない工場も多いし、高度経済成長期に設立された共同出資の製錬所(例、八戸製錬・秋田製錬・小名浜製錬・日比共同製錬)がまだ存在しない時代だしねぇ…。

それと一応、表紙の「3 日本の化成品物流」にリンクさせておいたでね。

150 名前:とはずがたり[] 投稿日:2012/12/30(日) 07:22:43

古い数字なのはとりま『東北の地下資源と産業振興絡み』で纏めたもんだもんで。。

151 名前:とはずがたり[] 投稿日:2012/12/30(日) 07:52:07
因みに,日比は後の三井金属鉱業である神岡鉱業の日比があるでそれが日比共同製錬に移行したじゃないかやぁ。

小名浜は今では工業が集積している印象だけえが,小名浜臨港鉄道の経営を託されたのが日本水素だったことから,今ではどちらかというと地味な当時は日本水素位しかなかっただかねぇ。

152 名前:とはずがたり[] 投稿日:2012/12/31(月) 20:56:43

『東北の地下資源と産業振興』を読む(硫化鉱篇)

第三 硫化鉱系統

当時の日本はスペインと並ぶ硫化鉱輸出国。S26の日本の硫化精鉱の産出量は2,369,932tであるが東北7県の産出量は1,134,169tでその約半分を占める。

硫化鉱はそれを原料とする硫酸が広汎な分野に亘る。从って,我が国としては貴重な地下資源である。
しかし,硫化鉱の製品たる硫酸は中間製品として各種の工業原料となる無機化学工業製品であって最終消費に宛てられるものではない。しかも硫化鉱の輸送の方が硫酸よりも容易なため硫酸を原料として消費する化学肥料工場・精錬所等では原鉱石の侭入手して硫酸を製造している。从って,硫化鉱以外の立地諸条件が重視され工場立地吸引力に乏しい。

硫化鉱生産量の半分を占める東北であるが硫酸生産は1割強である。

1999とはずがたり:2018/12/25(火) 00:41:04

硫化鉱鉱山
1級
岡山県棚原(確定鉱量9,611,826t)・岩手県松尾(推定鉱量360万t)・別子・日立

それに次ぐもの
上北・紀州・槇峯・花岡・白滝・田老・宝・諏訪・飯盛・花輪・細倉・尾去沢

岩手(松尾・田老)・秋田(花岡・花輪・尾去沢)・青森(上北・大揚)の3県にまたがる地帯は日本第一の硫化鉱資源地


東北産硫化鉱の需要先
北海道の硫安工場
・東洋高圧砂川工場
関東・北陸・近畿・九州の硫安及び過燐酸石灰工場
・昭和電工川崎工場
・日産化学王子工場(須賀)
・日産化学富山工場
・別府化学別府工場
・旭化成延岡工場
その他
・三菱金属工業直島工場
・八幡製鉄所

『硫酸手帳』を出典とする工場別硫酸生産実績なる表が載っている。(p80)
http://butsuryu.web.fc2.com/ryusan-00.html

硫安工業

隘路として渇水時の電力制限,港湾の未整備など

ただし当時,国内の有効需要を満たしかつ西独の硫硝安との競争によりアジア市場でも伸び悩み滞貨を有するに至っている。

III.東北地方に硫化鉱利用工業を振興する可能性について
(1) 将来に於ける硫化鉱需要転換の問題
当時の日本の硫化鉱は専ら化学肥料に80%利用,英米は38〜44%。

(2) 東北地方に於ける硫化鉱利用工業振興の可能性
チタン白及びチタニューム工業に触れている。
また南方の石油精製用として硫酸を送り,返り荷として石油を輸入する構想もある。

153 名前:とはずがたり[] 投稿日:2012/12/31(月) 22:07:12

『東北の地下資源と産業振興』を読む(硫黄篇)
第十一 硫黄系統

原油精製過程の副産物として安価・大量に出回ることになり硫黄の鉱物としての命脈は絶たれたと云って良いが昭和20年代後半は未だエネルギー革命以前であり,硫黄にも一章割かれている。

日本はアメリカ・イタリア・イスパニアと並ぶ世界の一大硫黄資源国とのこと。
昭和26暦年に於ける硫黄精鉱の産出量は633,880tであったがその内東北7県の産出量は377,791tと全国の約6割を占めていた。本邦の主要鉱山は北海道幌別・岩手県松尾・山形県西吾妻,蔵王・福島県沼尻・長野県小串など

