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鉄鋼・非鉄金属スレッド

1264荷主研究者:2014/04/06(日) 12:36:39
>>1263
http://www.at-s.com/news/detail/976982573.html
2014/3/26 14:45 静岡新聞
アルミ製錬、終焉惜しむ声 日本軽金属蒲原製造所

国内最後のアルミ製錬拠点となった日本軽金属蒲原製造所の電解工場。31日で70年以上にわたる歴史に幕を閉じる=静岡市清水区蒲原

 日本軽金属蒲原製造所(静岡市清水区)は31日を最後に、アルミ電解事業を終える。アルミ加工や開発拠点などは、変わらずに存続するものの、かつて「企業城下町」の一時代を築いたアルミ電解事業。終焉(しゅうえん)を惜しむ声が、蒲原地区の住民や同社OBから聞こえてくる。

 蒲原製造所はアルミ原料を電気分解して製錬する工場として、1940年に操業を始めた。戦後の高度成長期に事業規模を拡大し、67年には年間約11万トンの生産能力を持つ世界有数の工場となった。

 当時、蒲原製造所では約2千人の従業員のうち7割以上が製錬業務に携わっていた。52年から同製造所の近くで酒販店を開く「銘酒 市川」の市川祐一郎さん(53)は、「製造所の周辺を社員寮が囲み、多くの従業員が住み込んでいた。旧蒲原町の東部は日本軽金属の企業城下町だった」と当時を懐かしむ。

 しかし、「電気の塊」とも呼ばれるほど、大量の電力を使う製錬事業は、電気料金の高騰を招いた2度のオイルショックを経て、取り巻く状況が一変した。国内の製錬各社は軒並み生産能力を削減し、工場を休止するなどした。

 87年以降は、富士川沿いに6カ所ある自前の水力発電施設で電力を調達できる蒲原製造所が国内で唯一、生産を続けてきた。しかし、生産量は減り続け、2012年度はピーク時の3%程度まで落ち込んだ。

 国内最後のアルミ製錬事業に携わった従業員約20人は、4月から蒲原製造所内の別部門に従事する。68年に入社した同製造所元所長の田島弘二さん(70)=同区蒲原=は「蒲原といえばアルミの電解、製錬の工場だった。一時代の火がとうとうついえた」と撤退を惜しんだ。


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