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国際関係・安全保障論
1691
:
とはずがたり
:2008/11/30(日) 00:22:55
インドなんてのはイギリスが統一する迄バラバラやったんだから各州が分離独立して仕舞えば良いんだ。
で,イスラムは分離独立してと思ったが13%も未だいるのか。
ヒンズー教徒も結構中華思想あって威張ってるんですかねぇ・・。
【インド同時テロ】インドの宗教対立とガンジー主義の行き詰まり
2008.11.28 21:01
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/081128/asi0811282103025-n1.htm
インド・ムンバイで起きた同時テロで治安部隊は28日、タージマハルホテルに立てこもる武装集団を制圧したのに続き、残るトライデントホテルにも突入、人質を解放した。イスラム過激派による今回の無差別テロは、同国で建国以来続く血塗られた宗教対立の歴史と、宗教間融和を唱えたガンジー主義の行き詰まりを改めて浮き彫りにした格好だ。
テロの舞台となったムンバイ中心部に、インド独立の父、マハトマ・ガンジーの博物館がある。ガンジーの寄宿先を改築したもので、彼はこの地で綿糸を紡ぐチャルカ(紡ぎ車)の操作を覚えたと伝えられている。チャルカは後年、国産品愛用や非暴力、不服従運動の象徴となった。
今回の事件では国際テロ組織、アルカーイダ系のイスラム過激派メンバーが拘束されており、米英などを標的とする国際組織の関与が指摘されている。それと同時に、犯人の一人が「インドのイスラム教徒は虐げられてはならない」と主張するなど、これまで国内で繰り返されてきた宗教抗争の報復との見方もある。
インドにおける1947年の独立以降の宗教抗争史は、宗教間融和、非暴力などを説いたガンジー主義の否定の歴史でもあった。
インドの人口(約11億人)のうち、ヒンズー教徒は約81%、イスラム教徒は約13%を占めている。
イスラム過激派が近年、ヒンズー教徒への「報復」を強く唱えているのは、2002年にグジャラート州で起きた宗教抗争についてだ。同州で列車火災が発生し、ヒンズー教巡礼者ら約60人が死亡した事件を機に、ヒンズー教徒がイスラム教徒などを襲撃、1000人以上が死亡したとされている。
インドでは、パキスタンが分離独立した1947年当時から、宗教間融和を訴えるガンジーを無視する形で宗教対立が激化。ガンジー自身、48年にヒンズー至上主義者に暗殺された。その後、50年から95年までに約4万人が宗教抗争で死傷したとみられている。
ヒンズー教徒とイスラム教徒の対立だけにとどまらない。シン首相はシーク教徒(人口の約2%)だが、80年代に、独立を掲げるシーク教徒の過激派とヒンズー教徒らとの対立が激化したことがあった。
当時のインディラ・ガンジー首相は84年、軍を動員し、北部アムリツァルにあるシーク教総本山の制圧作戦を強行、シーク教徒約600人が死亡した。ガンジー首相がその報復としてシーク教徒の警護隊員に暗殺されたのは、武力制圧からわずか5カ月後のことだった。(藤本欣也)
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