但し硫黄は硫化鉱と同じく工業立地因子として工場の吸引力の弱い資源。
その用途は主に(繊維用途の)二硫化炭素及びパルプ原料であるが,二硫化はそれを原料とする化学繊維工場の付属設備又は下請け工場に於いて生産されるのが普通である。

硫黄は硫化鉱と同じく鉱石の侭で輸送する方が容易且つ有利である為,山元で昇華精錬したものが需要先工場へ直送されている。

本書調査に拠れば東北の地元での消費率は約14%に過ぎない。また仙台通産局調によれば昭和26暦年に於ける東北6県より東北7県への出荷量は24%。

2000とはずがたり:2018/12/25(火) 00:41:40
>>1998-2000
東北硫黄の主な出荷先
パルプ工場
東北パルプ秋田(新屋),石巻(石巻港),北越製紙(焼島),十條製紙八代(八代),伏木(伏木),坂本(肥薩線坂本?),興国人絹富山,山陽パルプ岩国(岩国),国策パルプ旭川(新旭川)

二硫化工場
日東紡福島(南福島),中国産業(?),東京セロファン紙喜多方(→東京と浜松[天竜川のソーダニッカに]の自社工場)

化学薬品工場
大内新興化学工業(須賀川・現在でも安治川口→郡山タで二硫化炭素輸送ttp://butsuryu.web.fc2.com/shiyu-container_tank02.html#ut7c-5010を行っている。)・三笠化学甘木・日本化学福山

農薬工場
全国農協大船・庵原農薬清水

山元価格3万 秋田での工場著値段は30,685円で延岡だと32,732円

二硫化炭素工業
昭和27年当時の地域別生産量は,中国8工場,近畿7工場が集中していてこの両地域で全国生産量の2/3を占めている。

東北7県 6,538
関東・信越 1,608
近畿 12,821
中国 29,660
四国 6,755
九州 6,048

紙パルプ
パルプ工業は硫黄の消費に於いては二硫化炭素に次ぐものであるが,その原料構成に於いて硫黄の占める割合は少ない。
パルプ工業の立地は原木産地及び製品の消費市場に近いこと。

154 名前:とはずがたり[] 投稿日:2013/01/02(水) 11:07:49

二硫化炭素の大手メーカー四国化成工業の社史(『四国化成五十年史』四国化成工業(株)社史編纂室 1997年)に拠ると戦中から昭和20年代の硫黄流通の様子が判って面白い。

同書によると以下の如し。
>世界有数の火山国である日本は硫黄資源に恵まれ,戦前の一時期には海外への輸出も盛んに行われていた。しかし太平洋戦争の進展にともなって平和産業である化繊産業は極めて不遇の地位に置かれ,その影響を受けて硫黄産業の操業も全面的に制約された。1944(昭和19)年には政府の企業整備令によって40数山あった硫黄鉱山は7社9鉱山に整理され,生産高も終戦翌年の46年には2万2,145tと,最盛時37(昭和12)年の24万tの10分の1以下にまで落ち込んでいた。
>一方,需要産業である化繊や紙・パルプの業界は,戦後の需要復興の波に乗って急速に生産を伸ばした。その結果,"黄色いダイヤ""硫黄飢饉"と形容されたように,硫黄は貴重品と化した。需要者(二硫化炭素メーカーを含めて)は硫黄会社や山元に殺到し,激烈な争奪戦を展開した。まだ出来立ての硫黄を需要者差し回しのトラックが先を争って運び出すという騒ぎで,もはや山元(鉱山)在庫も消費者在庫もなく,生産即消費という状況が続いた。
>硫黄は戦時中から引き続き統制下にあり,公定価格が定められていたが,諸物価の高騰とともにしばしば改定された。46年には980円/t(売手指定置き場渡し)であったのが48年には13,280円/t(バラ買手工場貨車乗せまたは本船渡し)と実質12倍になったが,品不足を反映してヤミ値はその2〜3倍が常識だった。このため需要者は硫黄鉱区があると聞くと直ちに現場も見ずに開発資金を出し,またそれに付け込むニワカ山師の跳梁により,手痛い損害を受けた話も数多く残されている。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板