したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

国際関係・安全保障論

5624反米・極左偏向しているイギリスBBC:2024/05/17(金) 16:22:34
イギリスの公共放送BBC ハマスを「テロリスト」と呼ばず「武装勢力」で大論争に発展
2023年10月13日(金) 22時48分 NHK
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231013/k10014225151000.html

>イスラエルを攻撃したイスラム組織ハマスの呼び方をめぐり、イギリスで論争となっています。政府が「テロリスト」と呼んで非難する中、公共放送BBCは「テロリスト」という表現は公平さを損なうとして使わない立場を示し、政府高官などが批判を強めています。

>イギリスでは、ハマスによるイスラエルへの攻撃でイギリス人17人が死亡、または行方不明になっていると報じられ、スナク首相など政府高官はハマスを「テロリスト」と呼んで非難しています。

>こうした中、BBCは「『テロリスト』ということばは理解の助けよりも妨げになる可能性がある」などとする編集ガイドラインに基づき、発言を引用する場合を除いて「武装勢力」などという表現にとどめています。

>これに対してシャップス国防相は2023年10月11日(水)のラジオ放送で「ハマスはイギリスで違法なテロ組織に指定されている。武装勢力などではなく、まさしくテロリストだ」と批判しました。

>2023年10月12日(木)には、家族を人質にとられている男性が会見でBBCの記者に「テロリスト」ということばを使うよう求めたほか、BBCに出演したイスラエルの代理大使もキャスターに強い口調で迫りました。

>BBCはホーム・ページで「私たちの役割は、視聴者がみずから判断できるよう、現場で何が起きているか正確に説明することだ」などと編集方針を説明しています。



〓反米・極左のイギリスBBCガイドラインに従うと、1972年10月にテルアビブ(イスラエル)近郊のロッド空港で、PFLP(パレスチナ解放人民戦線Popular Front for the Liberation of Palestin。マルクス・レーニン主義を掲げるPLO軍事部門)の意を体して自動小銃と手榴弾で無差別テロを行った日本赤軍も、『テロリスト』ではなく正規軍と対等に戦時国際法の適用を受ける『武装勢力』として扱われてしまいそうだ。

〓イギリスBBCの反米・極左偏向 振りには呆れ返るしかない。

5625アメリカ人は台湾でベトナムと同じ失敗を繰り返すか:2024/05/29(水) 12:04:25
『アメリカ人は台湾でもベトナムと同じ失敗を繰り返すか』



“中国共産党 台湾に対する平和的手段に関心なし”米下院 外交委員長
2024年5月27日 16時14分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240527/k10014462161000.html

台湾を訪問している、アメリカ議会下院のマコール外交委員長(共和党、テキサス州選出)は、頼清徳総統の就任直後に中国共産党が台湾周辺で軍事演習を行ったことについて、「中国共産党が台湾に対して平和的な手段をとることに関心がないことを示した」と非難しました。



〓『一つの支那』を唱えて台湾武力併合しようと企む中国共産党の振る舞いは、『一つのベトナム』を掲げて(非戦闘員を巻き添えにするゲリラ戦を多用し)、曲がり形にも言論の自由や公正な秘密投票が行われていた南ベトナムを武力併合しようとしたベトコンの振る舞いそのものである。

〓中国共産党に媚を売り続けた人生の最後、100歳にもなって独裁者に呼び付けられノコノコ卑屈に媚売りに出向いたキッシンジャー外交を、台湾でも軟弱アメリカ政府が再び繰り返すだろうと舐められているのだ。

〓ベトナム反戦運動は、独立革命以前にイギリス本国に忠誠を誓った植民地政府が創立したアイビー・リーグ(ハーバード大学やコロンビア大学など)、またサンフランシスコに程近いカリフォルニア大学バークレー校などを中心に燃え広がった。

〓ベトナム反戦運動は、全米最大級のチャイナ・タウンを擁するサンフランシスコが中心地であり、フリー・セックスやLSDに耽るはみ出し者のヒッピーが中心的役割を担った。

〓ベトナム反戦運動は、ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリン、ボブ・ディランなどの他、度々 違法薬物所持で逮捕された反ブルジョア革命の国イギリスの元不良バンドであるザ・ビートルズ、特にジョン・レノンとオノ・ヨーコの『ベッドイン・パフォーマンス』などによって火が点いた。

〓ベトナム反戦運動は、人種差別反対を煽る中国共産党に唆されたマーティン・ルーサー・キングの扇動によって火に油が注がれた。

〓本気で『台湾にとって頼れるパートナー』となるためには、中国共産党や反ブルジョア革命の国イギリスに後方撹乱されたベトナム戦争の蹉跌を繰り返さないことが不可欠である。

〓飲食店主に化けた中国共産党の秘密工作員の牙城であるチャイナ・タウンや、LSDを濫用したベトナム反戦運動のヒッピーに迎合して違法薬物所持で度々 逮捕されたザ・ビートルズのようなイギリス人の不良バンドを芸能界から締め出すことが不可欠だ。

