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政治思想総合スレ

1■とはずがたり:2002/12/07(土) 02:10
ウヨ・サヨ・保守・リベラル何でもありで且つ冷静に。思想史なんかも歓迎で。

675とはずがたり:2018/02/04(日) 16:54:49
反米でハイエク的保守だったようだね。

俺も保守だから神仏習合推進派だ。明治以降の狂った神道なんかは絶滅させるべきだと思う。寺の片隅に再び押し込んでしまへ。

左右の壁を軽々と乗り越えた保守派論客、西部邁が残した問いかけ
https://dot.asahi.com/aera/2018013100013.html?page=1
桐島瞬2018.2.1 11:30AERA#お悔やみ

西部邁(にしべ・すすむ)/1939年、北海道生まれ。64年、東京大学経済学部卒業。在学中、東大自治会委員長・全学連中央執行委員として60年安保闘争に参加。学生運動から離脱後は、大学院に進学して近代経済学を研究し、横浜国立大学助教授、東大教養学部助教授、同教授を歴任。テレビ朝日系の「朝まで生テレビ!」に出演するなど、保守派論客として活躍した。最近まで雑誌「表現者」顧問(撮影/高井正彦)

2017年5月発売の本誌で弟子の中島岳志さんと対談をした西部さん。保守と右翼の違いやトランプ米政権などについて縦横に語った(撮影/写真部・大野洋介)

 評論家の西部邁さん(78)が1月21日早朝、亡くなった。東京都大田区の多摩川に自ら身を投じた。右派にあって保守思想を説きながら、思想の壁を乗り越えて左派とも論じあった思想家は、どう生きたのか。ジャーナリスト桐島瞬が取材した。

【弟子の中島岳志さんと対談をした西部さん】

*  *  *
「a few weeks」

 年明け、西部さんに近い知人は、日本語で「数週間」を意味する言葉を本人から聞かされていた。

 東京工業大学教授で西部さんと師弟関係にある中島岳志さん(42)は、そのときの様子をこう振り返った。

「1月5日に仕事の打ち合わせでお宅にうかがった際、集まった人たちの前で『a few weeks』と言われたのです。先生は病院で死なずに元気なうちに自ら命を絶つ『自裁死』を選ぶと以前から決めていて、昨年になっていよいよだということで死に方を含めて聞かされていた。そのため、『数週間』が何を意味するのかすぐに分かりました」

 昨年後半、実行を一度延期したことを聞いていたため、次回に会う時がお別れの会になると気づいていた。

「会ってしまえば自死を後押しすることになる。とはいえ、行かなければもう会えないかもしれない。会いたいけど会いたくない複雑な気持ちでした」

 頸椎(けいつい)からくる腕の痛みがここ2、3年激しくなっていた。西部さんの著作の装丁などを担当し、25年以上の交流がある芦澤泰偉さん(69)が言う。

「頸椎を痛めたのは4年ほど前。先生はリビングルームに製図版を置き、一心不乱に原稿を書き連ねるタイプ。こうした長年の蓄積が首に負担をかけ、両手が冷えと痛みに襲われるようになりました。活動は以前通りでも、家でも常に手袋と赤外線ヒーターが欠かせず、外で講義中に激しい痛みに耐えきれず途中で帰ってくることもありました」

676とはずがたり:2018/02/04(日) 16:55:06

 最近は痛みから字が書けなくなり、昨年12月に出版され、遺作となった『保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱』(講談社現代新書)は、娘の智子さんに語りかけるという、口述筆記でまとめられた。

 その中に書かれているが、いわゆる「病院死」では他人に見せたくない苦痛や不安をさらしてしまう。2014年には、8年間にわたる看病の末に妻を亡くした。子どもたちに同じ負担をかけたくないとの配慮もあった。加えて人生に対するやるせなさも追い打ちをかけたようだ。

「自分が今まで書いてきたことを、誰も真剣にとらえていないと嘆いていました。先生は机に向かって本を書くだけではなく、討論会を開いたりして実践的に行動していた。直感が鋭い人だったので、相手のちょっとした反応から見抜いてしまう。生きることにどこかむなしさを感じていたのではないでしょうか」(芦澤さん)

 西部さんは、自宅から約7キロ離れた東京都大田区田園調布の多摩川で見つかった。芦澤さんは事前にこの場所を知らされていた。

●首相への励ましと距離

「3年ほど前、タクシーの中で『芦澤、やるとしたら俺はこの多摩川だぞ』と言われました。拳銃で自分を撃てば、川に倒れて死ねると。銃の入手はうまくいかずにあきらめたようですが」(芦澤さん)

