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近世日本史スレ
154
:
とはずがたり
:2012/03/12(月) 09:06:42
SBI証券のメルマガより♪最近別の所で金次郎の話を聞いたばかりだが流行っているのか?掛川は大日本報徳社の本社がある街である。
< じぶん年金定期便 >
【 第4号 】
mail@sbisec.co.jp
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【二宮金次郎はどこへ行ったのか・・・?】
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古い小学校の校庭では、よく見ることが出来た二宮金次郎の銅像。最近ではすっかり姿を消してしまいました。
本当に懐かしいですよねぇ〜(えっ、年がわかてしまうって?)
ところで二宮金次郎、薪を背負って本読むほどの勤勉な少年だったことは誰でも知っていますが、いったい何をした人物なのでしょうか?
二宮尊徳(金次郎は幼名)は、1787年、小田原に生まれました。彼が生まれたのは、現在の日本のように人口が減少傾向にあり、経済停滞が持続する閉塞した時代だったようです。地方の農村では、飢饉が頻発し、娘の身売りや逃散(農民が自らの田畑を捨て、江戸などの都市部に逃げること)が絶えませんでした。国定忠治などの股旅物の多くは、まさにこの時代のイメージですね。
農民の子として生まれた金次郎が、銅像のように勉学に励んだ結果、困窮に陥った大名家や村の財政を立て直す指南役として大活躍することになりました。金次郎をして、江戸の「名経営コンサルタント」と絶賛する人もいるくらいです。
また、金次郎の思想は、経済と道徳の融和を訴えます。
私利私欲に走るのではなく、社会に貢献することが結果的には自らに還元するという『報徳思想』を築いたことでも有名になりました。
その思想は、現代のビジネス界においても信奉者が多く、その勢いは海外にまで広がっているくらいです。
(報徳思想についての詳細は、『国際二宮尊徳思想学会』のホームページをご参照ください)
金次郎は、このように“勤勉”、“藩や市町村の再建”、“報徳思想”で名を上げた人物として有名なのですが、今回は、金次郎の功績を別の角度から取り上げた猪瀬直樹氏(東京都副知事)の金次郎像をご紹介いたしましょう。
以下は、猪瀬氏の『二宮金次郎が薪を背負っている理由』(文春文庫)を参考にしています。
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【二宮金次郎ファンド(?)】
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金次郎は、『五常講』と呼ばれるマイクロファイナンスのような融資制度を考案します。例えば、十両のお金を貸し付けたとします。相手は、町の金貸しが決して貸さないような農民です。毎年二両を返済してもらうことになるので、5年での完済となりますが、「5年間二両ずつ返済して生活ができたのだから、もう1年二両を支払っても大丈夫だろう」として、6年目にもう二両出させます。
ただし、この二両は自分の儲けではありません。『推譲』と呼び、五常講の新たな資金としてファンディングします。推譲されたお金は次の融資に使われ、次の推譲が生まれることで、次々と資金が膨らんでいきます。
次第に、二宮金次郎ファンドと呼んでも差し支えない規模に成長しました。金次郎ファンドは、最初は個人向けに融資していましたが、それが村単位の出資に拡大。さらに広がり、関東600カ村に融資するまでになりました。最終的には、関東平野の小大名や旗本にも融資をすることとなったのです。
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