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国際関係・安全保障論

446とはずがたり(2/2):2004/04/05(月) 21:04

□ハビャリマナ政権

  ハビャリマナ政権は、1973年に当時国防相だったハビャリマナ氏が無血クーデターで軍事独裁政権を敷いたところからスタートし、1978年の国民投票で新憲法を採択し、同氏が大統領に就任した。同政権は、フツ族ばかりでなく、ツチ族からも少なからず支持を受け、ルワンダの繁栄に務めてきた。しかし、1980年代半ば以降、経済情勢が悪化し、同時に一党独裁への批判が高まっていった。

  経済危機に陥った原因はいくつかあるが、スズの国際価格の下落、主要な輸出商品であるコーヒーの国際価格の下落、そして、1980年代後半から1990年代初めの干ばつ、これに人口の増加による土地の不足などの要因も絡み経済は大きく後退した。こうした中、ルワンダ愛国戦線による北部の制圧があり、また、独裁の結果として横行した汚職への非難が高まり、こうした諸々の点でハビャリマナ政権は大きく揺らいだ。

  1991年6月、国内外からの圧力によりついに一党制が廃止され、翌1992年4月、主要野党を含む政権が誕生したが、大統領はハビャリマナであり、愛国戦線は含まれていなかった。首相に就任したンセンギヤレムエは、愛国戦線側との平和交渉に望もうとしたが、大統領らによる妨害にあった。
 同年7月には、愛国戦線の軍事的優位のもとで政府軍との停戦が調印されたが、1993年2月には戦闘が再開され、同年8月にはハビャリマナ大統領が政府に全権を委譲することを取り決めた包括的和平協定が結ばれた。しかし、翌年1月にハビャリマナは大統領再任を宣言した。

  こうした流れの中で、1994年4月6日、ハビャリマナ大統領とブルンジのヌタリャミラ大統領を乗せたルワンダ大統領機がキガリ空港付近で撃墜され、両大統領とも死亡した。

□大虐殺と愛国戦線による報復

  フツ族によるツチ族の虐殺は、こうした閉塞状態の中で発生した。愛国戦線による力が拡大していくと、フツ族過激派によるツチ族は危険だというプロパガンダが、メディア等を通して広がり始めた。そして、ツチ族の虐殺を呼びかけるラジオ放送をきっかけに、大虐殺が始まり、 100万人とも言われる犠牲者を出して世界を震撼させた。

  単一民族によるルワンダの支配を目論んだフツ族系過激派は、一度は首都キガリを制圧したが、ウガンダで体勢を立て直した愛国戦線が再びルワンダに戻り、逆に首都キガリを制圧した。この衝突により、多くの国民が難民となり、隣国に流出した。

  1994年7月、愛国戦線主導の新政権が発足し、フツ族系のビジムング氏が大統領に就任した。また、暫定首相となったトワギラムング氏もフツ族出身であった。一方、軍部はツチ族が中心となっているが、全体としては民族色を排除した政権となった。

  しかし、今まで共存してきたとは言え、一度殺し合った民族同士が再び共存しようとすることには大きな障害があるだろう。多くの難民はルワンダに戻ったと言われるが、隣国ブルンジやコンゴ民主共和国も含めて、ツチ族とフツ族の衝突は続いている。


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