したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

近世日本史スレ

1■とはずがたり:2003/01/21(火) 15:53
近世日本史を語る。
近世=江戸時代は明治期の宣伝のせいか遅れた封建制度として語られることが多かった。
しかし,国民経済が形成され,工場制手工業が発達し,江戸や上方では高度な都市文化が花開いた江戸時代はまさしく「近代」である。
重商主義としての田沼政権,絶対王政としての水野忠邦政権,市民革命としての明治維新。
経済学の嚆矢とも云える経世史家たち。ゴミを出さない循環型の環境都市。我々はもっと江戸期を肯定的に捉えるべきである。

228とはずがたり:2018/09/07(金) 12:06:16

フェイクニュース信じ「安政の大獄」…操られた直弼
https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20180531-OYT8T50013.html?from=yartcl_awst
読売新聞編集委員、BS日テレ「深層NEWS」キャスター 丸山淳一
2018年06月01日 11時50分無断転載禁止

 平清盛、石田三成、そして明智光秀。近年のNHK大河ドラマは、悪役、 敵 かたき 役として名を残した人物の再評価を定番としている。にもかかわらず、現在放送中の『西郷どん』で幕末の大老・井伊 直弼 なおすけ は徹底的に悪者として描かれ、「いい直弼」の顔を見せぬまま死んでしまった。史実をたどると、そのワケと「影の分身」の存在が見えてくる。

最後まで消された「いい直弼」像

 NHK大河ドラマ『西郷どん』の第20回目(5月27日放送)で、佐野史郎さん演じる江戸幕府の大老・井伊直弼なおすけ(1815〜60)が、桜田門外で暗殺された。1963年(昭和38年)に放送された大河ドラマ第1作『花の生涯』の主人公となって以来、直弼は大河ドラマ7作品に登場するが、今回の「佐野直弼」は、最も「悪い直弼」だったように思う。

 直弼が指揮した安政の大獄は死罪8人、遠島・追放・蟄居閉門などの処分者は100人以上にのぼる江戸時代最大の政治弾圧だったから、悪役となるのは仕方ない。だが、ドラマの中で直弼は、西郷吉之助(隆盛)(1828〜77)の寝返りを誘い、13代将軍徳川家定(1824〜58)の遺言をねじ曲げ、次期将軍候補の一橋慶喜よしのぶ(1837〜1913)の暗殺を企てるなど、史実の裏付けのない話にも手を染め、最期は決めゼリフのひとつもなく屍しかばねをさらす。

 これまでの大河ドラマには、日本の未来を見据えて開国を決断し、批判にも信念を曲げずに幕府に忠誠を尽くす「いい直弼」像がどこかにあった。なぜ『西郷どん』は“定石”を取り入れなかったのか。

 それは幕末の動乱を描く対立軸を、これまでの定石だった「開国か攘夷じょういか」という気高い思想対決ではなく、「次の将軍を誰にするか」というドロドロした権力闘争に据えたからではないか。確かに、この方がよほど史実に沿っている。

賄賂、接待、怪文書…国難そっちのけの“仁義なき戦い”

 幕末の動乱は1858年(安政5年)、朝廷が日米修好通商条約の締結を事前に了承(勅許)しなかったあたりから本格化する。だが、当事者たちが実際に条約勅許問題に割いたエネルギーは決して大きくなかった。条約を軽視していたわけではなく、外国人が大嫌いな孝明天皇(1831〜67)が条約を了承するわけがないと思っていたからだ。

 朝廷を説得するため入京した幕府の交渉団は、江戸から3万両の賄賂を持参したとされるが、天皇は先手を打って関白の九条尚忠(1798〜1871)に「今回の条約は大変重要なので、関東からの賄賂は受け取らず、安易に言い分を受け入れないよう」とクギを刺していた。それでも一部の公家は賄賂を懐に入れたが、条約締結には反対し続けた。

 朝廷工作の主眼は早々に家定の後継問題へと移り、慶喜を推す一橋派と紀州藩の徳川慶福よしとみ(1846〜66)を推す南紀派が、有力公家の抱き込みを競った。一橋派の薩摩藩は西郷、福井藩は橋本左内(1834〜59)を諜報工作員として送り込み、南紀派は直弼が送り込んだ彦根藩の長野主膳(1815〜62)が暗躍する。

 賄賂や接待、密書、密告、怪文書が飛び交う朝廷工作は一橋派が優勢だったが、主膳は一発逆転の手を打つ。一橋派がばらまいた怪文書を利用して、ありもしない陰謀話をでっち上げたのだ。

勅書から消された3資格…遺恨残した逆転劇
 主膳は水戸藩が書いたと見られる条約締結に反対する文書を、慶喜の父の徳川斉昭なりあき(1800〜60)が天皇に提出した上奏文だと偽って、「斉昭は攘夷を説くことで朝廷に取り入り、朝廷を慶喜の将軍擁立に利用しようとしている」と関白の九条に吹き込んだ。今でいうフェイク(嘘うそ)ニュースに過ぎないのだが、あわせて贈った賄賂の効果もあって、九条は南紀派に寝返る。主膳はこの陰謀話を江戸の直弼にも報告し、フェイクニュースは江戸城内に拡散した。

 九条は勅書の最終チェックができる「内覧」職を兼ねており、味方につけた効果は絶大だった。一橋派は「次期将軍は年長・英傑・人望ある者が望ましい(=次期将軍は年長の慶喜がよい)」とする勅書を得るところまでこぎつけていたが、九条は勅書を幕府側に交付する直前、独断でこの3つの資格を削った。陰謀で逆転負けを食らった一橋派は、主膳と直弼への恨みを募らせた。

