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国際関係・安全保障論
1233
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/04/16(日) 00:13:41
■スラムを訪問
1月にフジモリ氏の立候補がペルー中央選管によって却下された後、同氏の陣営の支持率は低迷していた。都美さんは、ペルー政府から「入国すればフジモリ氏の資金源として取り調べる」などと警告を受けながらも、ペルーを2度訪れ、陣営の集会に参加した。
リマのスラム街も訪れた。「あなたも一度行けば、私たちがどんな暮らしをしてきたか分かる」。フジモリ氏が常々、そう言っていたからだ。
水道も電気もない街で、住民たちは「チーノ(フジモリ氏の愛称)だけは私たちを助けてくれた。早く連れて戻って」と請うた。
都美さんは感極まって涙をこぼした。「彼が10年闘ってきた貧困の意味が、初めて分かった。彼がやってきたことは間違ってなかった」
多くの知人には、南米入りしてからも結婚を反対されていた。だが、南米の現実が都美さんの思いを固めさせたという。
ペルーの大手メディアは、フジモリ政権と激しく対立した経緯から、同氏の陣営の動きをほとんど伝えていなかった。だが、彼女の登場で、フジモリ派が再び紙面やテレビに登場するようになった。陣営幹部は「サトミの助けは大きかった」と話す。
投票日の9日。都美さんはペルーからチリに戻り、フジモリ氏と面会した。フジモリ派は国会議員選では120議席のうち約15議席を得た。
ペルーに引き渡すかどうか、チリで決定が出るまで数カ月かかるとみられる。引き渡されなければ、帰国の条件が整うまで共に日本で暮らすつもりだ。
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