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金融機関観察スレッド

1■とはずがたり:2002/11/07(木) 17:40
銀行・証券・信託銀行・生保・損保といった金融機関とその子会社・関連会社の観察スレッド

2395とはずがたり:2013/11/21(木) 18:57:29
ダメポ銀行の名を欲しいままにするみずほ銀行。俺の所属してた大学のサークルも経済学部の先輩は皆一勧に就職していたので,そっち選んでたら今頃みずほ銀行員だったかも。

すべての悲劇はここから始まった!
みずほ銀行の歯車を狂わせた
統合前の首脳9人総退陣劇
http://diamond.jp/articles/-/43572

巨大銀行の歯車を狂わせ混乱を招いた
首脳9人総退陣という“政変”

?みずほでかつて、首脳9人総退陣という“政変”があった。みずほホールディングス(HD)にぶら下がっていた日本興業銀行、富士銀行、第一勧業銀行の旧3行が統合する直前の2001年11月末のことだ。

?この人事こそが、みずほという巨大銀行の歯車を狂わせ、今日に至る混乱の歴史の幕を開けたといっても過言ではない。さらにいえば、今、国民的な関心事となっているみずほ銀行による暴力団への融資問題の遠因になったともいえる。今、その内幕を初めて明かす──。

?当時、みずほは不良債権処理の上積みと株価下落のダブルパンチで危機にひんしていた。そこで、経営刷新による再起を狙ったみずほHDの西村正雄氏(興銀頭取、当時。以下同)、山本惠朗氏(富士頭取)、杉田力之氏(一勧頭取)の3CEOは、自らを含む取締役9人の一斉退陣を発表した。

?ところが、その9人には、池田輝三郎副社長(旧興銀)、小倉利之副社長(旧富士)、そして杉田CEOと共に3行統合をまとめあげた西之原敏州副社長(旧一勧)ら、次のトップと目されていた本命候補全員が含まれていたため、みずほは一転、大混乱に陥る。

?一斉退陣劇を幹部として目撃したみずほOBは、本命候補が巻き添えになった背景をこう振り返る。

「統合準備の過程で、西村頭取や山本頭取は、一勧の西之原さんの実力をまざまざと見せつけられた。彼を残すと、その後のみずほは一勧に牛耳られる、そう恐れた」

?そこで自らの退任に合わせ、各行の本命とされた後継候補を含む全取締役の退任という詰め腹を切らせる形で、西之原氏の後継の芽を摘んだというわけだ。その際、3CEOが敬遠していたり、その能力に嫉妬していた副社長も退任させられたといわれる。

旧行の思惑と私情が絡む
歪みの象徴となった後継指名

?旧行の思惑と私情が絡んだトップ人事によって、みずほはその出だしからつまずき、大きくゆがんでしまう。その象徴が後継指名だ。

?本命候補が軒並み姿を消したことで、白羽の矢が立った人物こそ、長年にわたってみずほに君臨することになる前田晃伸HD社長と、齋藤宏・みずほコーポレート銀行(CB)頭取だったのである。当時、この2人の名前を後継候補として挙げていたメディアは皆無といってよく、無名の存在だった。

「リーダーシップも経営手腕も身についていない人間がトップに立ったことが、みずほの悲劇の始まりだった」(元取締役)

?そんな前田・齋藤の2トップ体制が暴走し始めたのは04年。2人と同時に3トップの一角に座った工藤正・みずほ銀行(BK)頭取の突然の退任劇からだ。

?工藤頭取は後任として一勧出身の森信博CB副頭取を推したが、前田・齋藤連合がこれに真っ向から反発。同じく一勧出身ながら前田氏に近かった杉山清次氏をBK頭取に引き上げたのである。

「一勧出身者の誰1人として頭取に推薦していない」と、一勧出身のみずほOBがこき下ろす杉山氏の擁立に成功したことで、2人による長期政権の地盤が固まる。「2人の子飼いだった杉山のせいで、旧一勧の有望人材は一掃されてしまった」とこのOBは悔やむ。

2396とはずがたり:2013/11/21(木) 18:57:51
>>2395-2396
?2人の暴走はこれ以降、さらに加速していく。

?グループ内で6000億円を超す巨額損失が発生しても、齋藤氏の“路チュー”事件という前代未聞のスキャンダルが発覚しても、トップに居座り続けた。権力は堕落する、まさにその典型といえた。

前田・齋藤連合に
放逐され姿を消す
次期頭取の本命

?2人が権力にしがみついた結果、人材の劣化をも加速させてしまう。将来を嘱望され、トップにも直言できる実力者たちが、時に2人から放逐され、時に2人に嫌気が差し、次々とみずほから去ったのだ。

?05年には、旧一勧の総会屋事件で真相究明に立ち上がった「4人組」の1人で、歯に衣着せぬ物言いながら信望の厚かった後藤高志氏が西武鉄道へと転じた。07年には旧富士のエースとして次期頭取の呼び声が高かった町田充氏が関連のリース会社に出された。

?将来、みずほを背負う逸材と評されたある取締役は、「あの社長とこれ以上同じ空気を吸いたくない」との捨てぜりふを残し、自ら関連会社に退いた。

「自らの立場を危うくする優秀な人材が台頭してくると、ことごとく排除してきた」とみずほ関係者は振り返る。まるで頭取候補として名前が挙がった幹部は、みずほを去らなければならないルールでもあるかのようだ。

?09年に前田、齋藤、杉山の3氏は会長に退いたが、後任には自らのお気に入りを据えて院政を敷き、事実上の6トップ体制と世間の批判を浴びた。金融庁からの圧力もあって、11年にようやく2人はみずほを離れたが、遅きに失した。

?旧3行はいずれもかつては国内屈指の名門銀行。そうした銀行の統合で生まれたみずほは、国内の上場企業の7割と取引関係がある圧倒的な顧客基盤を誇った。

?にもかかわらず、人材放逐と内向きの利権争いによって、業績は凋落。いつしか「メガバンク最下位」が定位置となっていた。さらに2トップが権力保持にきゅうきゅうとする中、行内のガバナンスはなきに等しく、不祥事は他メガバンクに比べて格段に多かった。一度の人事の過ちがかくもみずほをむしばんでしまったのだ。

消えることのない旧3行の呪縛
みずほ問題の内幕を緊急特集


?しかし、みずほはトップ人事だけでなく、もう1つ、3行統合前に最大の過ちを犯しています。

?旧3行の日本興業銀行、富士銀行、第一勧業銀行が1対1対1の対等合併を行ってしまったことです。各行が平等であったが故に、他のメガバンクのように明確な勝者が決まらず、みずほはその後、旧3行による果てしなき主導権争いの渦にのまれていくことになります。

?こうした当初の過ちによって、みずほのガバナンス(企業統治)は機能不全に陥り、今回の暴力団融資問題など、不祥事が相次ぐ組織になってしまったとも言えるのです。

『週刊ダイヤモンド』11月2日号では、10月28日にみずほ銀行から業務改善計画が金融庁に提出され、新たな局面を迎える暴力団融資問題の真相に迫ります。みずほ側の説明が二転三転する融資問題において、彼らは何を隠そうとしたのか。そして、みずほという巨大銀行はなぜ過ちを繰り返すのか。

その背景には、いまだ消えることのない旧3行の呪縛がありました。

(『週刊ダイヤモンド』副編集長?山口圭介)?


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