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国際関係・安全保障論

1903千葉9区:2009/08/16(日) 10:57:32
http://mainichi.jp/area/niigata/news/20090811ddlk15010075000c.html
一票の現場から:’09選択の夏・衆院選/4 拉致問題 /新潟
 ◇高齢化する家族、支援者 「解決へ、具体策示して」
 「決意を新たにした」。8月1日、横田めぐみさん(行方不明時13歳)が北朝鮮に拉致された現場を歴代首相で初めて視察した麻生太郎首相は、新潟市で行った街頭演説でそう繰り返した。

 麻生首相は街宣車から降りると、長身の老人に近づき、握手を交わした。めぐみさんが通っていた新潟市立新潟小学校の校長だった馬場吉衛さん(88)。「頑張ってください」と声を掛けられたが、馬場さんが言葉を返す間もなく、麻生首相はその場を去った。

 「救う会新潟」の会長として運動を続けてきた馬場さんは昨年、体調を崩した。右手の自由がきかなくなり、字も書けなくなった。リハビリを続けてなんとか自力で歩けるようになり、麻生首相に拉致問題への対応を促そうと、無理を押して駆けつけた。

 「(麻生首相が)訪れてくれたのはありがたいが、(解決への)具体策がない」と馬場さん。他党のマニフェスト(政権公約)にも期待できる打開策はない。それでも訴え続けるしかないと考えている。「体が動かなくなってきてもどかしい。一刻も早くめぐみさんを返してほしい。時間はないんです」

     ◇

 ポロシャツ姿で目を細める青年。写真の中の大沢孝司さん(行方不明時27歳)は、35年前から時が止まったままだ。「知っている人は連絡ください」とハングル文字でつづられた写真入りのチラシ2000枚をくくりつけた風船が7月23日、軍事境界線近くの韓国・鉄原(チョルウォン)から放たれた。「孝司のもとに届きますように」。兄昭一さん(73)は、数百メートル先の北朝鮮側に飛んでゆく風船を祈るように見つめた。

 県職員だった孝司さんは74年2月、佐渡市の飲食店を出て知人を訪ねた後、行方が分からなくなった。北朝鮮に拉致された疑いが濃厚な「特定失踪(しっそう)者」と判断され、昭一さんは政府に真相究明を求め続けてきた。

 拉致問題はこの4年、大きな進展がないままだ。息子の帰りを待ちわびていた父福一郎さんは昨年、98歳で亡くなった。昭一さんもいつまで救出活動を続けることができるか不安を感じている。「政治生命をかけて北朝鮮と直接交渉してくれる政治家が現れてほしい」。総選挙を前にそう願う。【黒田阿紗子、岡田英】=つづく

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 ■ことば

 ◇再調査、宙に浮いたまま
 08年8月の日朝実務者協議で北朝鮮が拉致被害者の再調査をすることで合意。同年秋までに結果をまとめるとしていたが、福田康夫首相(当時)の辞任もあり、宙に浮いたまま。マニフェストで、自民は「拉致問題の進展なしに経済支援はしない」として、輸出禁止などの措置継続と貨物検査特措法の次期国会成立を目指す。民主は「わが国に対する主権侵害かつ重大な人権侵害。国の責任で解決に全力を尽くす」として「貨物検査の実施を含め断固とした措置を取る」としている。


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