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国際関係・安全保障論

1842千葉9区:2009/05/22(金) 23:41:54
http://mainichi.jp/select/world/news/20090522dde007030003000c.html
スリランカ:内戦終結 「盾」避難民、心身に傷 キャンプ、環境悪化深刻
 ◇国際機関日本人職員、救援訴え
 【コロンボ栗田慎一】「幼い子供たちも笑わないのです」。スリランカ内戦の避難民に日本の救援物資などを届けるため、21日に北部のマニク避難民キャンプに入った国際機関「国際移住機関」(IOM)職員の大野拓也さん(35)=大阪府吹田市=は、毎日新聞の電話取材に訴えた。「人間の盾」にされていた多くのタミル人たちが、最後の戦闘で家族を失い、心身ともに傷ついているという。気温が40度に迫る中、毎日数千人がたどり着き、衛生環境の悪化も深刻だ。

 祝賀ムードにわく主要都市コロンボから自動車で約5時間。同じ国とは思えない光景が大野さんの目の前に広がった。

 食料を求めて並ぶ500メートルの列。だれもが汚れた衣服に身を包んでいる。同僚スタッフは、避難民たちの体臭のすさまじさにせきこんだ。おなかがせり出た妊婦は「6日間何も食べていない」と言った。手にした小さなランチボックスを家族5人で分け合った。

 内戦が終わる5日前に現地入りした時、3区画だったキャンプは4区画目が軍によって整地され、避難民は12万人を超えていた。4区画目には、最後まで「盾」となった5万人のうち約1万人が収容されていた。各テント(約18平方メートル)には2〜3家族15人前後が身を寄せ合っている。

 最後まで残る決断をした母親がいた。子供3人と脱出を試みた時、反政府武装組織「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)に見つかり、「長男を置いていけば認める」と言われた。10代半ばの長男が兵士にされると直感した母親は、脱出を断念したという。

 くぼ地に兄と姉の計4人で潜んでいた20代前半の男性は、政府軍が制圧する直前、砲弾が近くで爆発し、1人だけ生き残った。どちらの攻撃かは分からないが、「LTTEに反撃の余力はなかった」と言った。自分だけが水や食べ物を手にしていることに罪悪感を感じているという。

 大野さんは04年12月のインド洋大津波の3カ月後、IOMの短期職員としてスリランカに入った。大学院を修了し、就職までの研修のつもりだったが、被災者の喜ぶ顔が見たくなり、正規職員の道を選んだ。40人の地元職員を部下に、スリランカ支援を続ける。

 「この国の子供はよく笑う。しかし、キャンプの子供たちは笑わない。この4年間に暴力は激しさを増し、多くの人たちが家族や親類を失った。心の傷を癒やす方法も考えていかなければならない」と大野さんは語った。


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