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セメント

1■とはずがたり:2002/11/29(金) 22:49
セメント関係スレ
太平洋セメント
http://www.taiheiyo-cement.co.jp/
宇部三菱セメント
http://www.umcc.co.jp/html_set/top_menu.htm
住友大阪セメント
http://www.soc.co.jp/
電気化学工業
http://www.denka.co.jp/top.htm

我々のセメント輸送関係記事
http://members.tripod.co.jp/tohazugatali/kamotsu/cement-terminal.html

371荷主研究者:2013/12/29(日) 00:59:15

http://www.sankeibiz.jp/business/news/131204/bsc1312040503005-n1.htm
2013.12.4 06:28 Fuji Sankei Business i.
セメント各社、値上げ交渉難航 現場の人件費高騰でしわ寄せ

建設現場では、復旧・復興需要でセメント需要が高まっている(ブルームバーグ)

 セメント価格の値上げ交渉が進展せず、メーカー各社を悩ませている。東日本大震災からの復旧・復興を中心に高まる需要増に伴い、土木・建設現場での人手不足による人件費高騰が、価格交渉を妨げる要因となっている。

 「需給がかなりタイトになって、ようやく交渉のテーブルについたところだ」

 ある大手セメント会社は、生コン会社などの需要家との間で行われる交渉の難航をこう説明する。

 セメントメーカー各社は原燃料費上昇分の価格転嫁を図るため、10月出荷分から1トン当たり約1000円の値上げを打ち出したが、交渉は進んでいなかった。生コン会社側が値上げを拒んできたためだ。だが、年末を迎えて需給が厳しくなり、背に腹はかえられない生コン会社が交渉の席に着いたのだ。

 生コン会社側が値上げを渋っていた背景には、建設現場などの人手不足の問題がある。

 建設現場では、「熟練工、鉄筋工や型枠工、現場の管理責任者などが足りない」(セメント協会の気仙伊作流通委員長)といい、人件費が高騰している。このため、ゼネコン業者が生コンなどの材料費に資金を投入できず、生コン会社にしわ寄せが来ていたのだ。

 ただ、国内のセメント生産は高い水準が続いている。セメント協会によると、10月のセメント生産は前年同月比6.6%増の529万6000トン。8カ月連続で前年実績を上回った。同協会は9月下旬、今年度のセメント国内需要予測を従来発表から100万トン増の4700万トンに上方修正した。

 セメント業界は、国内向けの生産を優先してフル操業の状態だが、価格が上がらなければ収益アップにつながらない。セメント各社は生コン会社側との交渉を急ぎ、収益改善につなげたい考えだ。

 一方、セメント価格の値上げ交渉は、政府が経済界に求める賃上げ要請にも影響を及ぼす。「セメントの値上げをしない限りは、(従業員に)還元できない」(住友大阪セメントの関根福一社長)との声は業界内に強く、関係者は値上げ交渉の行方をじっと見守っている。

378荷主研究者:2014/01/12(日) 14:53:26

http://biz-journal.jp/2013/05/post_2107.html
2013.05.15 ビジネスジャーナル
日本板硝子、グローバル化失敗の舞台裏と代償 相次ぐ事業撤退、社内混乱で人材流出も

【この記事のキーワード】グローバル , 人材 , 日本板硝子

日本板硝子大阪本社が所在する住友ビル本館(「Wikipedia」より/Nkns)

 2006年、英ピルキントン社(以下、ピル社)を買収し、「小が大を呑む」と騒がれた日本板硝子の藤本勝司会長が、その失敗の責任を取り、3月31日付で退任した。

 同社は06年のピル社買収以来、外国人社長を2名起用したが、いずれも短期間で辞任し、経営が混乱していた。

 だが、その経緯を振り返ると、同社ではトップが自分の名声欲のために経営を弄び、会社を凋落させた姿が浮かび上がってくる。

 藤本氏は04年の社長就任以来、当時の出原洋三会長と共にグローバル化を推進、06年に売上規模が倍のピル社を6160億円で買収、子会社化した。それにより日本板硝子はいきなり世界29カ国に拠点を持つグローバルメーカーに変身。海外売上比率もそれまでの約20%から一挙に80%近くに拡大した。

 だがこの無謀なグローバル化が、同社凋落の引き金になった。

●「説得セールス」に乗せられた巨額買収

 1826年創業と、187年の社歴があるピル社は、日本板硝子に買収された06年当時、世界3位(シェア10%)のガラスメーカー。25カ国に拠点を持ち、約2万4000人の従業員を擁していた。売上高は約24億ポンド(当時の為替レートで約5000億円)だった。

 一方の日本板硝子は1918年の創業。06年当時の海外拠点は米、英、中国などわずか5カ国。従業員数は約1万2000人(連結)、売上高は2658億円(同)で世界6位(シェア4%)。両社の差は一目瞭然。「小が大を呑む買収」と騒がれたのも当然だった。

 ここで疑問が湧く。まず、なぜこんな不自然な買収ができたのか?

 業界関係者は「要するに国際M&Aに暗い日本板硝子が『説得セールス』に乗せられた」と、次のように説明する。

 当時のピル社を経営していたのは会長のナイジェル・ラッド氏。ラッド氏は不振企業を買収して業績を立て直し、高値で転売して利益を得るターンアラウンド型の投資家として有名。当時はピル社のほか、欧州ドラッグストア大手のブーツ社の会長も兼務していた。ラッド氏は95年からピル社会長を務めており、自動車向けガラスが好調で業績が急回復していた06年当時のピル社を「売り抜け時」と判断したようだった。

 買収交渉で日本板硝子はこのラッド氏に丸め込まれ、合意に達した時のピル社株の買収価格は1株165ペンス(当時のレートで約340円)、総額18億ポンド(約3585億円)。関係者の間では「約30パーセントものプレミアムが上乗せされた」と指摘されていた。結果、ピル社の有利子負債借り換え分を含めた買収額は30億ポンド(約6160億円)に膨れ上がった。

 同関係者は「日本板硝子は綿密に調査し、周到な備えで買収交渉をしたとはとても思えなかった。だからラッド氏の説得セールスに、やすやすと乗せられた」と言う。

379荷主研究者:2014/01/12(日) 14:54:17
>>378 続き

●打倒・旭硝子の安易なシナリオ

 次に、日本板硝子は、なぜこんな不自然な買収にこだわったのか?

 別の業界関係者は「それは国内トップの旭硝子へのライバル心だった」と、次のように説明する。

 日本板硝子はIT業界が「ネットバブル」で沸いていた2000年、光通信向けのレンズ事業拡大を計画。「10年に『情報電子会社』になる」とのビジョンを出原洋三社長(当時)が掲げ、10年間で200?300億円を投資し、相模原工場(神奈川県)、四日市工場(三重県)のほか、米国など海外でも生産拠点を拡充、同事業の売上高を約6倍の1200億円に拡大するとしていた。

 ところが、計画を打ち上げた直後にネットバブルがはじけ、北米などの光ファイバー通信向け投資が一気に冷え込み、光レンズの需要も急減。最終的に累計で100億円を超える損失を出し、5工場を閉鎖。02年3月期に22億円、03年3月期に31億円の最終赤字を計上した。

 トップの希望的観測による、市場見通しの甘さだったと言うほかない。

 同社が「情報電子会社」への脱皮に力を注いでいた頃、ライバルの旭硝子は薄型テレビ用ガラス基板などに大型投資を行い、着々と収益を拡大していた。

 05年12月期連結の旭硝子の売上高は1兆5266億円、最終利益600億円。06年3月期連結の日本板硝子の売上高は2658億円、最終利益は77億円。

 その差は歴然。日本板硝子は、旭硝子をライバルと呼ぶのもおこがましい地位にあった。

 そんな時期に英国から突然迷い込んできたニュースが、ピル社身売り話。05年秋のことだった。しかも当時の日本板硝子は「光レンズ事業失敗の傷がまだ癒えず、リハビリ中」と言われていた時期だった。

 それでも「世界3位のピル社を買えば、宿敵旭硝子との差を一挙に詰められる」と買収にのめり込み、グローバル化の推進で名を挙げようとの野望に目がくらんだのが、藤本氏と出原氏の2トップだったといえる。

●一夜漬けのグローバル経営の末路

 ピル社買収後の同社は、一夜漬けでグローバル経営に対応しようと、08年6月から委員会設置会社へ移行。日本人による企業統治を担保するため、12名の取締役中7名を経営監視役にした。残り5名を取締役兼執行役員に任命、うち4名が外国人だった。

 同社はこれを「日本人が睨みを利かせ、外国人が経営する、ハイブリッド経営体制」と自賛、これで容易にグローバル経営ができると考えたらしい。

 そうして、グローバル経営の海へ船出した「日本板硝子丸」が船頭に起用したのが、買収時のピル社社長、スチュアート・チェンバース氏だった。

 同氏はロイヤルダッチシェルとスナックメーカーの社員を経て96年に当時経営再建中のピル社に入社。02年に同社社長となり、買収後の06年に日本板硝子取締役、07年副社長、08年6月に代表取締役社長に就任した。日本板硝子に買収されるまで、日本企業との接点は何もなかった。

 すると案の定、チェンバース氏は翌年8月、在任1年余りで「仕事より家族との時間を大切にしたい」と、理由にならない理由で突如辞任、帰国してしまった。

 そこで同社はこの時、会長になっていた藤本氏がリリーフで社長に復帰、その間に同社は、米デュポン副社長を務めた後は経営から身を引いていたクレイグ・ネイラー氏をヘッドハンティング、10年6月に同氏を「2代目の外国人社長」に据えた。

 それも束の間、ネイラー氏も12年4月、「他の取締役たちと経営戦略の考え方が合わない」と、1年10カ月で突然辞任してしまった。後任には吉川恵治副社長(当時)が昇格、現在に至っている。

 かくして「グローバル企業を経営できる人材が日本人の中にいない」という理由で安易に始めた愚かな「ハイブリッド経営体制」は、もろくも崩れ去ってしまった。

380荷主研究者:2014/01/12(日) 14:54:55
>>379 続き

●現場の混乱と有能人材の流出

 「日本板硝子流グローバル化」の象徴だった「外国人社長」の相次ぐ辞任は、事業を混乱させただけだったようだ。

 成長の牽引車と位置付けていた太陽電池用ガラスは、主要顧客が大幅減産に向かっているのに加え、中国メーカーの安売り攻勢で世界的な販売価格下落が続いている。

 ブラジルでは自動車ガラスの生産能力を50%以上高めたが、こちらも中国メーカーの低価格品に押され、操業率は低迷している。「グローバル化で宿敵旭硝子に肉薄」の夢に酔い、2トップの名声欲を後押しに、後先を考えずに買収したピル社のツケは大きかったようだ。

 何よりの思惑外れは、08年9月のリーマンショックとその後に続いたギリシャ債務危機で、ピル社の主戦場である欧州が大不況に陥り、ピル社の業績が壊滅的な打撃を受けたことだ。

 事業撤退や希望退職者の募集など、国内外で度重なるリストラも余儀なくされて多額損失を計上。買収によって膨らんだ有利子負債の金利負担も重くのしかかっており、13年3月期は280億円の純損失と2期連続の赤字を見込んでいる。

 現在は昨年4月に就任した吉川社長が中心となって経営再建に取り組んでいるが、今のところ成果はなく、14年3月期も3期連続の赤字が避けられない見通しだ。

 同社の危ない経営に見切りをつけ、10年に独立した技術系の元社員は「事業撤退もあり、有能な人材が200名以上も会社を去った。外国人社長が続き、英語が得意で外国人社長イエスマンばかりが重用される風潮に、みんな嫌気が差した」と振り返る。

 また総務系の元社員は「グローバル化の掛け声で始まった人事評価、物流システムなどの改革は、これ以上はないと思われるぐらいの翻訳もの。現場を混乱させるだけだった。結局、グローバルになったのは役員たちの給料だけ」と顔をしかめている。