229とはずがたり:2018/09/07(金) 12:06:58

失態隠蔽の「でっち上げ」が大弾圧の火種に
 一方、条約に関する天皇の勅書は、予想通り「御三家などでよく話し合い、慎重にきめるように」という事実上のゼロ回答だった。もはや調印の引き延ばしもできず、幕府は天皇の許しがないまま条約に調印してしまう。直弼は天皇の許しを得るまで調印をさらに延期するよう指示したが、開国派の幕僚に押し切られた。

 当然ながら天皇は激怒し、幕府に抗議の勅書を送った。抗議といっても「御三家・御三卿も一致団結して国難にあたれ」という当たり障さわりのない内容だったが、勅書が幕府だけでなく、御三家代表の水戸藩にも送られたこと、さらに幕府より水戸藩に2日早く出されたことが問題となった。

 元毎日新聞記者で歴史家の松岡英夫さん(1912〜2001)の『安政の大獄--井伊直弼と長野主膳』(中公新書)によると、この時、主膳は勅書が出されたことすら知らなかった。ネタ元の九条は知っていたはずだが、「当たり障りのない内容だし、主膳に伝えるまでもない」と判断したのかも知れない。諜報工作員としては大失態だ。

 焦った主膳は、またしても斉昭の陰謀話をでっちあげた。「水戸への勅書は斉昭が朝廷工作の末に出させた『密勅』なのだ」というフェイクニュースを直弼に送り、失態をごまかそうとしたわけだ。

 主膳の報告を信じた直弼は激怒し、“密勅“関係者の摘発に乗り出した。こうして安政の大獄が始まった。主膳は京都の敵対勢力を一掃する好機ととらえ、直弼に告発を重ねた。捜査の過程で西郷の挙兵計画や、吉田松陰(1830〜59)の老中襲撃計画まで明らかになり、大獄はどんどん拡大した。主膳に「摘発が手ぬるい」と告発された京都町奉行まで更迭され、主膳は「京の大老」と恐れられた。

 直弼は「水戸藩に出した“密勅”を返せ」という命令を朝廷に出させた。納得できない水戸藩士は水戸郊外の長岡宿(茨城県茨城町)に集結し、使者から力ずくで勅書を奪い返そうとしたが失敗。標的を直弼に変える。主膳のフェイクニュースは、主君の命を奪う一因にもなった。

ともに不遇の前半生…恩人を信じた直弼

 主膳は直弼が彦根藩主になる前からの和歌や国学の師で、諜報工作のプロではない。朝廷工作を任されたのも、一時、公家の二条家に仕え、歌会などで公家と面識があるだろうという程度の理由だった。にもかかわらず直弼が主膳の情報を信じたのは、長い不遇時代を支えてくれた恩人だったからだろう。

 直弼は彦根藩主の十四男として生まれ、他藩への養子の口も兄弟に奪われて、「藩主の跡継ぎのそのまた予備要員」として、埋もれ木のように朽ち果てる生涯を覚悟していた。主膳は直弼の屋敷(埋木舎うもれぎのや)をたびたび訪れ、学問という“養分”を注入して心が朽ち果てないよう直弼を支えた。主膳が初めて埋木舎を訪れた時、2人は3夜にわたって語り合い、直弼は主膳を「血縁の兄弟のように思った」と記している。

 一方の主膳も不遇の時代があったようだ。主膳は自身の出自や前半生を直弼にしか明かしていない。以前に「幻の宝刀・蛍丸」で紹介した肥後(熊本県)阿蘇神社の大宮司家に拾われた捨て子だった、という説もある。

 後継ぎと藩主の相次ぐ死で、予期せず彦根藩主となった直弼は、家老の反対を押し切る形で主膳を藩士に取り立てた。血縁の兄弟のように結ばれた2人は不遇からはい上がり、権力の階段を駆け上がっていく。

230とはずがたり:2018/09/07(金) 12:07:08
>>228-230
膨大なエネルギーを浪費…政争の結末は?
 将軍後継争いで対決した一橋派の重鎮2人も、血筋をめぐる因縁を抱えていた。水戸徳川家は、紀伊、尾張両家が受け入れた11代将軍家斉(1773〜1841)の男子を養子に迎えておらず、将軍家の血が入っていない。斉昭はそのおかげで当主になれたのに、子の慶喜を将軍に推した。福井藩主の松平慶永よしなが(春嶽)(1828〜90)は田安家から越前松平家に養子に入ったが、この後に田安家当主は空席となる。養子入りが少しずれていたら、慶永自身が有力な将軍候補になっていた。慶永は「自分は後継争いに口を出す権利がある」と思っていたという。

 血筋が決めた長い順番待ちに耐えた直弼が、血筋を重視して慶福を推したのは分かる気がする。だが、政争に費やした膨大なエネルギーは、結果的に幕府滅亡の足を早めただけだった。慶福は14代将軍家茂となるが、敗れた慶喜もその4年後に将軍後見職に就き、家茂の急死で15代将軍となる。安政の大獄で多くの優秀な人材が失われ、直弼暗殺後、主膳も安政の大獄への批判をかぶる形で逮捕・斬首された。

 ないはずの文書が出てきたと思ったら改ざんされる。「伝聞の伝聞」の文書を見て「ウソをつきました」という文書が出たが、それもウソかも知れない――「森友・加計問題」をめぐる迷走は「深層NEWS」でも何度も取り上げた。「一点の曇りもない」のか「疑惑はますます深まった」のか、1年以上たっても分からない。もううんざりと思う人も多かろう。

 だが、ひとつのフェイクニュースが歴史を動かす一因になった例は、幕末の動乱以外にもたくさんある。うみを出し切るまで見守らないと、膨大なエネルギーを費やした意味がない。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板