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政治思想総合スレ
313
:
とはずがたり
:2007/12/21(金) 15:00:44
>>312-313
ちなみに、昨年の天皇即位十周年記念式典を見ていると、天皇制さえ「J天皇制」に変質したかに見える。かつて「大日本帝国」は「皇紀二千六百年」を記念する音楽をリヒャルト・シュトラウスらに委嘱した。一昔前でも、天皇のための「奉祝曲」といえば、黛敏郎のような作曲家が作っていただろう。ところが、先の式典では、首相のまわりをGLAYやSPEEDが囲み、元X JAPANのYOSHIKIが「奉祝曲」を演奏したのである。皇室の伝統的なイメージなどかなぐり捨ててでも大衆――とくに若者に迎合しようとするポピュリズムが、アルファベットだらけの「J‐POP」で飾り立てられた「J天皇制」を生む。それに対して、昔ながらの天皇制批判の立場からYOSHIKIに公開質問状を出した左翼知識人もいた。だが、そんなことをしても「暖簾に腕押し」だろう。おそらく、問題は、日本の伝統の核としての天皇制というより、「J回帰」の焦点としての「J天皇制」なのだ。
大きく言うと、このような「J回帰」はかなりの程度まで経済的に決定されていると見ていいだろう。フレドリック・ジェイムソンの指摘を待つまでもなく、ポストモダン消費社会のコスモポリタニズムは、名実ともにボーダーレスとなった世界資本主義の文化的表現である。現在でもそのような多文化主義(マルチカルチュラリズム)が世界の大勢であるには違いない。だが、とくに日本の場合、80年代の好況から90年代の不況への転換の中で、そうした世界資本主義への反発のほうが前面に出て、「J回帰」につながっていったのである。
おそらくここに「J回帰」のどうしようもない浅薄さがある。かつて内村鑑三はJAPANのJとJESUS(キリスト教)のJの緊張の中で思考しようとした。次の世代では、外から与えられた絶対的なドグマという意味で、共産主義がキリスト教に取って代わった。いずれにせよ、そこではJは苛烈なイデオロギー闘争の只中にあったのだ。だが、いまの「J回帰」を条件付けているのは、グローバルな経済というなまの現実でしかない。90年代に不況の中でグローバル化の波に晒された日本が、文化のレヴェルで自閉しようとする。「J回帰」とはおそらくその徴候にほかならないのだ。それは不況が終わるまで続くのだろうか。それは一体いつのことなのだろうか。
(*) たとえば、東浩紀「オタクから遠く離れてリターンズ」『QUICK JAPAN』vol.21、とくに190〜191頁を見よ。もちろん、東浩紀はオタク的ナショナリズムを肯定するのではなく、むしろ、それを踏まえた上での批評/批判の重要性を強調している。ここではそのような姿勢を全体として「J批評」と呼んでいる。
付記:
このコラムを書いたとき、1年あまり後にX JAPANの曲が小泉純一郎の率いる自由民主党のテーマ・ソングとなることまでは、さすがに予想していなかった。
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