 グローバル化失敗により退任した藤本氏のケースは、経営における「生兵法は大怪我のもと」の教訓でもあろう。
(文=福井晋/フリーライター)

381とはずがたり:2014/01/12(日) 17:19:28
>>94>>103>>105-106>>120>>378-380

日本板硝子、英ピルキントンの貢献まだ先
買収から7年、欧州リストラは最終章へ
http://toyokeizai.net/articles/-/14011
古庄 英一 :東洋経済 記者 2013年05月18日

2006年に板ガラスメーカー世界大手だった英ピルキントン社を買収し、「小が大をのむ」と注目を集めた日本板硝子。

それから7年。日本板硝子の連結決算は、リーマン・ショック後の2009年3月期から最終赤字に転落。11年3月期にいったん黒字に浮上したのを除けば、最終赤字が続いている。ピルキントン買収で欧州向けのウエイトが急上昇したため、ここ数年深刻化している欧州経済の不調に、建築用ガラス、自動車用ガラスとも足を引っ張られた面が大きい。

日本板硝子はいつになったら、大型買収の果実を満喫できるのか。

今年度の営業黒字化を狙うが達成は困難

日本板硝子は、4月から始まった今2014年3月期も、欧州で工場の生産縮小を実施することから、本業の収支は改善しても、営業赤字から抜け出せるかどうかが微妙な情勢となっている。 

同社は5月16日、2014年3月期の営業利益が30億円になるとの見通しを発表した。前13年3月期は営業赤字172億円を計上したため、業績が急浮上することになる。しかし、東洋経済では、営業黒字ではなく、30億円の営業赤字となると独自に予想している。

会社側は業績急浮上の根拠として、次の3つのポイントを挙げる。

(1)前期実施したリストラ効果が100億円見込まれること、(2)今期の追加リストラ費用として従来想定よりも20億円少ない90億円を計画していること、(3)円安効果で売上高が約900億円、営業利益では約30億円がかさ上げされること(東洋経済の推計額。会社想定の為替レートは1ドル=100円、1ユーロ=130円)。

だが、実際のところは計画どおりに運ばずに、営業黒字化は難しくなりそうだ。日本板硝子では、買収子会社であるピルキントン社の展開する欧州事業が、全社売り上げの4割を占める。その欧州市況の見通しは、クレメンス・ミラー副社長兼COOによれば、「modest(あまりよくない)」。

ピルキントン社の欧州各国の拠点では、人員削減や余剰生産設備について「すでに2割の削減を行った」(ミラー副社長)。ところが、ライバルのサンゴバン(仏)や旭硝子などを含めた供給体制の過剰感は解消されておらず、価格面での引き締め効果は期待したほどではないもようだ。

つまり、日本板硝子にとって、ピルキントンがカバーする欧州事業の今期収益見通しは、円安効果については期待できるものの、競争激化で売価修正は困難のままであり、粗利益の改善が見込みづらい。

さらに、計画には織り込んでいない追加リストラ策が実施される公算が大きく、その費用計上があると、前期と同じように営業利益にはマイナスに響く。

これは、日本板硝子が、IFRS(国際会計基準)を完全適用しているため。リストラ関連の費用(国内基準ではリストラ特損や減損特損に相当する費用。前期実績は192億円)が、営業利益の段階で「個別開示項目」として織り込まれる。

次年度黒字化へ、欧州リストラは最終章

実際、こうした需給バランスを整えるために、日本板硝子はさらなるリストラを選択肢に入れている。

5月16日の会見席上で、吉川恵治社長兼CEOは、欧州で人員削減を柱とした追加の工場設備の閉鎖や縮小を実施する可能性について、「市場環境次第でやっていく」と示唆している。

なお、今回発表された今期計画では、従来想定で20億円見込んでいた有形固定資産の減損損失計上が見送られた。しかし、設備の稼働状況次第で、新たに有形固定資産の減損損失を計上する可能性は否定できず、その場合は営業利益を押し下げる要因となりうる。

この要因を織り込まない「個別開示項目前営業利益」では、前2013年3月期も20億円の黒字を計上。今14年3月期は円安効果で原・燃料高を吸収することから、個別開示項目前営業利益は、会社計画の140億円はやや強気だとしても、100億円程度までは拡大しそうだ。

吉川社長は、「次年度(2015年3月期)には最終黒字化を果たしたい」と意気込む。それには、この個別開示項目前営業利益の黒字額を200億円程度まで拡大しなければならない。今期は営業黒字浮上を断念してでも、来期のために追加リストラを断行することが、必須となりそうだ。

(撮影:尾形 文繁)

382とはずがたり:2014/01/12(日) 17:20:57

赤字続く日本板硝子、会長退任で再建なるか
英社買収を主導した藤本氏が退く
http://toyokeizai.net/articles/-/13633
古庄 英一 :東洋経済 記者 2013年04月14日

藤本氏(左)が6月に相談役となり、吉川社長(右)の真価が試される
「小が大をのむ」と話題を呼んだ英ピルキントン買収を主導した日本板硝子の藤本勝司氏が3月末に会長を退任した。今年6月の株主総会で取締役からも退く。

藤本氏は2004年の社長就任以来、グローバル化を推し進めてきた。06年に年商規模で2倍のピルキントンを総額6000億円超で完全子会社化。日本板硝子は欧米、アジアや南米など海外30カ国以上に拠点を有する企業に急拡大した。当時は、海外売上比率が2割から一気に8割近くに達し、ガラス最大手でライバルの旭硝子をしのぐほどの海外ネットワークを持った。

ただその後は、当初から懸念されていた経営の舵取りで失敗を繰り返した。

その一つが人事の混乱だ。藤本氏とその後ろ盾だった出原洋三元会長は、買収後の社長を外国人に託す戦略を採った。

最初に選んだのが、買収したピルキントンの社長を務めていた英国人スチュアート・チェンバース氏。だが、チェンバース氏は日本流のビジネス慣習になじめず、「家庭の事情」を理由に1年余りで辞めた。その後釜として、ヘッドハンティングした化学メーカー大手デュポン出身の米国人クレイグ・ネイラー氏を据えたが、同氏も経営方針をめぐる対立から任期途中に辞任した。

385とはずがたり:2014/01/12(日) 17:34:20
>>384-385
 出原氏の後任として04年に社長に就任した藤本勝司氏(現会長)は「市場の要求を読み違えないこと、いきなり大きな見込み投資は避けること」とバブルに乗った反省の弁を後に述べている。ピルキントン買収案件が浮上してきたのは05年秋。日本板硝子は「まだ光レンズ事業への過大投資の傷が癒えず“リハビリ中”」と見る業界関係者が多かった。

 日本板硝子が「情報電子会社」への脱皮に力を注いでいたころ、ライバルの旭硝子は薄型テレビ用ガラス基板などに大型投資をして着々と収益を拡大していた。05年12月期の旭硝子の売上高は1兆5266億円、最終利益600億円。06年3月期の日本板硝子の売上高2658億円、最終利益77億円で、すでにこの時点でケタ違いの開きがあった。

 野球でいえば、大差がついてコールドゲームになりかけていた時に、にわかに外国人の助っ人(ピルキントン)が入団してきてライバル(旭硝子)と互角に闘える可能性が浮上してきた、といった感じだろうか。ただ、当時の日本板硝子首脳陣は自ら監督としてチームを直接指揮する自信がなかった。だから、自分たちはプロ野球でいえばオーナーもしくはゼネラル・マネージャーのようなポジションに一歩引き、外国人監督(チェンバース氏やネイラー氏)を招いてチーム運営を任せることにした。

 しかし、外国人監督(社長)に全権を委ねた訳ではない。日本板硝子はチェンバース氏を副社長から社長に昇格させた08年6月に委員会設置会社に移行。トップ人事を決める指名委員会委員長は取締役会議長の出原氏、監査委員会委員長は副会長の阿部友昭氏、報酬委員会委員長は社外取締役(英ケンブリッジ大学ジャッジ経営大学院シニア・フェロー)のジョージ・オルコット氏と、3人とも出原氏が影響力を行使できる「日本側の役員」に委嘱した。

 また12人の取締役のうち、社長のチェンバース氏が率いる執行役メンバーを5人にとどめ、残り7人(社外取締役4人と出原、藤本、阿部の各氏)がチェンバース氏の経営をチェックする体制を敷いた。執行役はチェンバース氏以下、マイク・パウエル、マーク・ライオンズ、マイク・ファーロン、吉川恵治の各氏。つまり出原氏率いる「日本チーム」対チェンバース氏率いる「外国人チーム」といった構図だ。これが冒頭に引用した「外国人が経営し、日本人が監視する」という出原氏の発言の背景である。

 08年8月にチェンバース氏が「16歳の息子のために」という家族問題を表向きの理由として辞任した後、会長だった藤本氏が社長に復帰。その10カ月後の09年6月に米デュポン出身のネイラー氏が新社長となるが、このときも同社は「外国人」対「日本人」の対立の構図を引き続き採用した。

 取締役は11人。出原氏に代わって会長に戻った藤本氏が「日本人チーム」のトップとなり、副会長の阿部氏、さらに社外取締役4人を加え「日本人」側は計6人。ネイラー氏が率いた「外国人チーム」は5人で、チェンバース時代と同様、吉川氏を除く4人はすべて外国籍だった。ちなみに「外国人チーム」で唯一の日本人である吉川氏がネイラー氏の辞任後、12年4月に社長に就任した。

 グローバル企業の代名詞でもあった外国人社長の相次ぐ辞任によるダメージは日本板硝子のイメージ失墜だけにとどまらない。社員も株主も、取引先も誰を「会社の顔」として認識すべきなのか、戸惑うばかりに違いない。さらに同社のような「ものづくり企業」にとって、リーダーシップの欠落で研究開発や設備投資の方向性が失われ、事業戦略に混乱を伴うことは死活問題になる。

 5月10日の決算発表で同社は最終損益が前期の28億円の赤字に続き、今期(13年3月期)も110億円の赤字になると予想し、加えて35年ぶりの無配とすることも明らかにした。経営刷新の必要性はひっ迫しており、残された時間は少ない。

386とはずがたり:2014/01/12(日) 17:34:59

【日本板硝子】
「小が大をのむ買収」から6年
欧州不況の追い打ちで長引く財務不安
http://diamond.jp/articles/-/16806

自身より規模が大きなピルキントンを買収し、グローバル企業に変貌を遂げた日本板硝子。しかし、期待されたシナジーを出せないまま、その重荷に苦しんでいる。だが出口はまだ見えてこない。

 日本板硝子の業績が急激に悪化している。2期連続で最終赤字を計上した後、一時は回復したものの2012年3月期の見通しは、営業利益を250億円から40億円に、当期損益を150億円の黒字から20億円の赤字に大幅下方修正した。

 日本板硝子といえば、06年、板ガラス世界大手の英ピルキントンを傘下に収め、「小が大をのみ込む」と話題をさらった。当時、買収に投じた費用は、総額約6160億円。日本板硝子の売上高の2倍以上の額だった。

 確かに、買収で一気に世界29ヵ国に生産拠点を持つグローバル企業へと変貌を遂げた。板ガラスのシェアは旭硝子や仏サンゴバンと肩を並べたほどだ。

 ところが、それから6年が経過した今なお期待されたほどのシナジーを出せないばかりか、逆にその重荷に苦しんでいるのが現状だ。

 要因はいくつかある。まずは本業不振。売上高の4割を占める欧州で、不況のあおりをもろに受けている。事業の柱である建築、自動車用ガラス共に需要が低迷、一方で燃料コストは上昇し、利益を圧迫している(図1)

 成長のドライバーと位置付けていた太陽電池用ガラスもさえない。主要顧客が大幅な減産を発表したほか、世界の市況が軟化し、販売価格下落が続いている。

 とはいえ要因は外部環境の悪化だけではない。「リーマンショック後、欧州でのリストラを十分やり切らないまま、新興国へ期待を寄せるあまり、積極的に投資したことが裏目に出ている」と、戦略ミスを指摘する関係者は多い。

