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国際関係・安全保障論

5414とはずがたり:2022/04/08(金) 00:51:56

「ウクライナ占領」でもロシアを待ち受ける泥沼
https://news.yahoo.co.jp/articles/568132c63a90f48343667b950e68ac171441b4b8
3/27(日) 7:30配信
Forbes JAPAN

2月末にウクライナに侵攻したロシア軍の進軍ペースは、観測筋が想定していたよりも遅くなっている。ロシア軍は病院のような民間施設も標的にしているとみられ、その残虐さによって国際社会から広範な非難も浴びている。

ウクライナ軍は欧米諸国からの武器などを供与されているが、仮にロシアがこの侵攻に「成功」してウクライナを事実上の占領下に置いたとしても、ソ連やロシアの占領者としての過去の実績からみて、そうした占領状態を維持できるかは疑問視されている。

ロシアがこの戦争に勝っても、ウクライナ軍は「抵抗軍」として戦闘を続けると専門家は予想している。占領者ロシアはウクライナ国内に、反抗する武装勢力を抱え込むことになるということだ。こうした武装勢力は正規軍に比べ縛られるルールが少なく、機敏で、ゲリラ戦法をとることが多い。そのため、伝統的な軍部隊が見つけ出して抑え込むのも難しくなる。

こうした反抗勢力の鎮圧を目的とする「対反乱作戦(COIN)」で、ソ連やロシアの軍隊が過去に散々な結果だったことは、よく引用されるランド研究所の論文でも示されている。たとえば1992年のアフガニスタン占領失敗は、対反乱作戦の専門家であるアンソニー・ジェームズ・ジョーズによって「大国がどうしてゲリラとの戦争に勝てないかを示す教科書的な研究事例」に挙げられているほどだ。

ロシアが対反乱作戦に繰り返し失敗している要因のひとつとして、ランド研究所は「鉄拳(iron fist)」アプローチとも言われる軍事力頼みのやり方を挙げている。1994年にチェチェン共和国の独立派武装勢力をつぶそうとした際も、ロシアの軍隊は戦略や装備、士気の問題に直面しただけでなく、地元住民の支持もまったく得られず、鎮圧に失敗した。ロシア側はそもそも、武装勢力から民心が離れるように住民の不満点を改善することなどに関心を払っていなかった。

ランド研究所の研究によれば、軍事力だけに頼った対反乱作戦が成功した事例は過去にほとんどなく、通常は非軍事手段も用いたほうがはるかに効果的だった。脅迫や集団的懲罰、汚職、略奪なども対反乱作戦の成功を妨げる要因として挙げられており、もちろん外国からの反抗勢力への支援が戦いを複雑にすることもある。

点数化したランキングも

1960年代から70年代にかけて南ベトナム、カンボジア、ラオスの政権とともに現地の共産勢力と戦った米軍は、対反乱作戦の手際はロシア以上にまずかったと評価されている。世界でもっとも高い能力をもつ米軍ですら、東南アジアのゲリラに対応して制圧することはできず、1975年に敗退した。

歴史的に、対反乱作戦のやり方が巧みだったとされるのは英国だ。大英帝国の植民地だった国に関係したものだけでなく、北アイルランドでの紛争でもその手並みは比較的すぐれていたとみられている。

英国も大半のケースで武力に訴えているが、少なくとも1948年に当時のマラヤ連邦(現マレーシア)で起きた共産主義者の蜂起や、1969年から99年まで北アイルランドでアイルランド共和軍(IRA)が繰り広げた反政府活動では、戦闘手段と非軍事手段を組み合わせ、最終的により望ましい結果をもたらしている。

ランド研究所は武力行使のほか民衆の支持や政府改革なども考慮して過去59件の対反乱作戦の巧拙を評価し、点数化したランキングを発表している。一部を紹介しておこう(最高は15点、最低はマイナス11点)。

米国
・南ベトナム(1960〜75年):マイナス11点
・カンボジア(1967〜75年):マイナス7点
・ラオス(1959〜75年):マイナス5点

ロシア/ソ連
・チェチェン(1994〜96年):マイナス6点
・アフガニスタン(1978〜92年):マイナス3点

英国
・オマーン(1957〜59年):3点
・北アイルランド(1969〜99年):8点
・ギリシャ(1945〜49年):10点
・マラヤ連邦(1948〜55年):11点

Katharina Buchholz


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