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国際関係・安全保障論

3234名無しさん:2015/06/14(日) 13:56:51
http://blogos.com/article/116542/
三浦瑠麗2015年06月13日 00:40安保法制(4)―不思議の国の潮目を読む

不思議の国
 潮目が変わった、という意見が増えているようです。憲法審査会の場で与党推薦の参考人を含む三人の憲法学者が安保法制について違憲との見解を示したことがきっかけです。左派勢力からは違憲論が、与党内からは不手際論が、メディアから思惑含みの政局論が飛び出してきました。1960年に、岸首相が安保条約と刺し違えて退陣した故事を引いて、安倍首相に対する因縁論まで出てきています。この種の議論には、予言の自己実現性という要素がありますから、永田町で緊張感が高まっているのは事実でしょう。

 私としては、三人の憲法学者の意見は、特段の驚きということではありませんでした。代表的な憲法学者の発言や著作に触れてきた方であれば、そうだろうと思います。憲法秩序の安定性を何よりも重視し、現実世界を法解釈にひきつけて線引きしようとする姿勢は法律家にとっては自然なものでしょう。しかし、三人の憲法学者の意見が、社会にこれだけ影響を与えるということは少し予想外でした。

 日本はいまだに「不思議の国」なのだなと。冷戦後四半世紀の国際社会の変化はこの国を本質的には変えてこなかったし、90年代のPKO以来の日本国内での議論はいったいなんだったのかという感慨です。日本の安全保障をめぐる議論は、本当に双六のはじめに戻っていいものか。安全保障政策の一大転換をめぐる議論が、憲法論にジャックされていいものか、ということです。

 これまでも申し上げてきたとおり、戦後日本の安全保障政策は、憲法解釈のごまかしの歴史でした。戦力の不保持と言われれば、軍事組織を「警察予備隊」と名付けました。認められる武力行使を「必要最小限度」の自衛権に限定し、その中身について延々とガラス細工の解釈論を積み上げてきました。今般問題となっているのも、この「必要最小限度」の線をどこに引くかということです。政府は、「新三要件」という限定をつけることで集団的自衛権も認められるとし、憲法学者の三人はそれに反対したということです。

断ち切れなかった甘えの構造
 国際紛争に触れてきた者の殆どはペシミストです。世界がいかに暴力と不正と偽善とに満ちているか日々突きつけられるからです。平和や正義は、絶望感の中に見出す一筋の光明でしかなく、多くの献身的な人々の不断の努力の上に築かれていることを知っているからです。そこにおいて戒められるべき一番のことは、甘えです。リアリズムとは、世界を理解する上でも、自らを律する上でも甘えを廃するということに他なりません。

 もちろん、国内の民主主義のプロセスにおいて、厳しい緊張感を持続させることには無理がありますから、多少はお題目に流れる向きもあるでしょう。けれど、責任あるリーダーは現実を語らなければいけないし、伝える側にもプロ意識が必要です。何十年に一度の政策転換の過程の、ここ一番のときにこそ真価が問われるのです。

 憲法学者が提示した違憲論に飛びついて右往左往する日本社会には、国際社会から発せられる緊張感から解放されたいという甘えの構造を感じます。中国が台頭し、北朝鮮の核武装が既成事実化し、米国の力にも限りが見えています。国際的なテロリズムが日本にとっても他人事でなくなり、宇宙もサイバー空間も新しい戦場になろうとしているときに、「そうは言っても、えらい学者さんが違憲だと言っているんだから」として、思考をいったん停止する誘惑には根強いものがあるのでしょう。


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