 同社は10年に株式数を1.3倍に増やす、約400億円の公募増資を実施。その多くを新興国での工場新設・ライン増強に充てた。

 ブラジルでは自動車ガラスの生産能力を50%以上高めたが、ここにきて中国からの低価格品に押されっ放し。また、ベトナムでも太陽電池ガラスのライン新設が凍結に至るなど、計画が頓挫している。


 その結果、ROAは低水準が続き12年3月期の予想はマイナス(図2)。ライバルの旭硝子は5.6%(11年12月期)だからかなりの差だ。

 ネット有利子負債はピーク時の5141億円から3131億円まで縮小したものの、本業の不調も相まって11年4〜12月には300億円増えた。営業キャッシュフローはマイナスで、まさに負の連鎖に陥っているのだ(図3)。

 背景に、「マネジメント層で日・英の融合がうまくいっていないことがある」との声が社内外から漏れ伝わってくる。

 旧ピルキントン出身のスチュアート・チェンバース社長が「家庭の事情」を理由に1年3ヵ月で退任し、現在は米・化学品大手のデュポンからヘッドハンティングされたクレイグ・ネイラー氏がトップを務めるが、ここ1〜2年で実務を取り仕切ってきた外国人役員の交代が相次いでいる。

「結局、小は大にのみ込まれてしまったのではないか。組織の求心力低下が心配だ」とメインバンク幹部も語る始末だ。

 だが、不安要素はこれにとどまらない。

387とはずがたり:2014/01/12(日) 17:35:33
>>386-387

IFRSで浮かび上がる新たなレガシーコスト

「ベールに包まれていた重荷が浮かび上がった」

 日本板硝子は12年3月期から国際会計基準(IFRS)を早期適用しているが、これが皮肉にも大きな不安要素を認識させるきっかけになったと投資家は指摘する。それは、営業キャッシュフローの項目内にある「引当金及び退職給付引当金の増減」だ。

 12年3月期の第3四半期決算書を見てみると、この金額が約148億円にも上っている。日本基準だった昨年度までとは、1桁違う額だ。これは「IFRSを導入している他社の営業キャッシュフロー計算書では見たことがない金額」(投資家)という。

 これはいわゆる巨額の「レガシーコスト」(負の遺産)という見方が濃厚だ。「旧ピルキントンの手厚い退職金や企業年金制度を引き継いだままなのではないか」とみられている。

 6年間、買収で傷んだ財務と本業の不振、組織の融合に手をこまねいてきた日本板硝子。こうした状況を少しでも打開しようと、2月、緊急リストラ策を打ち出した。

 英国のライン休止を手始めに生産能力の削減と、グループ全体で3500人の人員削減を図る。また、13年3月期、14年3月期の設備投資を、有形資産減価償却費のレベル以下に抑制する。

 これを率いるのは、日本板硝子出身で、新たに代表執行役に選任された吉川恵治副社長。完了後は年間200億円のキャッシュを生み出す効果を見込む。

 ただ、リストラには現金250億円と現金支出を伴わない費用も発生する。欧州の景気低迷が世界に波及し、さらに事業環境が悪化する恐れもあるため、13年3月期以降も厳しい状況は続きそうだ。


 買収後、一時は700円台を付けた株価も現在は130円前後で推移するなど市場の評価はすこぶる低い(図4)。ここにきて格付けもいっせいに下げられており、今後の資金繰りはメインバンクに頼らざるを得ない。

 大枚をはたいて一世一代の大勝負に出た同社だが、現時点でそれが成功したとは言い難い。身動きが取れない間にもライバルは着々と成長の一手を打っている。

 抜本的な戦略の転換が迫られている。

(「週刊ダイヤモンド」編集部 柳澤里佳)

392荷主研究者:2014/02/23(日) 18:09:02
>>203-204 >>209-210 >>214 >>220 >>223-224
http://www.oita-press.co.jp/localNews/2014_138914232684.html
2014年01月08日 09:46 大分合同新聞
バイオマス発電計画進む 旧佐伯プラント

(上)バイオマス発電の計画がある太平洋セメント大分工場旧佐伯プラント=佐伯市海崎

 セメント生産をやめた太平洋セメント大分工場旧佐伯プラント(佐伯市海崎)で、生物由来の資源を燃料とするバイオマス発電事業の計画が進んでいることが7日までに分かった。関係者によると、東京の特定規模電気事業者(新電力)が遊休状態の敷地や設備を借りて取り組む。両社間で今後、詳細を詰めた上で正式決定する見通し。

 旧佐伯プラントは敷地面積が約19万平方メートル。その中に発電設備を新設するか、既存の石炭火力発電設備(2基)のボイラーとタービンを転用することなどを検討しているという。

 太平洋セメントは各地にある遊休工場の有効活用を模索している。旧土佐工場(高知市)では、この新電力会社が発電設備を活用し、東南アジアから輸入したヤシ殻を主燃料としたバイオマス発電を行っている。

 佐伯でも同様の事業が検討されているとみられるが、新電力会社は取材に対して「現段階では答えられない」としている。

 旧佐伯プラントは1926年に操業を開始。セメントの需要減を背景に2010年に生産を停止した。現在は港湾施設やサイロを利用し、別の火力発電所から出た石炭の燃焼灰をセメント原料として一時貯蔵する中継基地となっている。従業員は停止前の約90人から、施設を管理する数人に減っている。

 地域経済の一翼を担っていたセメント工場が新たな形で再開となれば、雇用の増加などさまざまな面で地元へのプラス効果が期待される。

395とはずがたり:2014/03/08(土) 18:33:50

〔ほっとライン〕業界の地位底上げを=セメント協会の関根福一会長
時事通信 2014/3/3 14:59
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20140303-00000035-jijnb_st-nb

 ▽…「セメント・コンクリート業界の社会的な位置付けを底上げすることが私に課せられたミッション(使命)だ」。こう力を込めるのは、セメント協会の関根福一会長(62)。東日本大震災からの復興や2020年の東京五輪などセメントの需要拡大が見込まれる中、製品の安定供給に並ぶ重要課題として業界の地位向上を挙げた。
 ▽…「業界への世間の評価が低い」ことに以前から強い危機感を抱いていた関根会長。「業界で働く人のいろんな条件を良くしたい」とし、賃上げなどで社員への還元を示唆する。「そうでなければ夢と希望に燃えた若くて優秀な人材は入ってこない」と積極的に取り組む考えだ。(了)

396とはずがたり:2014/03/08(土) 18:35:43

セメント、運搬・貯蔵に注力 旺盛な内需 新造船など対応活発化
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20140227-00000001-biz_fsi-nb
SankeiBiz 2014/2/28 08:15

 東北の復興需要や2020年東京五輪に向けた需要見込みで、セメント業界が活発化している。フル生産を続ける中、運搬船新設や中間貯蔵施設の再稼働などで生産と物流を滞らさず、今後も続く旺盛な国内需要に応えていく方針だ。
 セメント協会は27日、14年度の国内需要を13年度と同じ4800万トンとする見通しを発表した。公共投資などの官需については前年度並み、民間需要は消費税率引き上げに伴う住宅投資の反動減も「緩和措置があって大きな落ち込みにはならない」(流通委員長の気仙伊作宇部三菱セメント副社長)との見方で、引き続き、国内需要を優先した生産体制が続くことになりそうだ。
 新たに同協会の会長に就任した関根福一住友大阪セメント社長は同日の会見で「五輪までは、需要が5000万トンに膨らむこともありそうだ」との見通しを示した。
 セメント業界が苦心しているのが荷繰りの問題だ。荷を切らさないため、特に各社が力を入れているのが、セメントを工場から各地の中間貯蔵施設にあたるサービスステーション(SS)へ送る専用船の手配だ。
 住友大阪セメントは、8000トンの新造船を今月就航させた。また耐用年数が近づく船も新たに積載能力をアップさせ、来年にかけて使用を継続することを決めている。宇部三菱セメントは今月、中国への輸出に使っていた船を国内の物流用に配置換えさせた。リーマン・ショック前には39隻あった船が一時は34隻まで減っていたが、現在は37隻まで回復。「年間数億円の固定費がかかるが、震災復興を優先させて物流に対応する」(気仙副社長)方針だ。また、宮城県の塩釜など、数年間休止していたSSを昨春から再稼働させるなどしている。
 生産体制について、セメント協会の関根会長は「能力アップには限界があり、新たな設備を増やすことはない」とする一方で、セメントを焼成するキルンについては「休止しているキルンを再稼働することも考える」と説明した。
 国土交通省の統計では、13年の新設住宅着工戸数が前年比11.0%増の98万戸余で、4年連続増加。日本建設機械工業会によると、14年度の建設機械出荷額は前年度比7%増の2兆274億円になる見通しで、おおむね建築業界は活況だ。震災復興関連でも、14年度のセメント需要は前年度を20万トン上回る250万トンが見込まれる。

416荷主研究者:2014/04/27(日) 20:09:49

http://www.ehime-np.co.jp/news/local/20140409/news20140409703.html
2014年04月09日(水)愛媛新聞
コンクリ混和剤を初出荷 ゼロテクノ四国

【写真】高品質CfFAの貯蔵タンク(左)から製品を詰め、九州に出発するトラック=8日午前、西条市北条

 石炭火力発電で生じる石炭灰を活用したコンクリート用混和剤の開発に取り組んできたゼロテクノ四国(愛媛県新居浜市)が8日、西条市北条の住友共同電力壬生川火力発電所内の製造所から製品を初出荷した。耐久性に優れ、長寿命のコンクリート製造への活用が期待されており、高速道路のトンネルや橋の構造資材に使われる。

 ゼロテクノ四国は住友共電(新居浜市)と子会社の住共クリーンセンター(同)、大分大のベンチャー企業ゼロテクノ(大分市)が2012年5月に設立。今年2月、同発電所内に製造設備を建設し、本格生産に向け試運転を進めていた。

 住友共電では年間20万トンの石炭灰が発生する。現在は土木資材の原料として引き取ってもらっているが、処理費用が掛かるのが難点。コンクリートにも使っていたが、未燃石炭が5%残っているため品質が安定せず、より効率的な活用が課題だった。

418とはずがたり:2014/05/27(火) 11:25:19

日本製紙、宮城・石巻でコンクリ混和材実用化に向け実証事業
http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2014052600681

 日本製紙は26日、宮城県石巻市の石巻工場内に、石炭灰を使ったコンクリート用混和材の実用化に向け、有限責任事業組合「日本製紙ゼロテクノ東北」を立ち上げると発表した。7月1日に設立し、2016年1月に実証生産の開始を目指す。(2014/05/26-18:07)

419とはずがたり:2014/06/16(月) 08:55:04
【粘土】
石灰石が先ず思い浮かぶけど粘土もセメントの主要原料の一つのようであった。
まあ石灰石1,100kgに対して粘土200kgだから1/5以下だけど。また粘土ってのはシリカ(珪石)やアルミナ(鉄礬土)なんか?

セメントができるまで(製造工程)
http://www.jcassoc.or.jp/cement/1jpn/jd3.html

原料工程

ポルトランドセメントの原料は、石灰石、粘土、珪石、酸化鉄原料(銅からみ、硫化鉄鉱からみ、他)、石膏に分類され、そのほとんどは国内で入手できます。特に、一番多量に使う石灰石については、北海道から沖縄県までの全国各地に高品位の石灰石鉱山が点在しています。これらの原料を調合し、「原料粉砕機」(原料ミル)で粉砕します。原料粉砕機は現在、乾燥、粉砕、粗粉と微粉との分級の3つの機能を合わせもつ「たて型ミル」が主流となっています。

セメント1tの製造に必要な原料は、おおよそ石灰石1,100kg、粘土200kg、その他原料100〜200kgです。セメントの主要成分(CaO、Al2O3、SiO2、Fe2O3)を含む物質は、原料として使用可能なことから、製鉄所からの副産物である高炉スラグ、石炭火力発電所の石炭灰や、各種の廃棄物の有効利用を進めており、その量は約2,900万t/年にも及びます。これら多種多様な副産物、廃棄物を使いこなしながら、安定した品質のセメントを生産することはやさしい技術ではありません。設備の改善、運転管理技術の向上を中心にたゆまぬ努力を続けています。

セメント基礎知識
http://www.taiheiyo-cement.co.jp/oofunato/html/co_zatugaku02.html
セメントの原料って?

