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高速道路・地域高規格道路・自動車専用国道

4306とはずがたり:2018/03/04(日) 20:42:19
>今年6月には、首都高C2東側区間に並行して、外環道千葉県区間が開通する。
おお!まじか。すっかりウオッチしなくなってたけど。ムネアツだなあ。。

わずか600mでも悲願達成まで30年かかった「首都高C2内回り小菅―堀切間」の拡幅工事
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180303-01458202-sspa-soci&pos=3
3/3(土) 9:00配信 週刊SPA!

 去る2月25日、首都高C2内回り小菅-堀切間の拡幅工事が完了し、3車線から4車線に広がった。拡幅延長はわずか600m。多くのみなさまにとっては、「へー、それで?」という話だろうが、首都高研究家たる私にとっては、これは悲願達成であった。

 首都高C2の葛西JCT-江北JCTが開通し、常磐道・東北道と湾岸線とが直結されたのは1987年9月。約30年前のことだった。開通直後はスイスイと流れたが、数か月もすると、C2と6号線とか重複する小菅-堀切間(約1km)をネックに、ひどい渋滞が発生するようになった。

 なにしろこの区間では、2車線と2車線が合流するのに3車線しかないのだから、幼稚園児でもわかる結末である。当時、首都高速道路公団に、「なぜ合流部が3車線しかないのか?」と質問したところ、「合流部は3車線と内規で決まっています」との答えが返ってきた。

「当初の予想交通量が、3車線で足りたため、必要以上の建設費をかけて4車線にすることはできませんでした」(首都高速道路公団)

 いったいどんなシミュレーションをしたのかと、若かった私は激しい怒りに震えたものだ。

 とにかく小菅-堀切間は、開通後間もなく、ひどい渋滞が発生するようになった。その対策として、C2外回り側は2001年に3車線から4車線へと拡幅されたが、内回り側はそのままだった。

 私は2000年に出版した『首都高はなぜ渋滞するのか!?』で、「内回り側も是非拡幅が必要」と主張し、再度首都高側にその可能性を問うたが、「技術的に困難ですが、検討中です」という回答だった。

 その後も「検討中」の期間が延々続いたが、ようやく10年前に都市計画決定され、ついにこうして完成に漕ぎつけたのは、ぶっちゃけ「技術が進歩したから」である。実際に現場を見ても、綾瀬川の堤防上の高架高速を一部川の上に拡幅するのは、実にアクロバットな難工事だった。

 しかも都市計画決定当時、「コンクリートから人へ」を標榜した民主党政権が、高速道路の新規着工を凍結するという不運があり、結局完成まで10年を要してしまった。たずさわったみなさまの苦心には頭が下がる。

 もちろん最初から4車線で設計しておけばよかったのだが、かつての首都高速道路公団は「ザ・お役所」。四角四面なお役所仕事のおかげで、我々利用者は30年間、ひどい渋滞に悩まされ続けたわけだ。

 ところで、今回完成した拡幅で、小菅-堀切間の渋滞は解消されるのか?

 拡幅2日後に実走した感触および、その後の渋滞状況を見ると、「大きく改善された」という表現が正しいだろう。

 実走では、渋滞延長(距離)は同じでも、通過速度が2倍程度に上昇していた。時間帯によるが、以前が平均約時速20kmならば、ほぼ同条件で時速40km程度。時間的ロスやストレスは大きく軽減されるはずだ。

 小菅-堀切間では、C2と6号線のクルマが交錯する「織り込み交通」が発生するため、完全な渋滞解消は不可能だが、今年6月には、首都高C2東側区間に並行して、外環道千葉県区間が開通する。

 外環道が開通すれば、夕方のピーク時等を除いて、小菅-堀切間の渋滞はほぼ消滅するだろう。31年目の悲願完全成就だ。逆に言うと、外環道の完成直前まで拡幅がズレ込んだこと自体が悲劇だったわけだが。

 3月18日には、首都高C2のもうひとつのボトルネックである「板橋‐熊野町」間の拡幅も完成する。こちらも、私が長年拡幅を主張してきた区間だけに、涙が出る思いだ。そちらもまた拡幅完成後に、改善状況をレポートさせていただきたい。

取材・文・写真/清水草一


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