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国際関係・安全保障論
1772
:
千葉9区
:2009/02/12(木) 19:43:54
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/090206/mds0902062141006-n1.htm
イラン革命30周年 揺るがぬ保守強硬派 (1/3ページ)
2009.2.6 21:39
【カイロ=村上大介】「白色革命」と呼ばれる西欧化を推し進めたパーレビ国王を追放し、イスラム教シーア派独特の「ベラヤティ・ファギー」(イスラム法学者による統治)を実現して世界に衝撃を与えたイラン革命は10日、30周年を迎える。イスラム体制は、1980年代のイラン・イラク戦争や革命指導者ホメイニ師の死去(89年)を乗り越え、保守派と改革派のせめぎ合いの時期を経て、いま「革命原理」への回帰を唱えるアフマディネジャド大統領ら保守強硬派が主導権を握る。核開発問題などで国際社会で孤立しながらも、イスラム体制が揺らぐ気配はない。
イラン革命は、米国の支援を背景として急激な西欧化政策を進め、独裁を強化したパーレビ国王打倒の大衆運動としてうねりを高めた。当時は必ずしも宗教運動ではなく、自由主義や社会主義勢力が集結した幅広い運動だった。争乱状態を抑え切れなくなった国王が79年1月に国外に逃亡すると、60年代から反国王運動を開始していたホメイニ師が亡命先のパリから帰国、国民は熱狂的に迎えた。
同年の過激派学生によるテヘランの米大使館占拠事件を契機に、宗教勢力は革命委員会や革命防衛隊など独自の組織を充実させ、反国王でつながっていた穏健派や世俗主義勢力の追い落としに成功してゆく。そして、現在に至るホメイニ師のベラヤティ・ファギー論に基づく「イスラム革命体制」が79年12月の国民投票の結果、圧倒的な支持で承認された。
伝統的なシーア派の考え方では「君主の専制や逸脱を戒め、国事の後見・監督を行う」とされていたファギー(イスラム法学者)の役割を、ホメイニ師は「国家の直接統治」にまで高めた。最高の宗教権威を持つ法学者(聖職者)による統治と近代民主主義を融合させようとした極めてユニークな政治的実験だったといえるが、「国民の主権」と“神の意志”を体現する聖職者(法学者)統治の矛盾を内包する。圧倒的なカリスマで国民に受け入れられていたホメイニ師の存命中はともかく、その死去後は試行錯誤と硬直化を避けられなかった。
国民が直接選挙で選ぶ大統領や国会議員の上には、イスラム法学者の最高指導者(現在は、ホメイニ師の後継者に選ばれたハメネイ師)が君臨し、最高指導者は司法府長官の任命権や軍の統帥権をはじめ、国会が可決した法律をイスラム法に照らして審査する護憲評議会などの任命権を握る。このことによって、3権の上に立つイスラム法学者による恣意(しい)的な国家運営が可能となった。
こうした閉塞(へいそく)感に対する国民の異議申し立てとして、「文明間の対話」を唱えた穏健派のハタミ大統領(任期97〜2005年)を旗印とした改革派が一時期台頭したものの、保守派の抵抗と経済運営の失敗で失速。「革命原理忠実派」と自ら名乗るアフマディネジャド大統領ら革命第2世代の強硬保守派が議会と行政府の主導権を握るようになった。その背景には、中産階級や知識層に多い浮動層の間で、体制が変わらないことへのあきらめが広がっていることがある。選挙の投票率が年々、低下傾向にあるのもそのためだ。
アフマディネジャド大統領は、条件付きながら対イラン柔軟姿勢も示唆するオバマ米新政権に「米国がイランに対して犯した過去の『罪』を謝罪せよ」と述べるなど、強硬な発言を売り物としており、経済政策では、同じ保守派内からも批判のある“ばらまき政策”を続け、ポピュリスト的な経済運営を続けている。
最高指導者ハメネイ師はアフマディネジャド大統領の再選を支持しているとうわさされ、今年6月に予定される大統領選挙では再選の可能性は高いとみられている。
イラン革命は、イスラムによる「正しい社会」の実現を目指したが、1975年には少なくとも1週間に1度はモスクで礼拝する市民は56%だったが、2000年にはこれが40%(革命後に生まれた世代は31%)へと減少したという調査結果もあり、「宗教支配」が人々を宗教回帰に導いているとはいえない面もある。「イスラム体制」という「かご」に暮らすイラン国民は果たして、自分たちの手でかごのカギを開けることができるのか。答えが出るまでには、さらに一世代かかるのかもしれない。
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