原料
 セメントの主原料は石灰石(カルシウム)、粘土(シリカ、アルミナ)、鉄(鉄分)です。これらを適切な比率に調合した後、(1)原料調合、(2)クリンカ焼成、(3)セメント粉砕の3工程を経て、セメントとなります。

都市ゴミ焼却灰のセメント原料利用を目的とする広域での事業システムについて
http://www.cis.fukuoka-u.ac.jp/~higuchis/research/h16/26zenntosei1.pdf

本報告は,都市ごみ焼却灰(以下,焼却灰)を普通セメントの粘土代替原料として内航海運を使って広域で利用するシステムの構築をテーマとして,平成13年5月「灰リサイクルシステム研究会」を設置し,当該システムの構築と事業手法について検討してきた。

本システムは,首都圏の自治体から委託を受け,排出された焼却灰の脱塩を行い,プライベートバースから専用船によって九州などの複数のセメント工場に粘土代替原料として供給しようとする事業である。

既存の事例
代表的な(都市ゴミ焼却灰受け容れ)例として,太平洋セメント(株)(熊谷工場),市原エコセメント(株),山口エコテック(株)がある。いずれも県主導のものであり,県内自治体から焼却灰をセメント資源化している。

420とはずがたり:2014/06/16(月) 11:36:00
東武根古屋線の根古屋から石灰石,同東上線の高坂から粘土の発送を行っていた秩父鉱業。
浅野(日本)セメント系。というか直系。

秩父鉱業
http://chichibu-mining.jp/mining/chichibu.html
鉱業所所在地…今では根古屋(皆谷鉱業所は更に山奥で索道で根古屋に)でも高坂(休止中なんで廃止ではい様子)でも操業してないようだ。。

昭和26年3月 日本セメント(株)(現太平洋セメント(株))から分離独立し秩父鉱業(株)が発足
秩父鉱業所(石灰石)、皆谷鉱業所(石灰石)での採掘・販売を継承
昭和29年3月 御堂鉱業所(けい石)を開設
昭和30年3月 東松山鉱業所(粘土)を開設
昭和42年3月 終掘に伴い、皆谷鉱業所を閉山
昭和47年2月 粉末けい石製造開始
昭和47年4月 秩父鉱業所終掘に伴い、原料買石による破砕・加工販売開始
昭和50年8月 子会社の寄居石産(株)を吸収合併し、寄居鉱業所(砂岩)を開設
昭和58年1月 叶山鉱業所(石灰石)を開設
平成12年12月 太平洋セメント(株)の事業再編により、叶山鉱業所を秩父太平洋セメント(株)に事業譲渡
平成20年6月 セメント用粘土原料の使用量減退に伴い、東松山鉱業所を休止


◆秩父鉱業所 埼玉県秩父市上影森662
事業内容 石灰石の加工販売
石灰石砕石・石灰石砕砂
【製品特性】
石灰石の成分は、低リンで鉄鋼向け焼成用石灰原料として販売。
水洗品のため、強酸性廃液の中和剤として使用後の残量が少ない。
白色のため、庭園敷き砂利として販売。

◆御堂鉱業所 埼玉県秩父郡東秩父村大字御堂
事業内容 けい石の採掘・加工・販売
工業用珪石・セメント用珪石・赤色品は庭園敷き砂利として販売

◆寄居鉱業所 埼玉県大里郡寄居町大字西ノ入
事業内容 砕石の採掘・加工・販売
砂岩砕石・砂岩砕砂
この辺か?
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.11.31.403N36.4.31.481&ZM=9

421とはずがたり:2014/06/16(月) 13:43:21

■吾野と東京セメント

西武池袋線の終点は今から見ると中途半端と思える吾野である。
一策本によると
>(吾野では西武鉄道系の復興社・現西武建設は)砕石の生産を行っている。(吾野鉱業所は)本来は西武の前身である武蔵野鉄道時代に開発された石灰石鉱山であるが,同時に計画されていたセメント工場が計画倒れに終わったことから,採掘された石灰石は主に骨材として取引されていた。
とある。
現在は西武建材の吾野鉱業所が操業しているようである。

http://www.seibu-group.co.jp/kensetsu/kenzai/seihin/koujyou/koujyou.html
吾野鉱業所
製品名…砂岩、石灰岩、道路用砕石、コンクリート用砕石 砕石各サイズ、砕砂
生産能力…(月産)80,000t
昭和初期より操業を開始した歴史の古い鉱山で、岩質は石灰岩、砂岩を産出

で,気になる計画倒れになったセメント会社であるが東京セメントと云うらしい。。

http://web2.nazca.co.jp/dfg236rt/page077.html
1928年 4月 坂石に石灰の採掘所が開設される、東京セメントにより開設(後に4回経営者が変わる、1974年11月1日経営が西武建設㈱に移管される) 飯能市史
7月 東京セメント設立、埼玉県入間郡吾野村に所有する石灰山三十町歩のセメント原料石灰石の採掘権を東京セメントに譲渡 国民新聞290313
1929年 2月 鉄道 吾野水力電気㈱が武蔵野鉄道㈱に譲渡される(1942年関東配電に譲渡) 飯能市史
9月20日 鉄道 武蔵野鉄道、飯能−吾野(あがの)間営業開始(電化、高麗駅、武蔵横手駅、東吾野駅、吾野駅)ホームページ日高物語
1931年 12月10日 鉄道 武蔵野鉄道東飯能駅開業

「西武鉄道まるごと探見」
http://books.google.co.jp/books?id=EOG6aSqcgD8C&pg=PA36&lpg=PA36&dq=%E5%90%BE%E9%87%8E+%E7%9F%B3%E7%81%B0%E7%9F%B3+%E3%82%BB%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E5%B7%A5%E5%A0%B4+%E8%A8%88%E7%94%BB&source=bl&ots=PEpAitU_7d&sig=mQRBuS4QYeR3IRqqgGynTErXBCw&hl=ja&sa=X&ei=WWueU4PZHNTh8AWX7oDACg&ved=0CBwQ6AEwAA#v=onepage&q=%E5%90%BE%E9%87%8E%20%E7%9F%B3%E7%81%B0%E7%9F%B3%20%E3%82%BB%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E5%B7%A5%E5%A0%B4%20%E8%A8%88%E7%94%BB&f=false

西武秩父線の歴史は昭和23年にまで遡る。この年,西武鉄道は地元の秩父に対して鉄道建設並びに石灰石の採掘,セメント工場の誘致を条件に秩父森林組合から武甲山の石灰石鉱区の採掘権を取得している。
これに基づき昭和32(1957)年2月に吾野〜秩父間の路線建設のための免許を出願し,これに対する許可を得たのが昭和36(1961)年2月であった。

…関東地方へ進出を狙っていた三菱鉱業セメントが石灰石掘削鉱区の権利を西武鉄道から譲り受ける形で,昭和44(1969)年に当時の横瀬村にセメント工場を建設している。



西武鉄道グループには建材関係の製造業が何社か見られ,木材,砂利をはじめとして,ニッケルや化学肥料に及んでいた。

古くは尼崎肥料,朝日化学肥料(→上武鉄道(旧称日本ニッケル鉄道)),日本ニッケル,東京セメント(これ?http://tokyo-cement.com/本社は八王子。設立は昭和23年だし社名は東京セメント工業とのことで1928年(S3)に吾野で出てくる東京セメントとは無関係か?),関東木材,秩父木材工業などがある。

東京耐火建材は昭和16(1941)年11月に設立され,復興社を経て昭和36(1961)年10月に西武建設と改称したが,昭和21(1946)年11月に所沢車両工場を開設している。…この所沢車両工場の存在が西武鉄道に於ける最大の特徴であり,自社製電車は西武の誇りでもあった。…

422とはずがたり:2014/06/16(月) 13:50:05
>>421
吾野のセメント工場の夢は戦後になって三菱鉱業セメントと秩父地域との組み合わせで実現することになる。
飯能から先は秩父線に編入しちまった方が何かと解りやすい気もするんだけど。。

一策本には
>(吾野の砕石生産は)昭和30年代には年20万トン以上が各需要地に発送されていたが,その到着地は池袋駅や上石神井駅など西武線内が多かった。鉱山は現在も盛んに採掘しているが,鉄道輸送は昭和53(1978)年に廃止されている
とある様に,月産80,000トンということで年産量はそれ程下がっていないようである。

今更砂利や砕石でストックポイントも糞も無いか。。(;´Д`)

423とはずがたり:2014/06/16(月) 13:56:27
>>422
また
>昭和37年の吾野駅の発送実績35万1043トンの内,約28万トンが砕石で,1日平均69両の貨車が発送されていた
と云う記述と共に格好いい砕石積み込みホッパの写真が掲載されていて,どっかまで運ぼうよと云う気分にならないこともない。。

当時の主な発送先の一つの上石神井公園駅だが構内に大規模な荷役設備は無く貨車から直接ダンプやトラックに積み替えたとあるのでコスト高そうだしまあどうしようも無いかなぁ。。

424とはずがたり:2014/06/16(月) 17:58:18
【五日市線(岩井支線)】
1961年…拝島〜武蔵岩井が電化され,五日市〜岩井はクモハ40による単行運転。貨物もC11からED16に。
1971年…武蔵五日市〜武蔵岩井の旅客営業及び武蔵岩井駅廃止
1982年…大久野の貨物営業及び大久野駅,大久野〜武蔵五日市(三内信号扱所)間

個人的には五日市の手前から岐れて武蔵岩井迄繋がる盲腸線である岩井支線(復活の可能性を含めて)激萌えなんだけど,一策本で知ったが粘土線もあって構内輸送していたようであった。更に萌え度は高まるが,勿論詳細な解説は復活の無理さを納得させられると云うまあ何時も通りの作業でもある。

>西多摩工場はこの時代(1977年10月),袋詰めセメントのみを出荷しており,…そのため有蓋車での輸送を行っていたが,出荷量はそれほど多くはなかった。むしろ燃料搬入が主目的となっており,写真(←省略)でも燃料炭を輸送する無蓋車を2両牽引している。

>1965年当時の貨物取扱は日本セメント(株)西多摩工場専用線が所在した大久野のみであった。
>また武蔵増戸─大久保駅間は急勾配のため…拝島駅─武蔵増戸駅の1個列車を2個列車に分割していた。…牽引機のED16は大久野駅から専用線内工場迄乗り入れていた。
>大久野駅には…別に日本セメント(株)の粘土採掘場の専用線もあり,粘土線─工場線間は私有ディーゼル機関車牽引の列車が駅構内を横断して運転されていた。

最盛期は恐らく小河内ダム建設時で大久野→水根間にセメント列車が運行されたそうだ。最終日は単機で貨物もなかったようである。

>勝峰鉱山概況 昭和31年8月末現在
>日本セメント 西多摩工場編
http://www.kosho.or.jp/list/971/06951014.html

こんな本も有るし,この勝峰は現在閉山している様子>>63なんで,石灰石の生産からも切り離されたそれ程有利でない工場と思われる。現在は廃棄物のリサイクルに活路を見出しているようである。

東京たまエコセメント化施設
http://www.taiheiyo-cement.co.jp/service_product/recycle_mw/eco/jitsurei.html
2006年7月、東京たまエコセメント化施設(事業主:東京たま広域資源循環組合)が東京都西多摩郡日の出町で稼動を開始しました。多摩地域(人口約390万人)から発生するごみの焼却残渣(年間約9万トン)を主原料として、年間約13万トンをエコセメントにリサイクルします。生産されたエコセメントは当社が販売しています。