 テレビ朝日系の「朝まで生テレビ!」などの討論番組では、保守論客として怒りにも似た激しさとロジックを言葉に込め、論争相手をじわじわと追い詰めていった。そんなねちっこさがいまも印象に残る人も少なくないだろう。それと同時に繊細さも持ち合わせていた。中島さんが言う。

「言葉に非常に強い思索があり、相手がどうしてその言葉を使ったのかとずっと考え、そこから人間の普遍を見ていた。だから人物評も非常に鋭く、なぜそういう行動をしたのかをいつも的確に分析していました。かと思えば、若者や気持ちのよい人間と楽しく過ごしたいという意識も強く、自らその場を盛り上げる気配りや優しさも持っていました」

 昨年12月発売の本誌でウーマンラッシュアワーの村本大輔さんと対談した際も常に笑いを絶やさず、元旦に村本さんが討論番組の「朝まで生テレビ!」に出演して発言が炎上したときにも、心配していたという。

 西部さんの優しさを象徴するエピソードとして中島さんが挙げるのは、07年、安倍晋三首相が病気で総理を辞めたときのことだ。

「私が安倍内閣はいかにおかしかったかを雑誌に書いたら、先生にこう叱られました。『中島君が書いていることは全部正しい。けれどもドブに落ちた人間をたたくな。知識人なら励まそうという態度を取らないといけない』。その後、先生は安倍さんを励ます会を開き、保守の勉強会をしばらく続けていました。すごいのは、安倍さんが政権に返り咲くと今度は遠ざけていたことです。権力と距離を取る姿勢はさすがだと思いました」

●保守派に対する不満

 芦澤さんや中島さんが口をそろえて言うのは、「先生から酒場で多くのことを教わった」ことだ。西部さんは飲みながら議論をするのが好きで、新宿界隈の飲み屋をはしごしながらいろんな人たちと酒を酌み交わしたという。自宅の近くにある行きつけのバー、「ローズ」のママ、坂本ナポリさん(59)が言う。

「西部先生が主宰していた雑誌『表現者』の打ち合わせで10人ぐらい集まると、政治の話が延々と終わらない。かと思えば、思想的に右と左の両方の人たちを集めて楽しく飲むこともありました。歌もお好きで、三橋美智也や島倉千代子、イタリア映画の主題歌などをよく口ずさんでいたのを覚えています」

677とはずがたり:2018/02/04(日) 16:55:29
>>675-677
 そんな西部さんも、正しい保守が日本に定着しないことにはいら立ちを見せていたという。

 昨年5月発売の本誌で、西部さんは中島さんとの対談でこう語っている。

「トランプ米大統領をはじめ、世界の指導者でもゴロツキがたくさん出てきた。(略)反社会的勢力が得意とする、『俺たちは、場面場面でものを言っとるんじゃ』という態度と同じ。そういう人間は矛盾を指摘されてもまったく動じない。昔の保守政治家には、相矛盾した二つをギリギリつなげる微妙で繊細な語彙(ごい)、ユーモアがあった。今は、それもなくなり、ただの乱暴な言葉だけだ」

 中島さんが解説する。

「保守思想のエッセンスは、人間は間違いやすい存在で、その人間が構成する社会は永遠に不完全。だからこそ長い年月をかけて残ってきた伝統や慣習に言語化されえない英知が含まれていて、それを継承しながら世の中を徐々に変化させる改革でなくてはならないというものです。ですが、日本のほとんどの保守派と言われる人たちはその思想を共有していないことに不満を持っていました」

 具体的には日米安保を基軸とする親米保守派を批判し、時として論争を巻き起こした。

「アメリカは近代的な理性によってユートピアをつくることができると考えている点で、ソ連と同じ左翼国家と捉えていました。そのアメリカニズムを日本が喜び勇んで取り入れたことに憤りがあったのです。西部先生のこうした考えは、左派として活躍した学生運動の頃から一貫しているのだと思います」

●寅さんじゃないけど

 芦澤さんも「戦後、あまりにも経済に流されてしまった日本はもっとしっかりしないといけないと、文化と自立の大切さを教えてもらった」と回顧する。

『保守の真髄』のなかで西部さんは、「死に方は生き方の総仕上げ」とし、世界最長寿国の日本人が死に方を真剣に考えない姿勢を嘆いた。

 村本さんとの本誌対談では、西部さんは最後にこんな言葉を残している。

「ストレスがあって白髪が増えてハゲになっても女房や子どもには何も知らせず、さも楽しげに老いたオオカミとして暮らしているように見せないといけない。寅さんじゃないけど、男はつらいんだよ」

 いかに生きるかを社会に問いかけて生を終えた思想家。その鋭い言葉をもう少し聞きたかった。(ジャーナリスト・桐島瞬)

※AERA 2018年2月5日号


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