したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

国際関係・安全保障論

1905とはずがたり:2009/08/19(水) 08:46:39
>>1888-1889

グルジア紛争1年 領土も信頼も失った…難民2万5千人、爪痕大きく
2009.8.7 22:53
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/090807/erp0908072255004-n1.htm

グルジア中部アハルゴリ近くにあるグルジア内務省の防衛線。有事に備えて土嚢が積まれている

 ロシアが隣国グルジアに侵攻し、双方に計600人以上の死者を出した「グルジア紛争」は8日で発生から1年を迎えた。紛争の原因となったグルジアの親露独立派地域、南オセチア自治州とアブハジア自治共和国は完全にロシアの軍事支配下に入り、グルジアでは2万5千人の難民が今も帰還できずにいる。「勢力圏」保持のために武力行使も辞さないロシアの対外姿勢を示したこの紛争は、今もグルジア国民の生活に深いつめ痕を残したままだ。(トビリシ 遠藤良介)

 紛争の発火点となった南オセチア自治州の州都、ツヒンバリから約10キロ離れたグルジア支配下のプラビ村。目と鼻の先にロシア軍が駐留する最前線だ。「その丘の向こうにロシアの監視ポストがある。山を越えればすぐにロシア軍の基地だ」とグルジア内務省軍の兵士(28)は語る。

 この一帯では紛争中、住居が略奪・放火の対象となり、ロシア・南オセチア側の民兵らに殺害された住民も多い。住居の修復こそ進んでいるものの、今も境界地帯では爆発や銃撃が頻発する。農業を営むメトレベリさん(39)は「(紛争後も)爆弾で15人ほどが負傷した。畑の4割を奪われた上、夜も安心して眠れない」と打ち明けた。

 紛争は昨年8月8日未明、南オセチアを攻撃したグルジアに対し、「自国民保護」を掲げるロシアが大規模な報復に出て激化した。ロシアは紛争後、アブハジアと南オセチアの独立を承認し、両地域の4カ所に軍事基地を建設するなど傀儡(かいらい)化を進めている。

 グルジアの政治学者、ザカレイシビリ氏(51)は「ロシアは紛争前の位置まで部隊を戻すとした昨年8月の停戦合意に違反し続けている。紛争は決して終わっていない」と現状を説明する。

 グルジア経済は今、欧米諸国などからの45億ドル(約4285億円)にのぼる支援で何とか持ちこたえている状況だ。首都トビリシ郊外などには難民用の大規模な住宅群も急造されたが、住民の生活は配給食糧と小額の支給金頼み。難民住宅地の行政担当、シェルマディニさん(57)は「自宅が残っている人もロシア国境警備隊の検問を通らなければ訪れることができない。皆、明日には帰れると思っているのだが」と嘆いた。

 紛争の発端をめぐってはロシアとグルジアが非難合戦を続けており、真相は明らかでない。確かなのは、ロシアが南オセチア住民に旅券を配布して露骨に独立派を支援するなど、紛争の素地を作ったことだ。グルジアの親欧米路線に歯止めをかけて北大西洋条約機構(NATO)加盟を阻止し、旧ソ連圏での影響力を保持する狙いがあった。

 ただ、ロシアの挑発に乗じて南オセチアを攻撃したサーカシビリ政権への批判も国内外で高まっており、今年4月以降はトビリシで断続的に大規模デモが起きている。政治学者のフハシビリ氏(49)は「権威主義を批判されていたサーカシビリ大統領は南オセチアとの戦争で名声を保とうとした。だが、結局は領土も欧米諸国の信頼も失った。民意をくむ方策をとらなければ、(2003年のバラ革命に次ぐ)“路上革命”の可能性もある」と警鐘を鳴らしている。

 「バラ革命」で政権を追われたシェワルナゼ元大統領(ソ連外相)=(81)=は「無意味な戦争だった」と批判する一方、「ロシアがアブハジアと南オセチアの独立を承認したのも過ちだ」と語る。シェワルナゼ氏は「ロシア南部にはチェチェンやイングーシ、ダゲスタンなど、はるかに人口の多い(イスラム教)地域がある。ロシアは遅かれ早かれこうした地域の独立問題を抱えることになろう」と民族対立の拡大を懸念している。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板