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製紙産業スレッド
1036
:
荷主研究者
:2021/10/09(土) 14:13:51
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/590860?rct=n_hokkaido
2021年09/19 12:00 北海道新聞
<紙生産の先へ 日本製紙釧路工場>(上)従業員の一歩 転勤、転職「やるしかない」
10月1日付で釧路事業所と名称を変え、従業員数が減る釧路工場(茂忠信撮影)
「充実した生活を送った工場がこれで最後になると思うと、感謝と寂しさで胸がいっぱいになった」。日本製紙釧路工場で13日に開かれた閉場式。参加した工場OB会の藤原厚会長(73)は、感情がこみ上げてきた。閉場式には西口恭彦工場長ら約60人が参加し、約100年間にわたる工場の歴史に思いをはせた。
OB会は今月中に閉場式の様子を伝える記事を載せた最後の会報「OB会だより」を発行し、解散する。会報とともに記念の置き時計を近く約130人の会員に配布する予定で、時計には上空から撮影した工場の写真を付けた。
藤原会長は「将来、工場が取り壊されても、自分たちが汗水流して働いた場所がここにあったと思い出せる」と語る。
■道外へ単身赴任
同社が今月7日に発表した10月1日付の機構改革では、釧路工場は火力発電事業を手掛ける釧路事業所と名称を変えて縮小。発電施設の運営を担う新会社「日本製紙釧路エネルギー」が設立される。
同社は今月上旬までに各従業員に人事異動の内示を伝えた。釧路事業所と釧路エネルギーそれぞれの従業員数を合わせると約90人。関連会社を含めた工場従業員約500人のうち、一部しか釧路で勤務を続けられず、それ以外は別の職場への配置転換を受け入れるか、退社の道しか残されていない。
40代の男性従業員は10月から妻や中学生の子どもを釧路市に残し、道外の工場に単身赴任する。釧路市以外の土地に住むのは初めてといい、「子どもが1人前になるまで収入を確保しなければならない。不安がないわけではないが、新しい経験ができると前向きに頑張りたい」と打ち明ける。
アイスホッケーアジアリーグのひがし北海道クレインズの前身、日本製紙クレインズの元監督で従業員の竹内元章さん(51)は市内で別の仕事を見つけ、今月末で退社する。「新しい仕事を早く覚えて役に立ちたい」。釧路で取り組んできた小中学生へのアイスホッケー指導は継続する。「今後もホッケーで釧路のまちの活性化に少しでも貢献できれば」と力を込める。
■新会社に不安も
釧路公共職業安定所は今月上旬、退社予定の従業員を対象に工場内で出張相談会を開き、希望する職種などを聞き取った。10日までに160人の従業員が求職登録した。128社から400人分の求人登録が寄せられ、10月に求職者と企業との面接会も計画している。
関連会社に所属する30代の男性従業員は、世界的に二酸化炭素を多く排出する火力発電に厳しい視線が注がれる中、「新会社の事業がいつまで続くか分からない」との理由で退社を決断した。地元で就職先を探す一方、起業も視野に入れる。家族は妻と子ども3人。「家族は今後の生活に不安を感じていると思うが、もう後戻りできない。決断した以上はやっていくしかない」。男性はきっぱりと語った。(長堀笙乃、中野訓)
◇
1920年(大正9年)に操業を開始し、釧路経済を長年支えた日本製紙釧路工場の紙生産が8月16日に終了して1カ月。今月13日に閉場式が行われ、今月末、10月1日には生産終了に伴う人事異動が控える。札幌ドーム約14個分に当たる敷地面積約80万平方メートルの広大な工場跡地の利用策は依然決まっていない。現状と今後の課題や展望を探る。
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