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国際関係・安全保障論

1963名無しさん:2009/10/17(土) 23:20:38
江畑氏逝去に関連してこういう議論がありました。
以下引用。

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20091014#p2
■[時事][読書][軍事]江畑謙介氏逝去で思い出したこと。軍事評論家を司馬遼太郎は「民主主義の象徴」と語った
江畑謙介という軍事評論家の中でも評価の高かった人が亡くなったことで、あらためて軍事評論家に関して思い出したことがあった。

私を含め、日本人が「こういうことを生業にしている人がいるんだなあ」とはっきり視野に入れたのは1990-1991年の湾岸危機・湾岸戦争であったでしょう。

はじめて、こういう人たちを目にした他の文化人の素朴な好奇心や驚きは、たとえば当時の中野翠氏のコラムなんかを見るとよく分かると思います。とーぜん江畑氏のヘアスタイルについてもいじりまくりであったが。

んでね、昭和一ケタ文化人、または焼け跡闇市派っていうの?

私が見聞した限りでは、この人たちの軍事評論家への拒否反応は相当なものだった。多くは「平和主義者」のくくりにも入るのだろうが、今でもおなじみの「あいつらは戦争を、軍事を楽しんでいる、面白がっている!!だからけしからん」つう話。

記憶の範囲で言うと、小林信彦がコラムでそう書いていたはずだし、

この湾岸戦争と前後していたのかな、上岡龍太郎が司会の「EXテレビ」というところで小田実、小中陽太郎、野坂昭如ら(当時の朝生レギュラーとかぶっていました)が「あいつらは本当に戦争が好きだよな」と批判していたはず。



ところが、湾岸戦争をリアルタイムで見ながら司馬遼太郎が書いた文章だけが違っていた。

要約すると

「私はテレビでしゃべっている軍事評論家を見て、ああ日本もここまで民主主義が根付いたかと感動した」と述べていたのだ。

なぜか。

あまりにシンプルな話で、彼は自分の青春時代、つまり太平洋戦争前を思い出し

「私の生きたあの時代、同じように軍事評論家が存在し、在野の立場から冷静に日米の軍事力を計数的に比較し、それが世間の話題になっていたら、彼我の差をだれもが認識し、あのような戦争は無かったろう。軍事評論家の存在こそ、民主主義の証なのだ」



こう、述べたのでありました。

今思えば、司馬遼太郎は戦記作家に片足を突っ込んだ存在である以上、ふつうの文化人と感覚が違っていて当然ではあるかもしれない。

ただ、それと同時に世代の差もあるのかな、と、その数年後いろいろな人を比較してそう思った。

焼け跡闇市派は、井沢元彦言うところの「本当は命を救うべき救急車に、子どものころはねられた経験(=軍隊でひどい目にあった経験)から、救急車(=軍事)そのものの存在を認めなくなった人たち」だったのかもしれない。司馬たちも戦争と軍にひどい目にはあったが、既に成人していたのでそのへんは極端にならないですんだのだろうと。



それから20年たち、内容のできばえはともかく「反戦の立場から軍事をよく知ろう!」みたいな啓蒙書も現在は出てきた。

江畑氏が軍事評論家として生きた時代は、そんな、時代だった。

(了)


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