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国際関係・安全保障論

633とはずがたり:2004/11/11(木) 18:20
アラファト議長が死去
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041111-00000006-yom-int
 パレスチナ自治政府のエレカト交渉相は11日朝(日本時間同日午後)、ヨルダン川西岸ラマッラの議長府で記者団に対し、パリ郊外のペルシー軍病院に入院していたパレスチナ解放機構(PLO)議長でパレスチナ自治政府議長のヤセル・アラファト氏(75)が同日死去したと述べた。
 同病院のエストリポー報道官によれば、死亡時刻はフランス時間同日午前3時半(日本時間同日午前11時半)。死因は明らかにされていない。
 アラファト氏は1969年にPLO議長に就任して対イスラエル武装闘争を指揮したが、93年に同国との相互承認に踏みきり94年に自治をスタートさせるなど、パレスチナ民族解放運動を体現。一方、2000年秋に始まったインティファーダ(反イスラエル闘争)を放置し、イスラエルや米国から和平プロセスを崩壊させた張本人と非難されるなど、波乱の生涯を送った。議長に代わってパレスチナ民衆をまとめきれる後継者は見あたらず、当面、パレスチナ情勢が流動化する恐れもある。
 議長は10月27日に、ヨルダン川西岸ラマッラの議長府で容体が急変。医師団に「血液疾患」と診断され、29日にヨルダン経由でパリに移送された。11月4日に危篤となり、人工呼吸器によって辛うじて生命を維持している状態だった。高齢に加え、数年前からパーキンソン病も患っていた。自治政府のシャース外相は10日、ラマッラで、議長は脳内出血のため脳が一部しか機能しておらず、容体は一層深刻化していると述べていた。
 当面は、PLOナンバー2のアッバス事務局長や自治政府のクレイ首相らによる集団指導体制となる見込み。パレスチナ指導部は10日の会合で、自治政府議長ポストは当面、パレスチナ評議会のファトゥーハ議長が引き継ぐことを決めた。エジプト・カイロで告別式を行った後、ラマッラで葬儀を行い、議長府内に埋葬するとの段取りも決めた。

 ◆ヤセル・アラファト議長=1929年8月24日生まれ。生地はエルサレム、ガザ、カイロなど諸説がある。50年代末にファタハを創設し対イスラエル武装闘争を開始。69年にパレスチナ解放機構(PLO)の第3代議長に就任。ヨルダン軍との内戦(70―71年)、イスラエル軍のレバノン侵攻によるベイルート撤退(82年)を経て、93年にイスラエルと平和共存をうたったパレスチナ暫定自治宣言(オスロ合意)に調印した。
 94年7月にPLO本部のあったチュニスからガザ地区に帰還。同年、イスラエルのラビン首相、ペレス外相(いずれも当時)とともにノーベル平和賞を受賞した。2000年秋のパレスチナ人によるインティファーダ発生をきっかけに、01年末以来イスラエル軍によりヨルダン川西岸ラマッラの議長府内で軟禁状態に置かれていた。
(読売新聞) - 11月11日13時57分更新

PLO新議長にアッバス氏
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041111-00000112-yom-int
 ロイター通信によると、パレスチナ解放機構(PLO)執行委員会は11日、死去したアラファト議長の後任に、アッバス同委事務局長を選出した。
(読売新聞) - 11月11日17時58分更新


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