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政治思想総合スレ

1■とはずがたり:2002/12/07(土) 02:10
ウヨ・サヨ・保守・リベラル何でもありで且つ冷静に。思想史なんかも歓迎で。

613とはずがたり:2017/02/05(日) 22:52:34
何所のスレに投下するか迷ったけど右翼スレ化してたけど政治論そのものとして此処へ投下。

アメリカ
トランプ政権は必ず行き詰まる!いまこそ問われる民主主義の「限界」
【連載】たそがれる国家(4)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50878
内山 節哲学者

民主的に生まれた「独裁権力」

1804年、ナポレオン・ボナパルトは国民投票によってフランスの皇帝となった。フランス革命後の混乱やヨーロッパ諸国のフランス包囲網との戦いのなかで、ナポレオンはその前から完全に権力を掌握していたが、ついにこの年、独裁権力を完成させたのである。

1933年には選挙結果を受けて、ドイツでヒトラーが首相に就任している。翌年には総統となり、ナチスによる独裁権力を確立した。

このふたつの政権がおこなった政治の内容は、もちろん大きく異なっている。だが国民投票や選挙によって独裁権力を確立したという点では共通性をもっている。

国民の投票という「民主的」方法で権力を確立し、しかしその結果生まれた権力は、「民主的」な政権とはほど遠いものであった。このような政治権力のあり方を、私は「民主王朝制」と呼ぶことにする。民主的な手段で、王朝を確立したということである。

ヒトラーは民主的な方法で独裁権力を確立した〔PHOTO〕gettyimages
それとは逆に、「王朝民主制」というかたちも成立しうるだろう。王朝としての絶対権力を揺るがさないかぎりで、民主的な手法を取り入れるということである。

民主主義は政治権力が民主的に選ばれるだけではなく、政策の成立過程やその実行過程もまた民主的におこなわれることによって完成する。だがこのような完全な民主主義は成立したためしがない。実際には程度の差こそあれ、民主王朝制のような性格をもちながら現実の政治はおこなわれてきたといった方がいい。

ただし古い王朝制と民主王朝制には、国民投票や選挙によって王朝が生まれるか否かという相違だけではなく、次のような違いがある。

古い王朝制は特定の階級、階層を基盤にして成立していた。近代以前の王朝は、その多くは領主権力を基盤にしている。

それに対して民主王朝制は、「全人民」のための権力という性格をもつことになる。

ナポレオンはフランスの「全人民」の皇帝であったし、それがゆえにこのような権力のかたちはボナパルティズム権力といわれるようになった。ナチズムも全ドイツ人の権力としてみずからを位置づけている。決して特定階級の権力ではないのである。

そしてそれがゆえに、民主主義と民主王朝制は区別がつきにくくもなる。

トランプ政権の行方

たとえば、まだはじまったばかりではっきりとはしないが、アメリカのトランプ政権の方向性は、いまのところより強権的な民主王朝制に向かっているように思われる。

あたかも絶対権力をもった王様であるかのように、大統領令の連発やツイッターによる攻撃、閣僚の任命をおこないながら、いわば独裁的な大統領になろうとしているかのごとくである。

614とはずがたり:2017/02/05(日) 22:52:45

ところがトランプは、「全人民」の大統領になる基盤を失っている。彼を支持する人たちの大統領なのである。

そしてそうである以上、彼を支持しない人たちとの軋轢を生みつづけることになるだろう。この対立があるかぎり民主主義は維持されるのであり、彼の政策のいくつかは法的にも否定されることになるかもしれない。

とすると民主王朝制的な権力が生まれた結果、民主主義が維持されるということになる。

民主王朝制の国・韓国(とは註:この辺http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1440116307/2673-2674も参照)

もっとわかりやすいのは韓国である。

韓国でも大統領は選挙によって選出される。ところが当選した大統領は、あたかも王朝の王様であるかのごとく一族や側近を優遇し、近づいてくる資本家などに便宜を与える。まさに民主王朝制なのである。

だから政権が変わると、敗北した王朝のように不幸な日々がもたらされてしまう。

そういう構造だから、王朝は権力を維持しなければならないし、他の政治家たちは権力の獲得のためには何でもするという行動にでる。一方は王朝を維持しようとし、他方は新王朝を確立しようとするのである。

ところがそのために必要なことは選挙で勝つことだ。とすると「国民の意志」に迎合することや国民を扇動することが必要になってくる。典型的なデマゴーグの政治が発生するのである。ポピュリズムは大衆迎合だが、デマゴーグは人々の支持を得るためには何でもやる扇動政治家である。

だが韓国の状況も、そう言って片づけてしまうこともまたできない。なぜなら選挙へと向かう国民のプロセスのなかには、政策の確立過程やその執行過程の民主的な運営を求める意志が内包されているからである。

民主主義を内包しながら、民主王朝制が展開してきた、それが李承晩独裁政権が終わってからの韓国の歴史だったといってもよい。

民主主義の危機?