鉄道ぐるぐる -鉄道廃線跡と駅めぐり-
http://tetsudou-guruguru.seesaa.net/article/124836927.html
2009年08月02日
【岩井支線・廃線めぐりレポート】

大久野
http://homepage2.nifty.com/tomhei/newpage9.html

 1981年当時ED16は五日市線を一往復していました。五日市駅手前で本線と別れ、岩井支線に入り急な坂を駆け登り、大久野駅を一旦通過。更に坂を登り工場に入り、再び大久野駅付近に戻りました。その後約2時間停車し、夕刻に拝島に戻る運用でした。…

 1982年11月13日限りで五日市線の貨物が廃止されました。秋晴れの清々しい青空が広がったこの日は…
最後の運用は12号機の単機。

五日市線岩井支線
http://www.geocities.jp/takeshi_departure/iwai.html

JR五日市線には廃線があります。廃止になった部分は武蔵増戸と武蔵五日市間から分岐して武蔵岩井へ向かっていた線路です。この路線は武蔵五日市駅の手前から分岐した後しばらく秋川街道と併走し大久野中学校の手前で秋川街道を踏み切りで横断、そのまま直進し現在の日本セメントのある位置に終着駅「武蔵岩井」を置いていました。中間には「大久野駅」があるだけでした。

この路線は開設当時から貨物輸送が主体の路線であった為(セメント工場関連)に1970年当時の時刻表によれば
旅客線は1日にたった朝・夕の6往復だったと言う事です。1971年2月に武蔵五日市〜武蔵岩井間の旅客営業が廃止され…ました。(多摩 幻の鉄道より)

425とはずがたり:2014/06/16(月) 18:11:53
分岐点は五日市町駅の高架化(こんな所迄高架化!?)によって現役の本線に使われ,途中は老人ホームが建ち,粘土鉱山は太平洋セメントミネラルファイバー工場となっているようである。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.13.57.538N35.44.7.913&ZM=11

ミネラルファイバーとは聞き慣れない用語だけど石綿の代替物となる耐熱難燃剤みたいなものを造っているのかな?
http://www.taiheiyo-m.co.jp/products/productsSubtop_11/products_11/productEntry-136.html

岩井駅のあった西多摩工場は太平洋セメントとなっても健在のようである。
勝峰鉱山は工場裏手の勝峰山にあったと見て良いだろう。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.13.33.640N35.44.55.607&ZM=10
今も禿げ山が拡がっている様だ
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.13.37.238N35.44.55.708&ZM=10

426とはずがたり:2014/06/16(月) 20:46:20
■(東武根古屋線)根古屋
根古屋の秩父鉱業(株)>>420がメイン 65,811t(1965年度)

どうやら最初は根古屋近傍で石灰石が採れたようである。

歩鉄の達人さんは現役の御堂鉱業所や廃止になった皆谷鉱業所の位置や索道迄ちゃんと調べている。流石だ。
これによると御堂鉱業所は皆谷鉱業所より根古屋に近いくらいだから東秩父村へのアクセス鉄道として復活(笑)を期して欲しいw
此処迄宅地化するのはまあもう少子化時代の日本には無理だろうけど(;´Д`)
森林公園の次の段差は小川町で此処から寄居までは4連ワンマンの小運転区間となっているようである。しかし逆に言えば小川町迄都心直結の10連の電車が来ているのである♪東武の小川町駅の乗降人数は11,219人も居るそうな。
勿論開発は先ずは森林公園〜小川町(嵐山と小川町の間に新駅があってもいいな〜。)でその次が(有るとするなら)小川町〜寄居だけど更にその先があるなら小川町〜根古屋があってもよいではないか♪都市化しちゃう前に復活して更に国交省の特認で踏切復活を認可して貰わなければw
御堂鉱業所は珪石だそうだが,粘土輸送やガラス会社への輸送とか出来ないかなぁ。。

廃線探索東武根古屋線
http://www.hotetu.net/haisen/Kanto/080927toubunegoya.html
根古屋線(ねごやせん)は埼玉県比企郡小川町の小川町駅から根古屋荷扱所までを結んでいた東武鉄道の貨物線である。主に終点近くの鉱山で採掘される石灰石等を搬出するために敷設された。終点の根古屋荷扱所からは坂本経由で皆谷(秩父郡東秩父村)まで索道が敷設されており鉱山に結ばれていた。東武鉄道の蒸気機関車を使用して、貨車を牽引していた。 東上線無煙化により、1959年以降は国鉄八高線で使用されていた蒸気機関車C58型が貨物列車を牽引することになった。

一策本に拠ると
根古屋線 荷主別貨物取扱量 1965年度
根古屋駅
 秩父鉱業 石灰石 65,811t
大河駅
 日の出蛇紋工場 砕石 645t
 笠原商店 パルプ 210t
 金子石材店 鉄平石 155t…諏訪辺りで取れる石のようだが。。
 岸野木工店 木工材 137t
 以下100t未満省略

東武鉄道根古屋線〜〜消費者の利益は誰のもの?
http://www.geocities.jp/history_of_rail/neko/02.html
■東武鉄道根古屋線
 東武鉄道根古屋線は、根古屋から産する石灰石を運搬すべく、大正15(1926)年に開業した。セメント会社の専用線でなく、東武鉄道自前の貨物支線というあたりに、成立年代の古さがうかがえる。東武鉄道は、自らの責任において根古屋線を経営する道を採った。その後成立した貨物支線の多くが専用線になったことを考えれば、貨物輸送にまだ明るい展望を見出せる時代であった。

 根古屋の石灰石は、しかし早期に枯渇した。石灰石は無尽蔵とみなせるほど多量に存在するとはいえ、根古屋の地勢は奥深さに欠ける。採掘者は資源を求め、奥地へと進んだ。新しい採掘地から根古屋まで索道がつくられ、さらに奥地に進むとトラック輸送が根古屋線のフィーダーとなった。

 最盛期でも月 7,700トンの出荷にとどまったというから、盛業と呼ぶにはほど遠い状況であった。加えて、採掘地が奥地へと移っていったことは痛手であり、鉄道営業の限界はかなり早い段階から見えていた。石灰石の行先は高麗川の日本セメント(当時)埼玉工場、小川町からは指呼の先である。わざわざトラックでフィーダーするならば、そのまま工場まで運んでしまった方が効率がよい。(以下略)

小川町駅(埼玉県)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B7%9D%E7%94%BA%E9%A7%85_(%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C)
東上線は2005年3月17日から全区間直通列車の設定がなくなり、池袋方面と寄居方面の列車は当駅を境に分断された。接続列車は同じホームの向かい側に停車するため、対面で乗り換えができる。なお、池袋方面から当駅までの電車は10両編成であるが、当駅から寄居方面の電車は4両編成のワンマン運転となる。

427とはずがたり:2014/06/16(月) 20:47:32
■(東武東上線)高坂…一策本に拠ると秩父鉱業(株)粘土専用線・東武の電気機関車が終端迄乗り入れていたとのこと。S45専用線一覧に拠ると日本セメントと秩父鉱業の共用で作業機は社機(詰まりここでは東武と云う事),作業キロが2.6km(葛袋迄の距離?)とのこと。
関越道との交叉部は架線の残る橋が残っているそうな。

線路を歩こうのnaruサイト管理人氏もなかなか精緻な調査をしてらっしゃる。
管理人氏も無理だと云う大前提で鳩山町経由越生行き延伸を発言されてるけど,ここはときがわ(都幾川)町というか明覚迄延ばして通勤需要を開拓(笑)して欲しい所♪

線路を歩こう
http://www.kichijoji.gr.jp/ikaga/201001_01/1.html
 この路線は東武東上線高坂〜高本を結んでいた貨物線で、正式名称は東武鉄道高坂構外側線といいますが、ほかにも様々な名称で呼ばれているようです。

東松山専用鉄道
日本セメント東松山専用線
東武鉄道高本 (支) 線
秩父鉱業専用線
秩父鉱業高本線
などなど・・・
 もともとは、秩父鉱業株式会社>>420が所有する鉄道で、東松山市葛袋から産出するセメント原料を輸送するため、1955 年に開通しました。…のちにこの路線は日本セメントに移管されましたが、秩父鉱業の社史が入手できないため、その時期や経緯は今のところ不明です。

 古い航空写真を見たところ、1964 年以前の写真には葛袋〜高本の線路がなかったので、この区間は 1964 年以降 (線路が確認できる 1970 年までの間) に延長されたという結論に至りました。…
 鉄道の所有者が秩父鉱業から日本セメントに移管されたのは、恐らく葛袋〜高本の延長時ではないかと思います。高本にあった鉱業所は日本セメント直営だったので、そう考えるのが自然です。また日本セメントは、自社の専用鉄道を電化することに積極的だったようなので、もしかしたら電化されたのも同じ時期かも知れません。
 なお、列車の運転については、開業時から東武鉄道に委託する形を取っていたようです。用地については、廃線となった現在も太平洋セメントが所有しており。扇マークの境界標が残されています。

 この路線が廃止されたのは 1984 年 8 月 1 日だそうですが、その時まで列車が運転されていたかどうかは疑問です。というのも、探訪に行く時に乗ったタクシーの運転手が、「関越道に架かっている橋は、結局一度も列車が通らなかったんだよ。せっかく作ったのに勿体ないね」というような話をしていたからです。
 のちに本文で紹介するこの橋は「葛袋 3 号橋」といって、銘板によれば 1974 年 12 月に完成したことになっています。関越自動車道の川越 IC 〜東松山 IC が開通したのは 1975 年 8 月なので、この橋もそれに伴って建造されたものだと思います。タクシーの運転手の話が正しければ、1975 年以降 (あるいは架橋工事が始まった時点で)、すでにこの路線を走る列車はなく、事実上休止状態だったことになります。

 高本も葛袋もセメント原料を産出する鉱業所で、高本は日本セメント高本採石場、葛袋は秩父鉱業東松山採石場の拠点駅です。このうち高本採石場は 1993 年に清澄ゴルフ倶楽部というゴルフ場に衣替えしていて、現役時代の名残はほとんど残っていません。ゴルフ場の運営は太平洋セメントの関連会社が行っています。東松山採石場の方は現在も施設が残っていますが、操業を停止したまま放置されているようです。跡地に工業団地造成の話もあるようですが、この景気では当分先の話でしょう。

 鉄道用地の有効利用については…あちこち旅をして地方の凋落ぶりを見ているだけに、「何をしたって無理」という気持ちが先に立って、考える気にもなりません。…自治体が喜びそうなのは、この廃線跡を利用し、さらに新線を建設して、高坂〜越生を鉄道で結ぶことでしょう。特に鉄道のない鳩山町は泣いて喜ぶと思いますが、利用者は見込めず大赤字を垂れ流すことに…

その後調べてみたこと

日本旅行地図帳 (3 号・関東 1) より
 …この路線は 1955 年 10 月 1 日に、高坂〜葛袋が秩父鉄道として開業したことになっています。 鉄道施設まで所有していたのか、それとも運転を委託されていたのかは分かりません。また、葛袋〜高本の開業は 1971 年 7 月 30 日となっていました。1964 〜 1970 年の間だろうと予想していましたが、1970 年には線路の敷設工事が進んでいたでしょうから、航空写真に写っていても不思議ではありません。

路線図
ttp://www.kichijoji.gr.jp/ikaga/201001_01/images/map_l.jpg

ブログ
鶴ヶ島観光
秩父鉱業高本線・日本セメント東松山専用線探索(1):旅立ち編
http://gashima.blog.fc2.com/blog-entry-577.html

428とはずがたり:2014/06/17(火) 11:18:18
【武甲鉱業】
武甲線を廃止に追い込んだベルコンだけど,日本セメント直営では無く,そもそも武甲山の開発を始めた秩父石灰工業と日本セメントの共同設立会社である武甲鉱業の経営だそうな。

