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国際関係・安全保障論

1693とはずがたり:2008/11/30(日) 06:27:16
>>1689-1691

【ムンバイ同時テロ】標的はインド資本主義の象徴
2008.11.27 21:25
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/081127/asi0811272037024-n1.htm

 武装集団が人質をとって立てこもったタージマハルホテルは、アラビア海に面している。ムンバイの旧称であるボンベイは、英国以前にこの地を支配していたポルトガルの言葉「ボン・バイア(良い港)」に由来するといわれる。インドの玄関口として栄えたムンバイ随一のホテルが狙われた背景に何があるのか。

 タージマハルホテルの開業は1903年、英領時代のことだ。現在、インド最大規模の財閥として知られるタタ・グループの創業者、ジャムセトジー・タタの怒りから、すべては始まった。

 民族主義者でもあったジャムセトジーは、欧米人でにぎわっていたボンベイのあるホテルに入ろうとして拒絶された。「インド人だから」というのがその理由。憤慨した彼が、インド人も入れる一流ホテルの建設を決意したというのはインドで有名な話である。

 しかし皮肉にも、今や同国最大の老舗ホテルとなったタージマハルホテルの宿泊料は、日本円で1泊3万円を超え、一般のインド人には高い。もちろん、近年の経済成長に伴ってインド人の利用客も増えるには増えたが、一般庶民にとって“高根の花”であることに変わりはないのが現状だ。

 英領時代の19世紀から綿花輸出港として発展したムンバイは今、インド経済の中枢である。人口約1200万人で、インド準備銀行(中央銀行)のほか、アジア最古の歴史をもつムンバイ証券取引所を抱える。タタ・グループの本拠があるのもムンバイだ。米国のハリウッドにちなんで「ボリウッド」と呼ばれるインド映画の拠点でもある。


 ただ、こうした“光”の一方で、かつてアジア最大といわれたスラム街があるのも事実だ。そのダラビ地区にはいまなお、貧困層を中心に50万人以上が暮らしているといわれる。

 1990年代に、ヒンズー教徒とイスラム教徒の間で激しい宗教抗争に発展した歴史も、“影”の部分である。2006年には200人以上が死亡する列車同時爆弾テロが起きた。

 好調だったムンバイ経済にも最近、陰りが目立ち始めている。世界的な金融危機などの影響により、ムンバイ証券取引所の代表的株価指数は大幅下落。タタ・グループも例外ではない。

 今回のテロを受けて、ムンバイ証券取引所は27日の取引を中止。外国投資への影響も懸念されている。

 インド人がインド人のために建てたタージマハルホテルは、タタ・グループという“インド資本主義”の象徴という側面も合わせもっていた。27日未明、武装集団の襲撃を受け、そのシンボルが炎上した光景をインド国民は複雑な思いで眺めたに違いない。(藤本欣也)


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