[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
金融機関観察スレッド
2395
:
とはずがたり
:2013/11/21(木) 18:57:29
ダメポ銀行の名を欲しいままにするみずほ銀行。俺の所属してた大学のサークルも経済学部の先輩は皆一勧に就職していたので,そっち選んでたら今頃みずほ銀行員だったかも。
すべての悲劇はここから始まった!
みずほ銀行の歯車を狂わせた
統合前の首脳9人総退陣劇
http://diamond.jp/articles/-/43572
巨大銀行の歯車を狂わせ混乱を招いた
首脳9人総退陣という“政変”
?みずほでかつて、首脳9人総退陣という“政変”があった。みずほホールディングス(HD)にぶら下がっていた日本興業銀行、富士銀行、第一勧業銀行の旧3行が統合する直前の2001年11月末のことだ。
?この人事こそが、みずほという巨大銀行の歯車を狂わせ、今日に至る混乱の歴史の幕を開けたといっても過言ではない。さらにいえば、今、国民的な関心事となっているみずほ銀行による暴力団への融資問題の遠因になったともいえる。今、その内幕を初めて明かす──。
?当時、みずほは不良債権処理の上積みと株価下落のダブルパンチで危機にひんしていた。そこで、経営刷新による再起を狙ったみずほHDの西村正雄氏(興銀頭取、当時。以下同)、山本惠朗氏(富士頭取)、杉田力之氏(一勧頭取)の3CEOは、自らを含む取締役9人の一斉退陣を発表した。
?ところが、その9人には、池田輝三郎副社長(旧興銀)、小倉利之副社長(旧富士)、そして杉田CEOと共に3行統合をまとめあげた西之原敏州副社長(旧一勧)ら、次のトップと目されていた本命候補全員が含まれていたため、みずほは一転、大混乱に陥る。
?一斉退陣劇を幹部として目撃したみずほOBは、本命候補が巻き添えになった背景をこう振り返る。
「統合準備の過程で、西村頭取や山本頭取は、一勧の西之原さんの実力をまざまざと見せつけられた。彼を残すと、その後のみずほは一勧に牛耳られる、そう恐れた」
?そこで自らの退任に合わせ、各行の本命とされた後継候補を含む全取締役の退任という詰め腹を切らせる形で、西之原氏の後継の芽を摘んだというわけだ。その際、3CEOが敬遠していたり、その能力に嫉妬していた副社長も退任させられたといわれる。
旧行の思惑と私情が絡む
歪みの象徴となった後継指名
?旧行の思惑と私情が絡んだトップ人事によって、みずほはその出だしからつまずき、大きくゆがんでしまう。その象徴が後継指名だ。
?本命候補が軒並み姿を消したことで、白羽の矢が立った人物こそ、長年にわたってみずほに君臨することになる前田晃伸HD社長と、齋藤宏・みずほコーポレート銀行(CB)頭取だったのである。当時、この2人の名前を後継候補として挙げていたメディアは皆無といってよく、無名の存在だった。
「リーダーシップも経営手腕も身についていない人間がトップに立ったことが、みずほの悲劇の始まりだった」(元取締役)
?そんな前田・齋藤の2トップ体制が暴走し始めたのは04年。2人と同時に3トップの一角に座った工藤正・みずほ銀行(BK)頭取の突然の退任劇からだ。
?工藤頭取は後任として一勧出身の森信博CB副頭取を推したが、前田・齋藤連合がこれに真っ向から反発。同じく一勧出身ながら前田氏に近かった杉山清次氏をBK頭取に引き上げたのである。
「一勧出身者の誰1人として頭取に推薦していない」と、一勧出身のみずほOBがこき下ろす杉山氏の擁立に成功したことで、2人による長期政権の地盤が固まる。「2人の子飼いだった杉山のせいで、旧一勧の有望人材は一掃されてしまった」とこのOBは悔やむ。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板