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国際関係・安全保障論

5223名無しさん:2021/02/09(火) 14:47:02
https://news.yahoo.co.jp/articles/16bf34892302fee630f0849ef761dd5998132ffd
米原潜元艦長 遺族ら宛てに書簡 えひめ丸事故20年
2/9(火) 10:21配信
愛媛新聞ONLINE
 米ハワイ沖で宇和島水産高の実習船えひめ丸に米原潜が衝突し、生徒ら9人が死亡した事故は10日で発生から20年となる。当時の米原潜艦長スコット・ワドル氏(61)が愛媛新聞の取材に応じ、犠牲者、遺族、被害者への公開書簡を寄せた。「事故の全責任は私にある」と明言し「最愛の家族を失ったご遺族、同級生を失った生徒、船長、乗組員におわびする」と綴った。米海軍に遮られ、遺族らへの直接謝罪が遅れたことを「もっと早く会えるよう努めるべきだった。申し訳ない」と謝罪。この20年、事故と自身の過ちを世界中の人々の前で話し、共有してきたと振り返った。
 書簡はメールで送られ8枚にわたった。遺族、被害者の間では「広大な海で、なぜあのような事故が」という悔しさ、疑念が消えないが、ワドル氏は書簡で「事故原因は当時の米海軍査問委員会が徹底して誤りと過失を突き止めた」と説明。その上で「事故は回避可能だった。私が艦長として義務を怠った」と記した。
 事故直後、米海軍と弁護士が作成したプレスリリースに「apologize(おわび)」ではなく「regret(遺憾の意)」と記されていることを知った時の複雑な思いを吐露。「疑問を呈したが、ベストな言葉だと言われて結局そのままにしてしまった。過ちだった」
 事故後、直接謝罪しないワドル氏に遺族らは憤り、関係者からは日米の文化の違いとも受け止められたが「上官に止められていた。もっと謝罪の機会を求めるべきだった。速やかな謝罪が重要なことは十分理解していた」と悔いた。
 3月に実現した直接謝罪の際、犠牲になった指導教官中田淳さんの妻・直子さんから受け取った手紙に20年越しで返事をした。「私の行動があなたと子どもから夫を奪いました。本当に申し訳ありません」「中田さんの子どもは25歳と20歳になるはずです。お子さんにお父さんがヒーローだったことを知ってほしい」。
 青森県の三沢基地で生まれ、日本に特別な思いを持ちながら育ったことに触れ、事故で「私の一部は死んだ」と書いている。
 ワドル氏は海軍退役後、電力関係会社などに勤務。現在は米ノースカロライナ州ケリーに在住し、講演などで事故の経験を伝えている。
 書簡は10日以降、愛媛新聞と愛媛新聞ONLINEで全文掲載予定。

愛媛新聞社


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