5626反米・極左の日本カトリック司教団:2024/05/29(水) 13:20:11
>『カトリック正義と平和協議会』(日本カトリック司教団)Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E6%AD%A3%E7%BE%A9%E3%81%A8%E5%B9%B3%E5%92%8C%E5%8D%94%E8%AD%B0%E4%BC%9A

>カトリック正義と平和協議会(カトリックせいぎとへいわきょうぎかい)は、日本のカトリック教会の組織。略称は『正平協』。なお、本記事においては同組織を『正平協』として言及する。

>『正平協』はカトリック中央協議会の組織であり、また、日本の16教区の各代表である司教で構成された、「日本カトリック司教協議会」によって設置された委員会として活動している。

*『カトリック中央協議会』は江東区潮見に本部を有し日本のカトリック教会各教区の連携支援を行う常設機関。

>靖国神社

>『正平協』(日本カトリック司教団)は、「カトリック教会が心ならずも靖国神社参拝を儀礼として容認したことは軍国主義下の過去の過ちであり、カトリック教会は目前に迫っている同様の過ちを繰り返してはならない、そして植民地支配と侵略行為についての反省を明記し、天皇中心の国家体制が戦争を起こした過去の誤りを繰り返さないためにも、政教分離原則は守らなければならない」としている。また、日本国の首相による靖国神社参拝を「政教分離に反する」と解釈している。

>この件に関して、『日本カトリック司教団』は公文書[3]で日本国首相による靖国神社参拝に対して抗議声明を発表し、また憲法20条の信教の自由と政教分離については、現在の条文の堅持を求めている。

>カトリック聖職者の性暴力問題

>カトリック聖職者の性暴力問題について日本カトリック司教団は、日本軍「慰安婦」制度が処罰されてこなかったことと同一線上にあるものと主張し、その解決をするため、日本政府に対して、慰安婦補問題を「本質的に国家が認めた強姦と奴隷化」であったことを認めること、慰安婦問題日韓合意の撤廃および慰安婦像への不干渉、永続的な慰安婦への謝罪などを求めた[5]。

>2000年12月に、日本赤軍最高幹部の重信房子の関係先を家宅捜索し多くの資料を押収した捜査への抗議の「呼び掛け人」7団体と4個人の中に『日本カトリック正義と平和協議会』(日本カトリック司教団)も名を連ねた。

5627狂人ヒットラーのナチ党に劣らぬ悪逆非道の中国共産党:2024/05/29(水) 14:20:55
>『赤い八月』(1966年の支那・京師)Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%84%E5%85%AB%E6%9C%88

>文化大革命の『赤い8月』期間中に用いられた殺害方法には、殴打、鞭打ち、絞殺、踏みつけ、釜茹で、斬首などがあった[1][13]。特に、乳児や子供を殺す場合はたいてい地面に叩きつけたり、真っ二つに切ったりしていた[1][13][16][17]。著名な作家である老舎をはじめ多くの人々が迫害された後、自殺した[12][18]。





>『広西虐殺』(1968年)Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E8%A5%BF%E8%99%90%E6%AE%BA

>広西虐殺(こうせいぎゃくさつ)とは、文化大革命中に広西チワン族自治区で発生した虐殺と人肉食である[1][2][3][4]。殺害の方法には、斬首、殴打、生き埋め、石打ち、溺死などが含まれる[2][5]。

>支那本土での公式の死者数は10万人から15万人[2][3][4][6]。 虐殺と共に大規模な人肉食が武宣県と武鳴区を含む多くの郡で起こった[2][6][7][8][9]。なお、当時の広西において飢饉の発生は無かった[5][8]。部分的に開示された資料によると、少なくとも137人が食べられ、少なくとも数千人が人肉食に参加した[2][6][7][8][9]。一部の研究者によると、広西チワン族自治区の約30の郡で人肉食が報告され、これまで犠牲者のうち421人の名前が判明している[7][10][11]。

>『毛主席語録』(武宣県)

>文化大革命後、虐殺や人肉食に関与した人々は軽微な罰を受けただけであり、武宣県では、15人が起訴されたものの、最高で14年の懲役を受けたにとどまった[2][5][8][9][12]。また、91人の党員が除名処分となった[2][5][8][12]。

>1968年には武宣県が人肉食についての内部報告を「党中央」に提出したが、党中央からは それを止めるための行動は取られなかった[7]。

>歴史的背景

>虐殺方法

>虐殺の方法には、生き埋め、石打ち、溺死、釜茹で、腹裂きの刑、心臓や肝臓を抉り出す、肉削ぎ、ダイナマイトでの爆破などが行われていた[2][5]。

>背中にダイナマイトを縛りつけられた人が、爆殺され粉みじんになったという記録が残っている[2]。
>武宣中学校で地理の先生であった吳樹芳という教師が生徒に殴打されて死亡した際は、その遺体は黔江の平らな石の上に運ばれ、生徒達に銃を突き付けられた別の教師によって心臓と肝臓を抜き出された。抜き出された臓器は生徒達が焼いて食べた。[5][7][13]


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板