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製紙産業スレッド
218
:
荷主研究者
:2007/12/27(木) 23:04:24
http://www.kitanippon.co.jp/contents/knpnews/20071025/7925.html
突然の通告「ショック」 日本製紙伏木工場閉鎖へ
2007年10月25日 北日本新聞
日本製紙伏木工場(高岡市伏木、円谷典幸工場長)が来年九月末で閉鎖することが決まった二十四日、関係者にショックが広がった。突然の通告に、従業員は「何も言えない」、協力会社の幹部は「新しい顧客を開拓しなければ」と表情を曇らせた。八十年以上の歴史を刻み、伏木に活気をもたらした〝職場〟の消滅に、住民も寂しさを隠せなかった。
二十四日正午、管理職十九人と協力会社十二社の代表が同工場体育館に集められた。円谷工場長が閉鎖を伝えたが、質問はない。「ショックで意見が出せないという雰囲気だった」。これまで三回、伏木工場に勤務した工場長は目を伏せた。
労働組合伏木支部の事務所にいた男性は「支部長が東京へ行っており、指示を待っている状況。まだ何も言えない」と話した。会社は雇用を確保するが、従業員の県外への配置転換は避けられない。「自分は県外出身だが、地元の人は大変だろう」。二十代の男性従業員が小声で語った。
製品や原料を運ぶ運輸会社の幹部は「ショックは大きい。閉鎖までの一年間で、新しい顧客を見つけたい」と言う。
伏木工場は大正八年九月、北海工業として操業を開始。大正、昭和期の業界再編に伴い、旧王子製紙、十條製紙を経て、平成五年、日本製紙伏木工場となった。「八十年以上苦楽をともにしてきたのに、いきなりの話。再考してほしい」。橘高岡市長は二十四日、報告に訪れた円谷工場長に存続を強く求めた。
高岡商工会議所は協力会社への影響を抑えるため、運転資金などの相談対応を強化する。高岡職業安定所は二十五日、工場側から事実確認を行い、対応を検討する。
かつては大勢の工場労働者でにぎわった伏木。今では煙を吐く煙突も少ない。「日本製紙までなくなれば、ますます寂しくなる」。地元古府校区の太田清連合自治会長がつぶやいた。
同工場は新聞用紙や印刷用紙を主力にする。生産量は平成二年の十四万トンをピークに漸減し、昨年は十一万四千トンにとどまった。昭和三十年代に従業員は千人を超えていたが、現在は約百四十人。その八割が県人だ。工場はこの日も通常通り三交代で稼働を続けた。
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