武甲鉱業
http://www.buko-mining.co.jp/index.html

  武甲山の石灰石採掘の歴史は、1915年、日本セメント社(旧浅野セメント社)の創始者、浅野総一郎の開発に始まります。

  1970年5月、この地に鉱区を隣接する日本セメント社(現太平洋セメント社)と秩父石灰工業社の共同出資で武甲鉱業株式会社が設立されました。

輸送
23.4kmのベルトコンベヤ、人と自然へのやさしい心づかい。

輸送の様子:毛呂山貯鉱場・高麗川橋梁・Yルートトンネル内部 自然環境保護と輸送費低減の問題を同時に解決するためにつくられたのが、武甲鉱山と太平洋セメント社埼玉工場を結ぶわが国最長級の地中式長距離ベルトコンベヤ(Y ルート)です。

 総延長23.4km、その97% を地下に設置、5 地点に積換所を設け、スチールコードベルトコンベヤ6 基を繋いだもので、各所に集塵機やサイレンサ、監視カメラや通信網を配置し、光ファイバーケーブルで鉱山側中央制御室から集中制御しています。また台風等の非常時用として、毛呂山積換所に隣接して屋外貯鉱場を設置、周辺を緑化して、粉塵、水質汚染、騒音等の公害防止にも万全の措置が取られています。

沿革
1949年 3月 秩父石灰工業社採掘開始
1970年 5月 日本セメント社(現太平洋セメント社)と秩父石灰工業社の共同出資により武甲鉱業社創立
1970年 8月 武甲鉱業社武甲鉱山として業務開始
1974 年 3月 中腹立坑及び坑内破砕設備完成
1979年 7月 山頂採掘開発工事完成
1981年 4月 三社協調採掘開始
1983年 2月 Yルート建設工事完成・山元能力増強工事完成
1983年10 月 粗骨材(2005)設備完成、以後随時能力増強
(1984年 2 月 秩父鉄道武甲線及び武甲駅廃止)
1986年 2 月 細骨材(砕砂)設備完成、以後随時能力増強
1993年10月 毛呂山貯鉱場完成
1997年 6月 山頂新立坑完成
2007年 日高新社屋竣工(1月)・本社を日高市に移転(4月)

429とはずがたり:2014/06/17(火) 11:28:01
【菱光石灰工業(株)】

事業所
宇根鉱山
http://www.ryokolime.co.jp/0107.htm
沿革
http://www.ryokolime.co.jp/0104.htm
石灰部門

昭和34年 3月 三菱セメント社(現三菱マテリアル社以下同じ)が秩父産業社の株式68%取得、石灰会社の経営権を取得
昭和42年 4月 秩父産業が商号変更し、「菱光石灰工業(株)」となる
昭和42年10月 工場の近代化に着手 重油専焼炉(メルツ1号)を発注
昭和43年10月 菱光石灰産業(株)を設立、石灰部門を担当する
鉱山部門

昭和35年11月 三菱セメント社、宇根鉱山(株)を設立(西武鉄道共同出資)
昭和42年 9月 石灰石鉱山開発に着手
昭和44年 5月 菱光石灰工業が商号変更し、宇遠鉱山(株)となり鉱山部門を担当する
昭和44年10月 宇根鉱山開山
昭和47年 3月 三菱セメント社が宇根鉱山社株式100%取得
昭和48年 4月 三菱セメント社が宇遠鉱山社(旧秩父産業)株式100%取得
同 上 宇根・宇遠 両鉱山が合併し、宇根宇遠鉱山(株)となる
石灰部門と鉱山部門統合

昭和48年 8月 菱光石灰産業株式会社と宇根宇遠鉱山株式会社と合併、社名を菱光石灰工業株式会社として発足
砕石部門

平成19年 3月 菱鉱建材株式会社株式100%取得
平成19年 4月 菱鉱建材株式会社を吸収合併

430とはずがたり:2014/06/17(火) 11:31:05
【太平洋秩父セメント・叶山鉱山】
現在の秩父セメント(太平洋セメントだけど)の主力鉱山は既に埼玉県内(三輪鉱業所・影森)から群馬県内の叶山に移っているそうな。叶山は元々日本セメント系の秩父鉱業>>420が開発した鉱山であるから太平洋セメントとしての社内の最適化が図られているとのことのようだ。武甲山の三社協調採掘とかあるけど3社は秩父・浅野(日本)・三菱であろう→秩父は秩父太平洋セメント,日本は秩父石灰工業との合弁の武甲鉱業>>428,三菱は菱光石灰>>429の様だ。

叶山から武甲鉱業のYルートにも匹敵する長距離ベルコンで武州原谷の秩父工場へ直結して石灰石供給をしている。

元々
叶山付近
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E138.50.55.996N36.4.26.588&ZM=9

叶山鉱山
http://www.ct-cement.co.jp/2jigyo_kanouyama.html

叶山鉱山の位置
 叶山鉱山は、群馬県南西部、埼玉県境に位置し、昭和59年に操業を開始しました。
 本鉱山では、約200万トン/年の石灰石が生産されています。

特徴
1. 長距離BC(KLT No1・2)
14kmと8.6kmのベルトコンベヤ(通称KLT1、KLT2)を使用し、群馬県多野郡神流町〜埼玉県秩父市までの約23km間を運搬しております。
2. 希少植物の保護育成
叶山鉱山開発時から自然保護団体の指導により、39種類の希少植物の保護育成に努めております。

石灰石の生産
 石灰石は露天でのベンチカット工法にて採掘され、大型重機によって、立坑へ運搬・投入されます。
 その後、坑内に設置された小割室、破砕室を経て一旦坑外の貯鉱場に貯えられます。

秩父太平洋セメント

秩父セメントの誕生、発展
1922年 ・渋沢栄一翁、諸井恒平(初代社長)セメント工場予定地を視察<(工場建設決断)
1925年 ・秩父第一工場竣工 操業開始  セメント販売開始
同年 ・石灰石鉱山開設(現三輪鉱業所)  採掘開始
1956年 ・秩父第二工場竣工 操業開始
1962年 ・熊谷工場竣工、操業開始
1981年 ・武甲山山頂三社協調採掘開始
(1983年 ・日本セメント系の秩父鉱業が叶山鉱業所を開設>>420)
1984年 ・叶山鉱山開設、操業開始

合併あらたな企業に
1994年 ・秩父セメントと小野田セメントが合併、秩父小野田発足(10/1)
1998年 ・秩父小野田と日本セメントが合併、太平洋セメント発足(10/1)

分社・秩父太平洋セメント誕生
2000年(6/29) ・秩父太平洋セメント株式会社設立
同年(12/11) ・秩父工場第2プラント(埼玉県秩父市大野原1800:武州原谷)、三輪鉱業所(武甲山西側:影森)、叶山鉱業所の事業を継承し秩父太平洋セメ ントとして営業開始
2001年 ・産業廃棄物の原料・燃料化事業(リサイクル事業)の拡大
2002年 ・タンカル製品生産開始
2010年 ・普通セメント生産中止、リサイクル受入処理事業開始(→現在の取扱品目は:普通ポルトランドセメント(当工場でのセメント生産中止後は、太平洋セメント熊谷工場で生産されたセメントを場内出荷基地より出荷)・スーパージェットセメント(超速硬セメント)・GRC基材・タンカル)

431とはずがたり:2014/06/17(火) 11:32:44
>>428

秩父石灰工業(株)
http://www.titi-lime.co.jp/Company/Outline.html
本社 東京都中央区新川1−8−6秩父ビル

製品
http://www.titi-lime.co.jp/Product/Normal/LimeStone.html
生石灰・消石灰・炭カル・石灰石

沿革
http://www.titi-lime.co.jp/Company/History.html
1940年(昭和15年) 秩父石灰工業株式会社設立。秩父郡横瀬村芦ヶ久保にて事業開始
1948年(昭和23年) 東京都中央区新川1丁目6番地に営業所開設
1957年(昭和32年) 武甲工場新設
1958年(昭和33年) 食品添加物製造業許可
1964年(昭和39年) 炭酸カルシウム工場新設
1970年(昭和45年) 自社開発のCS式ハイドレータによる消石灰工場新設
1970年(昭和45年) 日本セメント(現太平洋セメント社)と共同出資で武甲鉱業株式会社を設立し、 双方鉱区の共同採掘をするため同社に武甲鉱山の採掘を委託
1971年(昭和46年) 株式会社武甲運輸を設立し、運輸部門を分離独立
1972年(昭和47年) 第2消石灰工場増設
1973年(昭和48年) 秩父興産株式会社設立
1974年(昭和49年) 本社ビル(秩父ビル)竣工
1983年(昭和58年) ブリケット設備新設
1993年(平成5年) 複合石灰製造プラント新設

432とはずがたり:2014/06/17(火) 12:00:51
>>420>>427>>428
武甲鉱業沿革に武甲・根古屋・高坂・西大家関連の情報をちょろっと追加

1949年 3月 秩父石灰工業社採掘開始
(1955年 4月 ■日本セメント(株)埼玉工場新設。高麗川駅所管の日本セメント㈱専用線(作業キロ1.9km)が新設。石灰石が氷川(現奥多摩)駅から1日7個列車、武甲駅から同3個列車が到着の ほか、東武鉄道の根古屋駅 から石灰石、高坂駅(10月■高坂構外側線開通)から粘土が列車単位で高麗川駅に到着[拙頁ttp://butsuryu.web.fc2.com/nihon-cement.html#2_2 ])
(1963年 ■西大家貨物線開通[wiki])
(1967年 4月 ●皆谷鉱山枯渇・閉山に伴い東武根古屋線及び根古屋駅廃止)
1970年 5月 日本セメント社(現太平洋セメント社)と秩父石灰工業社の共同出資により武甲鉱業社創立
1970年 8月 武甲鉱業社武甲鉱山として業務開始
(1971年)
1974 年 3月 (武甲鉱山)中腹立坑及び坑内破砕設備完成
(1974年 ■武甲駅の構内は狭く編成単位の荷役が出来ない為日本セメント向け石灰石は武州原谷発に変更され,武甲駅は各地個別発着向け小単位のみ残された[一策本p42]とあるが,武州原谷発の石灰石の出所はどうなっているのかね?高麗川向けを含めて武甲で積み込み武州原谷へ送り,高麗川行きは武州原谷で列車を仕立てた,なら解るけど)
1979年 7月 山頂採掘開発工事完成
1981年 4月 三社協調(武甲鉱山・菱光石灰工業>>429・秩父セメント)採掘開始
1983年 2月 Yルート建設工事完成・山元能力増強工事完成(→Yルートと鉄道貨物輸送は一年程は併用した様だ)
1983年10 月 粗骨材(2005)設備完成、以後随時能力増強
(1984年 ●秩父鉄道武甲線及び武甲駅廃止(2月)・●東武鉄道高坂構外側線廃止(7/31)・●西大家貨物線廃止)
1986年 2 月 細骨材(砕砂)設備完成、以後随時能力増強
1993年10月 毛呂山貯鉱場完成
1997年 6月 山頂新立坑完成
(1998年 8月 ●奥多摩駅の貨物運行終了[wiki])
(1999年 3月 奥多摩駅の貨物取扱廃止[wiki])
(1999年 9月 ●高麗川駅の日本セメント専用線が廃止[wiki])

433とはずがたり:2014/06/17(火) 12:06:06
>>63再訪(リンクは既に死んでいる)

