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製紙産業スレッド

368荷主研究者:2010/04/10(土) 17:03:38

http://www.shizushin.com/news/local/central/20100401000000000023.htm
2010/04/01 静岡新聞
「東海パルプ」の名に幕 合併で「特種東海製紙」へ

 島田市最大の企業、東海パルプは31日、同市向島町の正門前の看板を、「特種東海製紙」に改めた。同社は製紙業界再編のうねりの中、合併により1日から、新社名でスタート(正式には6月の株主総会後)を切る。段ボールやタオルペーパー製造などの事業は従来通り継続するが、60年にわたって親しまれた「パルプ」の名がなくなることに、関係者や市民は一抹の寂しさを募らせた。

 「発展のためとはいえ、やっぱり寂しいね」とかみしめるのは、四十数年東海パルプに勤務し、工場長や副社長を務めた伊藤孝さん(68)。高度成長期の1970年代初め、米国に何度も足を運び、日本ではなじみの薄かった調理場用タオルペーパーの生産技術習得に苦心した経験を振り返った。機械設備が整わず、生産能力は米社の1000分の1。それでも「営業の連中が足で稼ぎ、北海道や九州の飲み屋にまで普及するなど国内市場を開拓した」と懐かしんだ。

 東海パルプの前身は、後に男爵となった大倉喜八郎が1907年(明治40年)に創立した東海紙料。大井川の豊富な水資源と自社で手掛けた水力発電、上流部の木材を活用し、パルプ生産を始めた。戦時中は軍需産業の一翼を担って木製航空機部品も造ったが、1951年に社名を東海パルプに変更したころは米袋や肥料用袋などのクラフト紙生産が主力となった。

 「島田のパルプ」を象徴するのが島田駅西側の広大な敷地と高さ100メートルの巨大煙突。特に、かつての煙突は旧島田市歌に「産業の煙の旗は…」と登場したほどの存在感だった。半面、臭気などが住民の生活を圧迫し、「パルプは島田から出て行けと言われた時期もあった」との声も漏れる。

 パルプで30年以上にわたって環境対策に奮闘した元環境保全部長の村上久雄さん(64)は「住民の皆さんの理解のおかげでやってこれた」としみじみ語る。20年以上前に始めた市民モニターによる臭気調査、重油ボイラーからバイオマスなどへのエネルギー転換、ダイオキシン対策、業界初の生物膜処理装置による排水処理などを挙げ、「打てる手は率先して打ったが…」と完成形のない難しさを思い起こした。

 地元経済をけん引したパルプの名が消えることに「時代の流れには勝てない」と受け止める市民も。桜井勝郎市長は「もちろん寂しさはあるが、会社がなくなるわけではない。引き続き地域との関係を何より大切にしてほしい」と力を込めた。


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