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国際関係・安全保障論
884
:
とはずがたり
:2005/03/10(木) 10:09:57
2005年03月10日(木)
マスハドフ元大統領殺害でチェチェン緊迫 独立派報復を宣言
http://news.goo.ne.jp/news/sankei/kokusai/20050310/m20050310007.html
穏健指導者失い和平遠のく
[モスクワ=内藤泰朗] ロシア南部チェチェン共和国の独立派武装勢力の穏健指導者、マスハドフ元共和国大統領(53)が八日、ロシアの特殊部隊の手で殺害されたことで、独立派は今後、対露最強硬派を中心に再結集していくとみられ、血で血を洗う報復の連鎖は避けられない情勢だ。十年余に及ぶチェチェン紛争は、泥沼のテロ戦争へと向かい始めている。
ロシア側発表によると、連邦保安局(FSB)の特殊部隊が八日午前、チェチェンの首都グロズヌイ北東約十キロのトルストイユルト村でマスハドフ氏の隠れ家を急襲、同氏側と約一時間、交渉したものの投降を拒否したため、殺害した。
同氏は隠れ家の地下の塹壕に警護要員三人とともに潜んでいた。三人は特殊部隊に投降した。
ロシア国営テレビなどはマスハドフ氏殺害について「独立派武装勢力に甚大な損失を与えた」と評価し、残るのは一連のテロの黒幕とされる同派最強硬派指導者のバサエフ司令官だけだと楽観的な見通しを示している。
だが、チェチェン側の「血の掟」による報復を懸念し、問題がさらに複雑化して出口のみえない状況に陥ったと指摘する専門家は少なくない。
独立派のウドゥゴフ情報相は九日、ウェブサイト上で、「チェチェンとロシアの対立は、和平交渉も停戦もない時代に突入した。マスハドフはロシアに和平の手を差し伸べて最初に殺された大統領だ」とし、今後は武力闘争路線しかないと早くも報復を宣言している。
チェチェンでは二〇〇二年三月、独立派に加担したアラブの傭兵、ハッタブ野戦司令官がロシア軍に殺害された。約半年後の十月にはしかし、モスクワ劇場占拠事件が発生。さらに一年余り後の〇四年二月には、ロシア特殊部隊要員が中東のカタールで、チェチェンのヤンダルビエフ元大統領代行を暗殺したが、約半年後には、チェチェンと同じカフカス地方北オセチア・ベスランで学校占拠事件が起きている。
ロシアの情報機関も、チェチェン紛争ではこうした報復の連鎖が常態化しており、司令官を殺害してもすぐに新しい司令官がそれに取って代わる現実を認めている。
にもかかわらず、情報機関出身のプーチン大統領は、ロシアの祝日、国際婦人デーにあえて特殊部隊作戦を敢行した。
その背景として、プーチン氏は今年初めから急速に支持率が低下し、外交、内政両面で苦しんでおり、人気回復のための何らかの「勝利」が必要だったとの見方もある。
プーチン大統領は「テロリストは殲滅(せんめつ)する」と断言、強硬路線を貫く姿勢を示してきただけに、長期に及ぶ血みどろの闘争が懸念されている。
◇
≪ジャーナリスト・林克明氏≫
■独立派の精神的支柱
マスハドフ氏はロシアにとって最も都合の悪い指導者だった。テロ・グループに対する掃討作戦は国内では支持を得やすいが、マスハドフ氏は最初から死の直前までロシア側に停戦と和平交渉を呼びかけ、欧州などで共感を呼んでいたからだ。
マスハドフ氏とは計四回会った。最初はロシアとの第一次紛争が始まっていた一九九五年九月。彼は当時、チェチェン軍の参謀長だった。ロシア軍が平野部を制圧しつつある中、山中で行われた部下の結婚式で、「きょうだけは嫌なことを忘れて楽しもう」と話していたことを覚えている。
チェチェンの野戦司令官というとカリスマ性に富み、大衆受けするフレーズを好む人が多いが、彼は違った。自らの役割を淡々とこなす実務派という印象で、地味ながらみな一目置いていた。
最後に会ったのは第二次紛争開始後の九九年十一月だ。ロシア軍が首都グロズヌイの七割を包囲していたが、共和国大統領になっていた彼は、貫禄さえ漂わせていた。
彼には旧ソ連陸軍大佐としてバルト三国の独立紛争の鎮圧に向かった経験がある。そのとき、自らを「侵略軍」だと痛感した彼は退役してチェチェン独立紛争に加わった。勇猛な司令官らを指揮しつつ、ドゥダエフ初代大統領らと政治・軍事面でのシナリオを描いてきた。職業軍人である彼がいなければ、抵抗運動がここまで長続きすることはなかっただろう。
チェチェンでは現在、文化面も含めたロシアによる同化政策が浸透しており、今回のマスハドフ殺害にはチェチェンの精神的支柱を一気に奪い取る狙いもうかがえる。(談)
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