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近世日本史スレ
1
:
■とはずがたり
:2003/01/21(火) 15:53
近世日本史を語る。
近世=江戸時代は明治期の宣伝のせいか遅れた封建制度として語られることが多かった。
しかし,国民経済が形成され,工場制手工業が発達し,江戸や上方では高度な都市文化が花開いた江戸時代はまさしく「近代」である。
重商主義としての田沼政権,絶対王政としての水野忠邦政権,市民革命としての明治維新。
経済学の嚆矢とも云える経世史家たち。ゴミを出さない循環型の環境都市。我々はもっと江戸期を肯定的に捉えるべきである。
154
:
とはずがたり
:2012/03/12(月) 09:06:42
SBI証券のメルマガより♪最近別の所で金次郎の話を聞いたばかりだが流行っているのか?掛川は大日本報徳社の本社がある街である。
< じぶん年金定期便 >
【 第4号 】
mail@sbisec.co.jp
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【二宮金次郎はどこへ行ったのか・・・?】
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古い小学校の校庭では、よく見ることが出来た二宮金次郎の銅像。最近ではすっかり姿を消してしまいました。
本当に懐かしいですよねぇ〜(えっ、年がわかてしまうって?)
ところで二宮金次郎、薪を背負って本読むほどの勤勉な少年だったことは誰でも知っていますが、いったい何をした人物なのでしょうか?
二宮尊徳(金次郎は幼名)は、1787年、小田原に生まれました。彼が生まれたのは、現在の日本のように人口が減少傾向にあり、経済停滞が持続する閉塞した時代だったようです。地方の農村では、飢饉が頻発し、娘の身売りや逃散(農民が自らの田畑を捨て、江戸などの都市部に逃げること)が絶えませんでした。国定忠治などの股旅物の多くは、まさにこの時代のイメージですね。
農民の子として生まれた金次郎が、銅像のように勉学に励んだ結果、困窮に陥った大名家や村の財政を立て直す指南役として大活躍することになりました。金次郎をして、江戸の「名経営コンサルタント」と絶賛する人もいるくらいです。
また、金次郎の思想は、経済と道徳の融和を訴えます。
私利私欲に走るのではなく、社会に貢献することが結果的には自らに還元するという『報徳思想』を築いたことでも有名になりました。
その思想は、現代のビジネス界においても信奉者が多く、その勢いは海外にまで広がっているくらいです。
(報徳思想についての詳細は、『国際二宮尊徳思想学会』のホームページをご参照ください)
金次郎は、このように“勤勉”、“藩や市町村の再建”、“報徳思想”で名を上げた人物として有名なのですが、今回は、金次郎の功績を別の角度から取り上げた猪瀬直樹氏(東京都副知事)の金次郎像をご紹介いたしましょう。
以下は、猪瀬氏の『二宮金次郎が薪を背負っている理由』(文春文庫)を参考にしています。
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【二宮金次郎ファンド(?)】
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金次郎は、『五常講』と呼ばれるマイクロファイナンスのような融資制度を考案します。例えば、十両のお金を貸し付けたとします。相手は、町の金貸しが決して貸さないような農民です。毎年二両を返済してもらうことになるので、5年での完済となりますが、「5年間二両ずつ返済して生活ができたのだから、もう1年二両を支払っても大丈夫だろう」として、6年目にもう二両出させます。
ただし、この二両は自分の儲けではありません。『推譲』と呼び、五常講の新たな資金としてファンディングします。推譲されたお金は次の融資に使われ、次の推譲が生まれることで、次々と資金が膨らんでいきます。
次第に、二宮金次郎ファンドと呼んでも差し支えない規模に成長しました。金次郎ファンドは、最初は個人向けに融資していましたが、それが村単位の出資に拡大。さらに広がり、関東600カ村に融資するまでになりました。最終的には、関東平野の小大名や旗本にも融資をすることとなったのです。
155
:
とはずがたり
:2012/03/12(月) 09:07:02
>>154-155
あるとき、二宮金次郎は才を買われて、小田原藩家老である服部家の借金整理に知恵を貸すことになるのですが、金次郎が最初に行ったのは意外なことでした。金次郎は女中を全員集め「ススを1升持ってきたら2文やる」と指示します。女中は意味がわからなかったのですが、「二文もらえるなら」と一生懸命お釜を磨いて、そのススを金次郎のところに持っていきます。
当時は、お風呂の湯沸かしから飯炊きまで、すべてお釜で行います。そのお釜をピカピカに磨くことで、燃料効率のアップを目指したのでした。お風呂を沸かすのに、10本使っていた薪が7本ですむようになったら、3割のコスト削減につながるという意味です。
まずはコスト削減。そこで浮いたお金を運用して利益を出していくという考え方。このコスト削減の部分ばかりがクローズアップされて、「二宮金次郎=節約」といったイメージが定着していますが、金次郎の本質は浮いたお金を「運用」した点にあるのです。
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【キーワードは、『分度推譲』と『積小為大』】
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金次郎のこうした逸話は、低利融資、節約、運用といった彼の“利の悟さ”を想起させますが、その経済感覚の底辺にある思想を忘れてはいけません。
「人はお金だけで動かすことはできない」、「思想を農民の腹におとす」ことが何よりも重要であることを、農民出身の彼はよくよく理解していたのでしょう。
金次郎の思想を端的に表している言葉を二つ、紹介することにしましょう。
『分度推譲』… 分度とは、自分の生活の「度」(レベル)を認識し、その範囲内で慎ましい生活をすること。推譲とは、今あるお金をすべて使い切ってしまうのではなく、一部を将来の生活のため、子孫のため、あるいは、公共の利益のために振り分けることが大切。それが、結果的には、自分の利益につながるという考え方。
『積小為大』… 小を積んで大を為す。節約の大切さを訴えるだけではなく、日頃の小さい積み重ねが出来ない人間に大事を為せるはずがないことを教える考え。
ところで今回の二宮金次郎のお話、「じぶん年金」と何の関係があったのでしょうか?実は、大ありでして、「じぶん年金」作りは、まさに『積小為大』、「分度推譲」の世界だったのです。
なぜって、自分年金の積立投資は『小を積んで大を為す』ことで、毎月のお給料から積立金を捻出するのは『分度』、そのお金がやがては自分の将来の生活を豊かにし、子供や孫のためにもなる『推譲』につながるというわけです。
つまり、「じぶん年金」作りは、単に将来の経済的な豊かさを追求するためのものではなく、お金を積み立てることで自らの『徳』を築くことでもあったのですね。
【上地明徳のプロフィール】--------------------------------------------
株式会社SBI証券 特別顧問
信州大学経営大学院 客員教授
上地 明徳
学習院大学経済学部卒業、早稲田大学大学院経済学研究科修士課程修了。
モルガンスタンレー証券、明治学院大学経済学部非常勤講師、日本インベスターズ証券専務取締役等を経て現職。
来る人口減社会というパラダイムシフトに対応し、金融システム、年金、福祉、教育などの諸分野において、新たな社会システムをデザインする。
現在、特に、国の制度に頼らない自立した『じぶん年金』作りの普及活動、『人間を幸福にするファイナンシャルモデリング』の研究に注力している。
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