近代になって生まれた政治制度には、つねにこのような問題がつきまとってきたのである。

その原因は、国家があまりにも大きな権力をえてしまったことにある。

大統領制であれ議院内閣制であれ、選挙に勝ってしまえば強大な権力を手に入れることができる。

もちろん制度としては行政と立法、司法は別だ。立法府の同意がなければ行政は法律や条約をつくることはできないし、司法は憲法にしたがってそれを監視することになる。

だがこの三権分立も理想どおりに展開したことはない。

行政と立法の関係でいえば大統領制の方が大統領と国会の対立を生みやすく、内閣と国会が一体化してしまう議院内閣制よりはましだということもできるが、実際にはさまざまな懐柔や選挙への思惑などがあって、立法府による行政府への批判が正当なものである保証もまたないのである。

さらには司法の独立性が十分に機能している国を探すことの方が困難なのが現実である。

すなわち、選挙に勝てばあまりにも大きな権力を手に入れることができるがゆえに、つくられた権力は民主王朝制的な性格を大なり小なり帯びることになり、選挙に勝つことが絶対化されるためにポピュリズムやデマゴーグの政治が跋扈することになる。

それは民主主義の危機というものではなく、民主主義がもつ属性だと考えた方がいい。

615とはずがたり:2017/02/05(日) 22:53:06
>>613-615
完全な民主主義などない

中国などは、独裁権力を維持しうる範囲で民主的な制度を取り込もうとする。ある程度民主的な制度を取り入れないと、独裁権力を維持できないからである。

そういうあり方を王朝民主制と呼べば、他方では民主王朝制が生まれてくる。現代世界は、このような構図のなかでとらえることもできる。

ただし民主王朝制には、ソフトな民主王朝制とハードな民主王朝制があると考えておいた方がいい。ハードな民主王朝制としてはナチス・ドイツがあった。それは批判を許さない独裁権力として成立した。

だが自由な批判が許されている国でも、批判する過程での意思表示の過程などで民主主義が機能しているだけであって、政治権力としては強大な権力が維持されていることに変わりはない。

かつてマックス・ウェーバーは『職業としての政治』のなかで、「『すべての国家は暴力の上に基礎づけられている』。トロツキーは例のブレスト―リトウスクでこう喝破したが、この言葉は実際正しい」(岩波文庫 脇圭平訳)と述べていたが、国家は暴力を独占することによってその機能を維持している。

ウェーバーは、ゆえに高い倫理性を政治を職業とする者たちに求めていたのだが、そう提起するほかないほどに、国家は権力を集積させているのである。

そしてそのことがひとつの王朝を成立させてしまうことになる。ただし王朝の成立のためには選挙に勝つことが必要になる。それがポピュリズムやデマゴーグを発生させることになる。

比較的民主的だと思われている国にあるのはソフトな民主王朝制であり、強権的だと思われているのはハードな民主王朝制であるという違いはあっても、国家が強大な権力をもつ以上、完全な民主主義は成立しようもないのである。

トランプ政権のジレンマ

とすると現在世界で争われているのは、ソフトな民主王朝制を維持するのか。ハードな民主王朝制が必要なのかという対立だということになる。

前者は自由、平等、友愛、民主主義といった近代の理念、近代の建前の維持を求め、後者は何よりも自分たちの利益を重視する。強い国家をつくることによって、自分たちの利益を守ってもらおうとするのである。

トランプ政権は、後者の立場を支持する人たちを基盤にして成立した。そしてそれがゆえにジレンマに陥るだろう。

後者の人たちの希望に応じなければ支持基盤を失うし、その路線だけで動けば「全人民」の大統領としての強い王朝をつくることはできないからである。それだけでは、絶えず強い批判を受ける政権になってしまう。

完全な王朝をつくるためには「全人民」の支持が不可欠なのである。たとえそれをポピュリズムやデマゴーグによって成立させるとしても、その技術に長けている必要がある。だがいままでの過程でみえてきていることは、トランプ政権にはその能力がないようだということである。

ただし私たちに突きつけられている課題は、近代の民主主義が民主王朝制を生んでしまうことをどう克服するかにある。

この問題が克服されないかぎり、私たちはソフトな民主王朝制の下で管理されるか、ハードの民主王朝制の下で縛られるかという選択しかなくなってしまうからである。

そしてそのことがみえてきた時代のなかに、私は黄昏れる近代、黄昏れる近代国家の時代を感じている。

(*連載バックナンバーはこちら http://gendai.ismedia.jp/list/author/takashiuchiyama


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