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国際関係・安全保障論
445
:
とはずがたり(1/2)
:2004/04/05(月) 21:04
http://www.w-digest.com/mm/mm0002/bk/000025.html
□大虐殺事件の概要
ルワンダは、1960年に独立し、1973年の無血クーデター以降、フツ族のハビャリマナ政権が長期にわたって独裁体制を敷いてきた。1990年9月、独立後のフツ族によるツチ族の迫害でルワンダの北側にあるウガンダに移動していたツチ族らによる組織・ルワンダ愛国戦線がルワンダに侵攻して北部を制圧した。政府軍と愛国戦線が衝突を繰り返す中、1992年7月に停戦に調印されたが、翌2月には戦闘が再開され、同年8月には和平協定が調印された。
この包括的和平協定により、新政府に全権を委譲することになっていたハビャリマナ大統領は、94年1月に大統領再選を勝手に宣言した。そして、4月6日、ハビャリマナ大統領とブルンジのヌタリャミラ大統領が乗った飛行機が、ルワンダの首都キガリ空港近くで撃墜され、両大統領とも死亡、この事件をきっかけとして政府軍と愛国戦線による対立が再燃した。フツ族系住民によるツチ族系の大虐殺は、これをツチ族の責任だとして発生した。
国連安保理の介入などもあり、事態は収拾し、7月19日、愛国戦線主導の新政権が誕生した。こうした動きに対して、報復を恐れるフツ族系住民が大量に難民化して周辺各国へ流出した。新政権は、難民を食い止めるためにフツ族も多数含まれ、少数派民族による支配は行わない姿勢を見せた。
□ツチ族とフツ族の対立の背景
前述したように、ルワンダ独立後、フツ族によるツチ族の弾圧があったとされているが、その背景には、植民地時代のヨーロッパによる間接統治がある。ヨーロッパのアフリカ進出以前には、ツチ族とフツ族は、ツチ族を主とするゆるやかな主従関係が築かれていた。これに対して、ヨーロッパ諸国は、アフリカを統治するために、民族の対立を和えて人工的に作り出し、例えばルワンダのような場合は、ツチ族にフツ族を支配させて統治したわけである。ヨーロッパの奴隷に対する扱いは、ツチ族とフツ族の主従関係とは異なり、いわば飼い主と家畜の関係であった。
ヨーロッパとアフリカの関係については、当初は対等な貿易相手であったが、奴隷貿易、そして武力によるアフリカの分割に至り、アフリカ人は非人間的な扱いを受けた。そうしてつくられた歪みが、ルワンダのみならず、アフリカでの紛争の一因となっている。
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