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国際関係・安全保障論

1155とはずがたり(2/2):2005/08/06(土) 18:44:15
>>1154-1155

 夫は広島市の百貨店食堂で懸命に働いた。だが1年後、売り上げを伸ばすよう上司に言われたことが、重圧となった。それから、酒を飲んでは暴力を振るった。夫は再び、神経内科での入退院を繰り返す。その末の92年に死亡した。
 2人の子は幸い、病気一つせず育った。しかし、父親が死んでからぐれた。長男も長女も家を出て、今はどこにいるのかもわからない。
 岸さんは50歳のころに再び股関節を傷め、つえが手放せなくなった。現在も「病気の問屋」は変わらず、月4回病院に通いながら、一人で不安な毎日を送っている。年をとって気も少し弱くなり、最近は夜さえ恐い。
 「胎内被爆がどんなもんか、誰もわかってないでしょう。私の顔も名前も新聞に出していいけえ、ちゃんと伝えてね」。ほほえんで言った。
 部屋の卓上カレンダーの8月6日の欄いっぱいに、「原爆60年」の文字が書かれていた。岸さんが、実名で詳しく自らの原爆小頭症について語ったのは初めて。生まれる前から負わされ、死ぬまで続く原爆の人間破壊。岸さんの目は、それを広く伝えるよう私に託していた。口調は穏やかだったが、決して昔話を語る風ではなく、ずしりとこたえる話だった。そして、最後に言った。
 「8月6日は忘れちゃいけん日。原爆が憎い」

 ◇原爆小頭症患者 社会から孤立

 原爆小頭症患者は、妊娠早期の近距離被爆が原因で頭が小さくなり、知能や身体に複合的な障害を負った。発症の形態は、一様ではない。05年3月末現在で、厚生労働省が認定する患者は全国で23人。
 病気で長期の入院生活を送る人や、90歳近い親と2人で家に閉じこもっている人がおり、ほとんどが社会から孤立している。患者の支援を続ける村上須賀子・宇部フロンティア大教授は「親の高齢化で、患者の兄弟などには、親と患者両方の介護の負担がのしかかっている。患者だけでなく、家族全体に医療と福祉両面での支援が必要」としている。
 まだ、原爆小頭症患者に対する社会の理解は十分ではなく、岸君江さんの実名での告発は、相当の決意を伴っていた。その重みに耐えられるほどの記者なのか。そう自問自答するしかなかった。でも、正面から受けとめたい。原爆小頭症の報道を、今後も模索しようと思う。[田中博子]
(毎日新聞) - 8月6日15時4分更新


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