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国際関係・安全保障論

3876荷主研究者:2016/06/06(月) 23:08:35

http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20160520/CK2016052002000101.html
2016年5月20日 中日新聞
沼津・今沢基地の歴史知って

◆平和委 かつての反対運動をDVDに

 駿河湾の奥部、沼津市今沢の海岸にある米軍沼津海浜訓練場(通称・今沢基地)。ベトナム戦争時に戦場への人員・物資輸送の拠点となり、現在も自衛隊が訓練に使用している。市民に知られていない基地の歴史を広め、身近にあった戦争との関わりを考えてもらおうと、沼津市平和委員会が基地反対運動の歩みを記録したDVD「今沢をめぐる闘い」を製作した。

 景勝地・千本松原の海岸線の一角。今沢基地は現地に施設や看板があるわけでなく、普段から立ち入り制限もない。砂浜と海が広がる地域だ。南関東防衛局によると、基地部分の面積は陸域三ヘクタール、海域千三百ヘクタール。旧日本軍の訓練場だったが一九五二年、日米安全保障条約に基づき、米軍に提供された。

 平和委員会によると、ベトナム戦争の一九六〇〜七〇年代、陸上自衛隊東富士演習場(御殿場市など)で訓練した米海兵隊の出発拠点にもなり、多くの輸送艦や戦車が行き交ったという。南関東防衛局の話では、六〇年代から海上自衛隊の上陸訓練などにも使われるようになった。米軍の訓練は二〇一四年を最後に行われていない。

 平和委員会は一九六二年、米軍の基地使用に反対する市民らで結成した。事務局長の島田絢子(あやこ)さん(77)は「御殿場に向かう戦車が市街地をごう音をあげて走っていた。道路沿いに並んで反対の声をあげた」と当時を振り返る。米軍のベトナム介入と同時に今沢にヘリポートが造られ、周辺住民は騒音に悩まされたという。反対運動でヘリポートは撤去になったが、島田さんは「反対の機運が町中にあった」と述懐する。

 ベトナム戦争終結から四十一年たち、沼津に米軍基地があること自体、知る人は多くない。島田さんは一昨年、脳梗塞を患ったとき「いま広めなければ、ずっと知られないままになってしまう」と恐れた。平和委員会の中心的存在で、九七年に他界した夫の久さんが残した基地に関する原稿と写真を使い、動画にまとめることを考えた。動画編集が得意なメンバーの小沢弘昌さん(47)に依頼し二月下旬に完成した。

 動画では、戦車が海岸を走る様子や住民が波打ち際に座り込んで抗議する写真を字幕と音楽に合わせて紹介した。動画投稿サイトユーチューブにも投稿した。小沢さんは「新しく選挙権を得る高校生や大学生にもスマートフォンで見てほしい」と狙いを語る。

 最近では海上自衛隊が昨年九月、輸送艦への積み込み訓練や小型揚陸艇を使った上陸訓練を行った。島田さんは「基地のことを知らないままだと、使われ方が変わっても分からず危険。たくさんの人に今沢基地を知ってほしい」と話し、現状に警鐘を鳴らした。

(熊崎未奈)


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