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国際関係・安全保障論
57
:
ホントは社民支持@東広島市
:2003/02/27(木) 07:00
しつこくナウルの話ですが、2ちゃんでは最初「ナウルってどこよ?」って
感じだったらしいです。私はナウルを知っていて「何で皆知らないんだろ?
そーいえばどうして俺は知ってんだ?」と。で、よくよく調べてみると、な
んと鹿児島−ナウルの航空便が89年まであったらしく、それで私はよく知っ
ていた、ってことなのでした。以下は鹿児島の地元新聞コラムより転載。
↓
1972年暮れ、オープン間もない鹿児島空港に、南太平洋のナウル共和国
から小型旅客機が飛んできた。定員40人の機内に乗客の姿はなく、パイロッ
トら5人の乗員だけ。
このナウル航空機が鹿児島に乗り入れた海外の一番機である。周囲19キロ、
人口1万人そこそこの小さな島国のナウルにはリン鉱石のほかにこれといった
資源はない。観光客は少なく、日本を訪れる人も限られていた。
日本びいきだった大統領が国費を投じて路線を開設したのだが、東京への乗
り入れがかなわず本土に最も近い鹿児島を選んだのだった。それでも国際空港
の看板を掲げたい県にしてみれば、貴重な国際線に変わりなかった。
案じた通り利用客は増えなかったが、ナウル航空は運休と再開を繰り返しな
がらも、大統領が代わるまで17年間飛び続け「南の玄関口」の一翼を担って
くれた。
ちなみに、鹿児島−ナウル線では7件の事故がありました。原因はすべて
飛行機に櫻島の火山弾がぶち当たった、というもの。幸い死者は出なかった
ようですが。
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