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国際関係・安全保障論

2070とはずがたり:2009/11/15(日) 00:26:59
切ないっすねぇ。。

夫は国に殉じ、妻は国を追われ…米兵遺族に移民法の壁(1/2ページ)
http://www.asahi.com/international/update/1109/TKY200911090336.html?ref=goo
2009年11月10日8時4分

 【メリービル(米テネシー州)=堀内隆】イラクで戦死したある米国人兵士の日本人妻が、米国から国外退去させられようとしている。移民法の条項が壁になり「妻」と認められず、永住資格が得られないせいだ。法律を変えることはできないのか、周辺が米議会に働きかけを始めた。

 米東海岸の背骨をなすアパラチア山脈のすそ野にある街テネシー州メリービル。ファーシュキー仲間ほたるさん(26)は、歩行器に乗った9カ月の長男マイキーちゃんと居間で遊んでいた。

 「彼さえ帰ってきてくれたら、何の問題もないんですけど」。ほたるさんはそう言って、力なく笑った。

 夫のマイケル・ファーシュキーさんは、沖縄に駐留する米海兵隊第3偵察大隊のチームリーダーとしてイラクに向かい、昨年8月10日、戦死した。22歳だった。

 「イラクから帰ったら一緒にアメリカで住もう」。2人はそう約束していた。米国人の配偶者なら普通は優先的に永住資格が得られるが、ほたるさんは婚姻届を出した正式な配偶者なのに、移民法上、「妻」の資格がない。「配偶者と認められるのは、2人そろって結婚式に臨んだか、同居して夫婦生活を営み始めた場合」という条文に引っかかってしまうためだ。

 今は観光ビザで亡夫の実家に身を寄せている。半年の滞在期間を1回延長したが、来年2月には期限が切れ、もうアメリカにはいられない。

 07年3月に沖縄で、友人の誕生パーティーで出会った。「外国人と付き合って、周りになんと言われるかな」。悩みつつ、1カ月かけて付き合う決心を固めた。

 イラク行きはマイケルさんの強い希望だった。「自分はまだ戦場で何もしていないから」と、兵役を延長してまで派遣の順番を待っていた。

 出発を2日後に控えた08年4月12日、マイケルさんは、うるま市のショッピングモールにある宝石店にほたるさんを連れて行き、指輪を選んだ。そして、近くのスターバックスでプロポーズした。

 出発から3週間足らずのうちに、ほたるさんは妊娠を知る。イラクから電話してきたマイケルさんに伝えると、「僕の家族としてケアされるように、すぐ結婚しよう」。2人で必要な書類を集め、手続きを始めた。7月10日付で、正式な夫婦になった。

 だが、そのちょうど1カ月後、マイケルさんはバグダッド北方で捜索活動中に銃撃を受け、命を落とした。離ればなれのままの、短い新婚生活が終わった。

 問題の移民法条項は、米国永住ビザ目当ての偽装結婚を防ぐ趣旨だ。だが、成立したのは1952年。「今の時代に合わない」と、移民法を専門とする弁護士は言う。

 ほたるさんは今年1月、沖縄でマイキーちゃんを産み、2月にマイケルさんが生まれ育ったテネシーに来た。だれもが彼に感謝し、思い出話を聞かせてくれる。「息子が父を誇りに思えるこの街で育てたい」とほたるさんは思うが、法律の壁は厚い。「あんなに幸せだったのに、どうして今は何もかもうまくいかないんだろうって……」

 マイケルさんの母ロビンさん(48)は地元選出の議員らを総当たりして、ほたるさんが米国に残れる道を探した。

 ある弁護士が「個人法案という道がある」と教えてくれた。法律を特定の個人に適用しないと定める法案のことだ。働きかけの結果、テネシー州選出のダンカン下院議員(共和党)らが7月、「移民法規定に関係なく、ほたるさんに永住ビザを付与する」との法案を提出。上院でも同様の法案が10月に提出された。

 だが、議会での審議はこれからで、見通しは立っていない。対立が大きい移民問題にかかわることもあり、地元記者は「移民規制の緩和と受け取られれば反対されるおそれがある」と指摘する。


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