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鉄鋼・非鉄金属スレッド

1荷主研究者:2003/12/07(日) 00:12
「鉄は国家なり」とは古い言葉だが、新日鐵やJFEをはじめ日本企業が世界の大手を占めている。特殊鋼や非鉄金属もユニークな企業が多い。そんな鉄鋼・非鉄金属・金属製品産業の総合スレッド。

社団法人日本鉄鋼連盟
http://www.jisf.or.jp/

社団法人日本アルミニウム協会
http://www.aluminum.or.jp/

社団法人日本電線工業会
http://www.jcma.jp/

1263荷主研究者:2014/04/06(日) 12:07:37
>>1252
http://www.at-s.com/news/detail/973647632.html
2014/3/16 08:07 静岡新聞
アルミ製錬から撤退 日軽金蒲原製造所

アルミ地金の生産から撤退する日本軽金属蒲原製造所=静岡市清水区蒲原

 日本軽金属は、3月末で蒲原製造所(静岡市清水区)でアルミ地金を製錬する「アルミ電解事業」から撤退するとこのほど発表した。同製造所での他の事業部門は継続する。

 アルミ原料を電気分解して製錬する国内唯一の工場だった。電解炉や付帯設備が老朽化し、設備更新に多額の費用が見込まれることから事業継続を断念した。

 同製造所での製錬事業は1940年10月操業。アルミ製錬は電力を多く使うことから、2度のオイルショックを受けて製錬各社が生産能力を削減した。その中にあって、87年以降は、自前の水力発電を有する蒲原製造所だけが継続していた。

 蒲原で生産されるアルミ地金は純度が非常に高いのが特徴で、主に電機・電子分野向け製品の材料として使用されていた。生産能力は年7千トン。現在は約20人が従事する。2013年度の地金生産見込みは2600トン。事業終了後は、輸入地金を活用し、従来通り製品供給を続ける。

 31日に電解炉の操業を終了し、4月から解体、撤去作業に取りかかる。

 蒲原製造所でアルミ成形の関連部門で働く男性従業員(22)は「アルミ地金の生産に興味を持って入社した。国内唯一の製錬工場がなくなるのは寂しい」と残念がった。

1264荷主研究者:2014/04/06(日) 12:36:39
>>1263
http://www.at-s.com/news/detail/976982573.html
2014/3/26 14:45 静岡新聞
アルミ製錬、終焉惜しむ声 日本軽金属蒲原製造所

国内最後のアルミ製錬拠点となった日本軽金属蒲原製造所の電解工場。31日で70年以上にわたる歴史に幕を閉じる=静岡市清水区蒲原

 日本軽金属蒲原製造所(静岡市清水区)は31日を最後に、アルミ電解事業を終える。アルミ加工や開発拠点などは、変わらずに存続するものの、かつて「企業城下町」の一時代を築いたアルミ電解事業。終焉(しゅうえん)を惜しむ声が、蒲原地区の住民や同社OBから聞こえてくる。

 蒲原製造所はアルミ原料を電気分解して製錬する工場として、1940年に操業を始めた。戦後の高度成長期に事業規模を拡大し、67年には年間約11万トンの生産能力を持つ世界有数の工場となった。

 当時、蒲原製造所では約2千人の従業員のうち7割以上が製錬業務に携わっていた。52年から同製造所の近くで酒販店を開く「銘酒 市川」の市川祐一郎さん(53)は、「製造所の周辺を社員寮が囲み、多くの従業員が住み込んでいた。旧蒲原町の東部は日本軽金属の企業城下町だった」と当時を懐かしむ。

 しかし、「電気の塊」とも呼ばれるほど、大量の電力を使う製錬事業は、電気料金の高騰を招いた2度のオイルショックを経て、取り巻く状況が一変した。国内の製錬各社は軒並み生産能力を削減し、工場を休止するなどした。

 87年以降は、富士川沿いに6カ所ある自前の水力発電施設で電力を調達できる蒲原製造所が国内で唯一、生産を続けてきた。しかし、生産量は減り続け、2012年度はピーク時の3%程度まで落ち込んだ。

 国内最後のアルミ製錬事業に携わった従業員約20人は、4月から蒲原製造所内の別部門に従事する。68年に入社した同製造所元所長の田島弘二さん(70)=同区蒲原=は「蒲原といえばアルミの電解、製錬の工場だった。一時代の火がとうとうついえた」と撤退を惜しんだ。


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