 秩父・多摩地域の石灰石鉱山の平成4年4月から平成5年3月の間の生産量
                              (資料10)
 秩父鉱業>>420 御堂鉱山(埼玉県秩父郡東秩父村) 約60万t→珪石の様だが。旧根古屋駅の山奥にある
 秩父セメント 叶山鉱山>>430(群馬県多野郡中里村) 約267万t→ベルコンで秩父鉄道武州原谷(秩父太平洋セメント工場)→三ヶ尻(太平洋セメント熊谷工場へ)
 鋼管鉱業 武蔵白岩鉱山(埼玉県入間郡名栗村) 約18万t
 ニッチツ 日窒鉱山http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1070723570/1310(埼玉県秩父郡大滝村) 約12万t→嘗て鉄鉱石等掘り出していた頃は索道で秩父鉄道三峰口→浜川崎へ
 奥多摩工業 青梅鉱山(東京都青梅市) 約27万t→青梅線氷川(奥多摩)
 新鉱工業 名郷鉱山(埼玉県入間郡名栗村) 約23万t
 昭和石材工業所 古里鉱山(東京都西多摩郡奥多摩町) 約337万t→青梅線古里(昭和社は1944年の青梅線・御嶽駅〜氷川駅開業とともに,採石採取を開始した。品質が石灰混じりの珪岩のため強度に富むのが特徴で,当初は道路用採石を採取していたが,この頃(とは註1977年頃)は骨材としての需要も高くなっていた。[一策本]昭和30年代の古里駅の採石の発送は3万弱t〜9万弱t程。)

なお、これ以外にすでに採掘を終了したと思われる鉱山として
 桧原鉱業所 桧原鉱山(東京都西多摩郡檜原村)
 日本セメント 勝峰鉱山(東京都西多摩郡日の出町)→旧大久野・太平洋セメント西多摩工場>>424
 奥多摩工業 氷川鉱山(東京都西多摩郡奥多摩町)

434とはずがたり:2014/06/17(火) 12:25:09
>>432変更

(1974年 ■武甲駅の構内は狭く編成単位の荷役が出来ない為日本セメント向け石灰石は武州原谷発に変更され,武甲駅は各地個別発着向け小単位のみ残された[一策本p42]。更に武甲(秩父鉱業)〜高麗川(日本セメント埼玉)の石灰石輸送は、武州原谷駅に積込設備を新設し発駅を同駅に変更し合理化[ ttp://butsuryu.web.fc2.com/taiheiyo-cement.html#4-1 ]されたとのことなので,武甲山から武州原谷迄石灰石はトラックによる横持ち輸送とのことか?効率悪そうである)

435とはずがたり:2014/06/17(火) 12:58:27
そもそも武甲駅は何の為に開設されたのか?1918年開通のようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B1%E6%A3%AE%E9%A7%85
1918年(大正7年)9月16日 - 武甲線 影森〜武甲間開業。貨物営業のみ[2]。
[2] 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1918年9月19日(国立国会図書館デジタル化資料)

> 武甲山の石灰石採掘の歴史は、1915年、日本セメント社(旧浅野セメント社)の創始者、浅野総一郎の開発に始まります。>>428
やはりこれがきっかけ?

とすると狭隘な武甲駅は大正期の小規模な日本セメントの石灰石開発以来の駅と云う事で戦後,大規模に採掘http://www.ryokolime.co.jp/0107.htm(&gt;&gt;429)されるようになって日本セメの搬出駅としても全く容量不足に陥ったと云う感じか。

(1915年 ■日本セメントの浅野総一郎によって武甲山の石灰石採掘開始>>428)
(1918年 9月 ■武甲線 影森〜武甲間開業[wiki])
1949年 3月 秩父石灰工業社採掘開始
(1955年 4月 ■日本セメント(株)埼玉工場新設。高麗川駅所管の日本セメント㈱専用線(作業キロ1.9km)が新設。石灰石が氷川(現奥多摩)駅から1日7個列車、武甲駅から同3個列車が到着のほか、東武鉄道の根古屋駅 から石灰石、高坂駅(10月■高坂構外側線開通)から粘土が列車単位で高麗川駅に到着[拙頁ttp://butsuryu.web.fc2.com/nihon-cement.html#2_2 ])
(1963年 ■西大家貨物線開通[wiki])
(1967年 4月 ●皆谷鉱山枯渇・閉山に伴い東武根古屋線及び根古屋駅廃止)
1970年 5月 日本セメント社(現太平洋セメント社)と秩父石灰工業社の共同出資により武甲鉱業社創立
1970年 8月 武甲鉱業社武甲鉱山として業務開始
(1971年)
1974 年 3月 (武甲鉱山)中腹立坑及び坑内破砕設備完成
(1974年 ■武甲駅の構内は狭く編成単位の荷役が出来ない為日本セメント向け石灰石は武州原谷発に変更され,武甲駅は各地個別発着向け小単位のみ残された[一策本p42]とあるが,武州原谷発の石灰石の出所はどうなっているのかね?高麗川向けを含めて武甲で積み込み武州原谷へ送り,高麗川行きは武州原谷で列車を仕立てた,なら解るけど)
1979年 7月 山頂採掘開発工事完成
1981年 4月 三社協調(武甲鉱山・菱光石灰工業>>429・秩父セメント)採掘開始
1983年 2月 Yルート建設工事完成・山元能力増強工事完成(→Yルートと鉄道貨物輸送は一年程は併用した様だ)
1983年10 月 粗骨材(2005)設備完成、以後随時能力増強
(1984年 ●秩父鉄道武甲線及び武甲駅廃止(2月)・●東武鉄道高坂構外側線廃止(7/31)・●西大家貨物線廃止)
1986年 2 月 細骨材(砕砂)設備完成、以後随時能力増強
1993年10月 毛呂山貯鉱場完成
1997年 6月 山頂新立坑完成
(1998年 8月 ●奥多摩駅の貨物運行終了[wiki])
(1999年 3月 奥多摩駅の貨物取扱廃止[wiki])
(1999年 9月 ●高麗川駅の日本セメント専用線が廃止[wiki])

436とはずがたり:2014/06/18(水) 20:24:10
【武甲→日セメ埼玉工場の石灰石輸送に関して】

<補題1>
●浅野Gが武甲山付近の石灰石開発を始めた1915年の翌年に武甲駅が開設。
●日本セメントから分離された秩父鉱業の秩父鉱業所(秩父市上影森662)が武甲駅に隣接

この事から武甲駅では秩父鉱業秩父鉱業所採掘の石灰石発送が主要な機能として付与されていたものと思われる

<補題2>
●秩父鉱業所の石灰石採掘は1972年には終了している。
●1970年には日本セメント社(現太平洋セメント社)と秩父石灰工業社の共同出資により武甲鉱業社創立,8月に武甲鉱業社武甲鉱山として業務開始している。

秩父地区の日本セメントの主力鉱山はこの頃武甲鉱山に移行している。
秩父鉱業所の廃止は武甲鉱山の採掘が軌道に乗ったのを見届けたとも想定できる

<定理1>
●1974年に武甲駅の構内は狭く編成単位の荷役が出来ない為日本セメント向け石灰石は武州原谷発に変更され,武甲駅は各地個別発着向け小単位のみ残された[一策本p42]

大正期に既に開設されていた武甲駅<補題1>は戦後の高度成長下の生産体制の元では狭隘だったようである
既にメインの採掘現場は武甲駅周辺の秩父鉱業所から武甲鉱山に移っており<補題2>,わざわざ山裾の武甲駅を山を削って拡張するよりは武州原谷に積み込み設備を設置した方が合理的であった様だ。

<定理2>
●1981年4月 三社協調(武甲鉱山・菱光石灰工業>>429・秩父セメント)採掘開始
●1983年2月 Yルート建設工事完成・山元能力増強工事完成(→Yルートと鉄道貨物輸送は一年程は併用した様だ)
●1984年 秩父鉄道武甲線及び武甲駅廃止(2月)・東武鉄道高坂構外側線廃止(7/31)・西大家貨物線廃止

(そもそも3社協調採掘が行われる等今後も主力となり得る巨大な)武甲鉱山からの石灰石の出荷は武州原谷迄のトラックの横持ちが発生する為に鉱山と工場を専用貨物で直結する鉄道貨物の有利性は失われており,索道なりベルコンなりで駅に直結するならば,工場迄直送した方が効率的であるという判断が下されたものと思われる。
<未調査な点>
武甲の川鉄千葉や日本鋼管川崎等を含めて首都圏の最大石灰供給基地になっていた奥多摩の枯渇が重なったかどうかは未調査。その後奥多摩発の鉄道貨物輸送が急速に廃れた事でそう推定されるが時期的な整合性があるかどうか。

<未解明な点>
謎は,武甲駅から武州原谷に貨物積み込み設備が移された事では無く,寧ろ,既に近隣での石灰石採掘が終了した武甲駅に各地個別発着向け小単位が廃止もされずに残されたと云う点である。
武州原谷の積み込み設備が埼玉工場向けに特化した設備だったのか原谷により大きな設備を作って武甲の設備を廃止してしまうのは不効率だったのか?いずれにせよ,埼玉工場への東武側の搬入インフラの廃止と同時に武甲駅も廃止されている。

438荷主研究者:2014/07/05(土) 15:54:42

http://www.nikkan.co.jp/news/nkx0920140527cbal.html
2014年05月27日 日刊工業新聞
日本製紙、コンクリ構造物の長寿命化へ混和材の実証開始

 日本製紙は26日、コンクリート構造物の長寿命、高耐久性を促進するコンクリート用混和材「CfFA」の生産販売に向け実証事業を始めると発表した。大分大学発ベンチャーのゼロテクノ(大分市)と共同出資で日本製紙石巻工場(宮城県石巻市)に「日本製紙ゼロテクノ東北有限責任事業組合」を7月に設立する。出資額は3000万円。今後、東北地方で本格化する東日本大震災の復興工事向けにCfFAの普及を目指す。

 CfFAは同工場の石炭ボイラ燃焼灰を利用して生産する。約6億円を投じて、年産能力約1万トンの実証設備を2015年末までに新設する。技術支援はCfFAの生産技術を確立したゼロテクノが、販売は日本製紙ゼロテクノ東北が担う。

439とはずがたり:2014/07/19(土) 18:58:15

平成14年5月10日
太平洋セメント株式会社
津久見工場で木質バイオマス利用施設を建設
http://www.taiheiyo-cement.co.jp/news/news/020510.html

 太平洋セメント株式会社は、これまで廃棄物として焼却されていた製材の端材や未利用のまま山林に放置されている間伐材、建設発生木材などをセメント製造の燃料として活用する「木質バイオマス利用施設」を津久見工場(大分県津久見市)に建設します。

 この施設は木材をチップ化する木材破砕設備と、チップ化した木材をキルン(セメント焼成炉)に投入する設備からなり、これにより年間22,500トンの木材を受入れ、石炭の代替燃料として活用することが可能となります。
 本事業の推進にあたっては、大分県の指導のもと、林野庁が進める「木質バイオマス資源多角的利用促進緊急対策事業」による補助金を受けて施設を建設しますが、同制度を活用した木質バイオマスの利用は全国で初めてです。
 本施設の稼動により石炭使用量を低減することができ、二酸化炭素の排出削減にもつながります。また、焼却処理による廃棄物の発生がないため最終処分場の延命化が図れます。さらに、間伐の推進により健全な森林育成にも貢献できるものと期待しております。

<木質バイオマス利用施設の概要>

工 場 所 在 地 大分県津久見市合ノ元町2−1
木材受入、破砕設備 処理能力=20トン/時、工場に隣接する水晶山石灰石採掘跡地に建設
木材チップ投入設備 焼却能力=4トン/時、4号、5号キルンプレヒータ部に付設
 工 事 期 間 平成14年3月〜11月(竣工予定)
 稼 動 開 始 平成14年12月(予定)
 処 理 対 象 間伐材、建設発生木材、ダム流木、製材端材(計22,500トン/年)
 総 事 業 費 6億9000万円(内2億3000万円は「木質バイオマス資源多角的利用促進緊急対策事業」による補助金=平成13年度林野庁補正予算)※なお、本施設建設にあたり5月13日(月)午前10時より現地にて起工式を執り行います。

444荷主研究者:2014/10/26(日) 17:01:06

http://www.sankeibiz.jp/business/news/140918/bsc1409180500009-n1.htm
2014.9.18 05:31 Fuji Sankei Business i.
旭硝子鹿島工場 建築ガラス需要堅調推移 エコ製品ラインはフル稼働

