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鉄鋼・非鉄金属スレッド

1荷主研究者:2003/12/07(日) 00:12
「鉄は国家なり」とは古い言葉だが、新日鐵やJFEをはじめ日本企業が世界の大手を占めている。特殊鋼や非鉄金属もユニークな企業が多い。そんな鉄鋼・非鉄金属・金属製品産業の総合スレッド。

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1624とはずがたり:2017/01/10(火) 16:12:32
>本津さんによると、当時の国鉄山陰線から支線を引き込む計画があり

>良質な固結砂鉄は今眠る

零戦・隼のエンジンにも使われた?…「鉄の国・島根」の久村鉱山跡が70年ぶりによみがえる
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/sankei-wst1701100007
08:34産経新聞

 戦時中、軍用機のエンジン製造に必要な特殊鋼材の原料となる鉄精鉱を供給した、島根県出雲市の「久村鉱山」跡が約70年ぶりにその姿を現した。県埋蔵文化財調査センターが、鉱山中枢部の選鉱場関連施設を発掘調査。操業期間は3年足らずだったが、良質の「固結(こけつ)砂鉄」から月400?500トンの鉄精鉱を生産。“鉄の国・島根”らしい近代産業遺産であり、「鉄鋼増産」という国策が生んだ貴重な戦争遺跡ともいえる。

「全国初の発掘調査例」

 久村鉱山は「日立製作所安来工場」(同県安来市、現日立金属安来工場)が軍部の鉄鋼増産命令に応えて太平洋戦争開戦前の昭和15年、開発に着手。17年11月に本格操業したが、20年8月の終戦と同時に稼働を停止。24年には国から閉鎖処分指令を受け、その短い歴史に幕を下ろした。

 施設はその後、撤去。残った部分も雑木林に覆われるなどして地元住民の記憶から消えていった遺構に、同センターが再び光を当てた。山陰道・湖陵多伎道路の建設予定地に当たる一帯1400平方メートルを、昨秋から発掘調査した。

 この結果、山腹に張り付くコンクリートの基礎構造を検出。上から順に、採掘された固結砂鉄を粗割りする「粗鉱舎」、それを細かく砕く「粉鉱舎」、砕いた鉱石を搬出する「精鉱舎」があったという。標高約70メートルの山上には貯水槽や変電施設などの基礎構造が残っていた。選鉱作業に、電力や水が必要だったそうだ。

 同センターの仁木聡企画員は「固結砂鉄という特殊な鉱石の選鉱場としては、全国初の発掘調査例。選鉱工程を詳しく知る手がかりになる」と期待する。

戦時航空機メーカー全需要の過半占める

 当地は、中国山地から出て日本海に堆積し、1400万年前に形成された砂鉄の層が隆起して鉱山となったとみられる。「鉄の含有率は山砂鉄が数%だったのに対し、当地の固結砂鉄は約25%と、極めて良質だったようだ」と仁木さん。

 日立金属安来工場が発刊した「安来工場100年の歩み」によると、開発時には固結砂鉄の埋蔵量を100万トンと推定。「航空機用エンジンの主要材料の耐熱鋼材、プロペラリング、バルブ等の供給は戦時航空機メーカー全需要の過半を占める」との記述もあった。

 仁木さんは「久村鉱山の鉄精鉱は安来工場の約1割を賄っていたという話もあり、零戦や隼などの軍用機エンジンの一定量は、久村鉱山が支えていたといえそうだ」と話す。

良質な固結砂鉄は今眠る

 かつて鉱山で働いていた本津弘巳さん(91)が今も鉱山跡近くに住む。

 「採掘場は男の世界で、女性職員の多かった選鉱場は華やかに見えた。常に憲兵が複数いて厳しい職場だったが、機械掘りも教えてもらい、よく働いた。採掘以外に測量や鉱石の分析作業にも携わり、私は若手のホープだったんだよ」

 本津さんによると、当時の国鉄山陰線から支線を引き込む計画があり、鉱山周辺の田畑は採掘で出る廃棄物や砂などで埋め、社宅を建てる構想だったという。本津さんは昭和19年に出征。終戦後に戻ると、鉱山はすでに閉鎖されていた。

 かつて、「たたら製鉄」で全国の鉄生産の半分を占めた島根。戦時中に花開きかけた壮大な構想は、終戦とともにしぼんでしまったが、良質な固結砂鉄は今も久村の地に眠り続ける。

1625とはずがたり:2017/01/10(火) 16:13:30

[PDF]久村鉱山跡の位置 - www3.pref.shimane.jp_島根県
http://www3.pref.shimane.jp/houdou/files/BA8D51FB-E239-4BF5-975E-7B854DA2B39A.pdf

1626とはずがたり:2017/01/10(火) 16:14:34
>>1624-1626

島根)出雲の久村鉱山跡、選鉱場など位置確認
http://www.asahi.com/articles/ASJDH3R4NJDHPTIB007.html
井潟克弘2016年12月19日03時00分

 出雲市多伎町久村(くむら)の久村鉱山跡で、鉱石をえり分ける選鉱場など主要な施設の位置がわかった。この鉱山は戦時中、軍の航空機用の特殊鋼材に使う砂鉄を採掘しており、発表した県埋蔵文化財調査センターの担当者は「鉄鋼増産の国策として操業していた当時の状況を知る貴重な近代遺跡」と話す。

 この鉱山は、海軍から鉄鋼増産の命令を受けた日立製作所安来工場(当時)が1940年から開発を始めた。採掘した砂鉄は耐熱性に優れ、主に航空機のエンジン部分の原料として使われたという。最盛期の44年ごろは採掘と選鉱に約200人が従事し、月産400〜500トンの精鉱を生産した。敗戦と同時に操業停止となり、49年に閉山した。

 国道9号(湖陵多伎道路)の改築工事に伴い、今年9月から発掘調査を始めた。選鉱場など主要施設があった場所を中心に約1400平方メートルを調査し、選鉱場に加えて、貯水槽や変電施設、ポンプ場などの位置関係も確認された。採掘から選鉱までの工程を具体的に知る手がかりになるという。(井潟克弘)


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