旭硝子鹿島工場の板ガラス製造ライン=17日、茨城県神栖市【拡大】

 旭硝子は17日、アジア最大級の板ガラス製造拠点である鹿島工場(茨城県神栖市)を報道陣向けに公開した。消費税増税に伴い新設住宅着工戸数は低迷しているが、建築ガラスの需要は堅調に推移。断熱性の高いエコガラスなどの一部製造ラインはフル稼働が続いていた。

 約1600度の高温で溶かしたガラス原料が銀色のスズ上にきれいに広がった−。同工場の安澤亨ガラス部長は熱気がこもる板ガラス製造設備を見ながら、「平面になった素地をゆっくりと冷まして固めることでゆがみなどを防ぐんです」と説明した。

 固めたガラスは洗浄、検査などを経て2.5メートル×3.8メートルの大きさに切断し、板ガラスとして建築加工用などに出荷される。

 同工場は約83万平方メートルの広大な敷地に従業員約600人が働く主要拠点。1981年に製造を始めた板ガラスは全長約600メートルの巨大な生産ラインを持ち、年約27万トンの生産能力という世界でも屈指の規模を誇る。

 2012年には、板ガラスに断熱性のある金属膜を塗布するエコガラスの生産ラインを新設。増税の駆け込み需要に伴う反動減で新設住宅着工戸数が7月まで5カ月連続で前年同月を下回る中、大春一也工場長は「昨年9〜12月が需要のピークだったが、エコガラスの(新設の)生産ラインはフル稼働が続いている」と好調をアピールしていた。

445とはずがたり:2014/11/01(土) 21:17:31
白石工業http://www.shiraishi.co.jp/kogyo/桑名工場は有名な廃スポットの様だ。
http://www.geocities.jp/teamhaikyo/kouzan/fujiwara/fujiwara.htm

○白石工業について
明治42年、白石恒二は、再還元法による軽微性炭酸カルシウムの製造方法を発明。弟とともに白石工業の前身となる白石兄弟商会を設立した。再還元法の物の動きを見ると、
石灰石(炭酸カルシウム)→生石灰→消石灰→炭酸カルシウム
であるので、一見手間がかかるだけの工程にも見える。実際、石灰石を物理的に細かく砕くだけでも炭酸カルシウムが得られる。しかし、こうした再還元の工程を辿らせることで、より粒子が細かくて均一な軽微性炭酸カルシウムが出来る。ちなみに、物理粉砕しただけのものを「重質炭酸カルシウム」、再還元したものを「軽質炭酸カルシウム」と呼び、区別している。
そして、大正8年、白石工業株式会社を設立。同10年には桑名工場が操業を開始し、本格的な生産が始まった。その後、順調に需要を拡大、全国に多数の工場と販売拠点を新設し、現在に至っている。

○「日本一」の企業へ
白石工業が製造・販売した「軽微性炭酸カルシウム」こそが、日本初の化学工業製品だった。また、軽微性炭酸カルシウムの粒子径は、およそ数十ナノメートル(1ナノ=10億分の1)。今でこそナノテクノロジーがもてはやされているが、ナノという言葉が使われるようになったのは1990年頃の話。その80年以上前の明治42年(1909年)に、既にナノ微粒子の紛体が、日本で化学的に作られていたことになる。世界の科学史においても、驚異的な事実といえる。
こうした微粒子で商売をしているため、研究・開発には顕微鏡が必要になってくる。日本で初めて電子顕微鏡を作り出したのも、白石工業だった。分析機器に関する技術も非常に高く、後に研究および分析機器開発部門が「株式会社白石中央研究所」として独立することになる。
今や炭酸カルシウムは、合成ゴムやプラスチック、紙、印刷インク、塗料、食品添加物、医薬品等に欠かせない原材料の一つになっている。白石工業は、世界最高水準の炭酸カルシウムをはじめ、様々な研究開発に取り組んでいて、業界のパイオニアとして君臨し続けている。販売量云々ではなく、白石工業が日本のトップメーカーであることは、歴史が物語っている。

446とはずがたり:2014/11/23(日) 23:37:35

石炭灰を復旧・復興に活用 新地発電所で土木資材製造
http://news.goo.ne.jp/article/fminyu/region/fminyu-14834175.html
福島民友2014年11月22日(土)10:10

 東京電力と東北電力が出資する相馬共同火力発電(相馬市)は21日、新地町の新地発電所(総出力200万キロワット)から出る微粉末の石炭灰をコンクリートのような土木資材として活用すると発表した。本県沿岸部の津波被災地の復旧・復興工事に必要な盛り土(土砂)が不足しているため、同社は土木資材を年間約3.7万立方メートル製造し、復興の推進につなげたい考え。今月下旬には、同発電所構内に設けた設備で本格的な製造が可能となる。
 同発電所から出される石炭灰年間約50万トンのうち、1割程度の年間約5万トンを活用する計画。電気集じん器で集めた微粉末の灰「フライアッシュ」にセメントと水、石こうを混ぜ合わせたものを工事現場に敷いて専用の振動装置で固めて製造する。コンクリートの3分の1程度の強度があり、防災緑地帯や津波対策避難所、宅地造成などに活用できる。
 同社は製造した土木資材を県の防災緑地事業に提供する予定で、「地元の復興の一助となってほしい」とし、積極的に活用を広げる考え。25日には同発電所構内で初出荷式を行う。

448荷主研究者:2014/12/21(日) 19:12:54

http://www.nikkan.co.jp/news/nkx0920141112caak.html
2014年11月12日 日刊工業新聞
熊谷組、火力発電所の廃棄物からコンクリ混和材−国道工事に有効活用

 熊谷組は国土交通省東北地方整備局から受注した国道45号線釜石山田道路工事(岩手県釜石市、写真)で、宮城県石巻市にある石炭火力発電所のフライアッシュ(石炭灰)をコンクリート混和材として有効活用した。釜石山田道路は東日本大震災の後に計画された、いわゆる震災復興道路。フライアッシュはコンクリートの耐久性を増す効果があるものの、打設前の品質管理が難しく、復興関連工事に使われたのは初めてという。適用場所はトンネル坑口部分の内面仕上げ用覆工コンクリート。

 フライアッシュは日本製紙の石巻工場にある火力発電所で集じんされたものを、ゼロテクノ(大分市)が加工処理。日本製紙とゼロテクノは“地産地消による廃棄物削減”を目指し、同工場内に事業組合を設立して加工処理工場を建設中。

 2016年1月の工場稼働に先立ち、熊谷組がゼロテクノで混和材に加工処理した製品の供給を受けて施工(写真)した。

450荷主研究者:2014/12/21(日) 20:10:06

http://www.kobe-np.co.jp/news/keizai/201412/0007554662.shtml
2014/12/4 08:30 神戸新聞
コンクリートで道路舗装を セメント業界、普及本腰

コンクリートの新製品見学会。24時間で固まり、従来より工期を大幅短縮できる=10月下旬、赤穂市折方、住友大阪セメント赤穂工場

 セメント業界が、コンクリートによる道路舗装の普及に力を入れている。設備などの初期コストが安く、工期も短いアスファルト舗装が国内では主流だが、原料の原油は輸入に頼っており、円安の進行などで、国内調達が可能なコンクリートが見直されつつある。この機を捉えようと、業界団体やメーカーが、工期を短縮できる新製品を共同開発し、兵庫県内でも工事見学会を開くなどPRに本腰を入れている。(末永陽子)

 国内の道路舗装は1950年代まで、セメントに砂や砂利を混ぜたコンクリートが約6割を占めた。しかし、コストや工期の面で優位性が高いアスファルトに押され、現在はシェア約5%。国内のセメント生産量も、公共事業の減少などでピーク時(90年度)のほぼ半分に落ち込んでいるという。

 国内メーカー約20社でつくるセメント協会(東京)は、再び道路舗装に活路を見いだそうと、2007年ごろから新製品の開発に着手した。練ることで水分量を減らせる建築用の薬剤を転用し、従来は約2週間だった舗装から道路開通までの養生期間を、24時間まで短縮。「早期交通開放型コンクリート舗装」として09年、完成させた。

 同協会員の住友大阪セメント(東京)は今秋、同社赤穂工場(赤穂市)で新製品見学会を開催。行政、業界関係者ら約130人を招いて、「耐久性があり、維持管理費も含めるとコストは高くない」「長期間の工事規制が難しい市街地道路や、交通量が多く傷みが早い交差点の補修に向いている」などの利点をPRし、工程を実演した。参加した土木職員からも「これまでの難点を克服している」と評価の声が上がった。

 新製品の施工件数は徐々に増え、14年度は過去最高だった13年度の15件(約4千平方メートル)を超える見通しだ。うち官公庁分は2件のみだが、国土交通省が道路舗装の発注業者に対してアスファルトとコンクリートの比較検討を推奨しており、今後の伸びが期待される。

451とはずがたり:2015/01/30(金) 15:25:31
>>424>>433
【日本セメント西多摩工場に於ける大久野専用線(岩井支線)の廃止に就いて】

これは比較的明瞭に渡辺一策氏によって明らかにされているが,
「特殊セメントの工場となりばら積みセメントの出荷がメインとなり,コスト減の為にばら積み出荷となっていた物適的輸送の方向性と不適応だった。」
がまあ最大の理由と云えるであろう。大久野は粘土の構内輸送もある趣味的に激萌えな構造だったけどこれでは仕方があるまい。。

なお未解明の命題に

?隣接の勝峰鉱山も閉山となり,工場の生産量そのものも減った?

?鉄道による石灰石移入元の青梅の生産量も減った?

?主な輸送は燃料重油の移入だったそうだが,オイルショック以降の燃料重油の使用を抑制する方向に働いた?
などがあると思われる。

現在ではエコセメント等の生産拠点になるなど特殊セメント系拠点という色合いは健在のようである。
また産業燃料が重油から都市ガスに移行する流れがあるけどその辺はセメント業界としてはどうなんだろ?

452荷主研究者:2015/02/08(日) 12:42:54

http://www.kagakukogyonippo.com/headline/2015/01/20-18785.html
2015年01月20日 化学工業日報
吉澤石灰工業 排ガス、飛灰処理用で市場開拓

 吉澤石灰工業(東京都中央区、吉澤慎太郎社長)は鉄鋼の精製や肥料などに使うドロマイトの市場開拓の一環として、排ガスや飛灰の処理用に開発した薬剤を廃棄物処理、火力、バイオマス発電施設などを運営する自治体および民間企業向けに売り込む。両製品を併用すると排ガスや飛灰の処理や処分にかかる費用が抑えられる点を訴求する。次の中期経営計画(2015?17年度)の最終年度までに両製品の販売で年間20億円達成を目指す。

455とはずがたり:2015/02/24(火) 21:48:42

音羽蒲郡IC付近の東名下り線でで松本ナンバーの三岐通運のセメントトラックを見た。
恐らく藤原工場から三遠南信道経由で伊那地方南部へセメントを供給した帰りだと思われるが,三遠南信道がいくら無料だからと云って飯田は遠いし四日市から飯田ならなんで中央道・東海環状経由にしなかったのか疑問が残る。
三遠南信道の工事現場などにストックポイントでもあって其処への供給を担当しているのかも知れない。

それにしも南松本への鉄道貨物輸送ぐらい復活できないものか。

458荷主研究者:2015/03/01(日) 15:03:24

http://www.kagakukogyonippo.com/headline/2015/02/19-19160.html
2015年02月19日 化学工業日報
トクヤマ 廃石膏再生工場増設

 トクヤマは、廃石膏の完全再生に取り組む生産拠点を増強する。石膏ボードメーカー、チヨダウーテとの合弁会社が千葉県袖ヶ浦市に新工場を2015年をめどに設置し、向こう数年内に山口・北九州地区にも3拠点目を設ける。三重県の既存工場とあわせて生産能力は数十万トン規模に拡大し、全国的に増えている廃石膏の再生需要に応える。トクヤマは化成品やセメントに続く新事業の育成に力を入れ、収益力を強化する。


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