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創作メモ

88管理人:2012/03/25(日) 22:24:36
脱線します。>>87>>78の考察を取り上げたが、それについてもうちょっと考えてみたい。
>①崇神系・仁徳系・大伴系・物部系・百済系は比較的近い存在であり(仁徳系の雄略はこのグループ)、
>②神功系・武内系・新羅系も比較的近くて①とはやや距離があり、……
と、こう書いたのち、①をオオモノヌシ系、②をアマテラス系、などと勝手に称したのであるが、
①の仁徳系については言葉足らずなので、もう少し考えてみたいのである。

仁徳系は単純に①というわけではない。父方が①、母方が②である。もっと言えば、①と②の調和を完成させたものと考える。
ちなみに仁徳系とは何を指すかというと、以下の系譜である。
(仁徳-二世-三世-)四世-履中-反正-允恭-安康-雄略(-清寧-飯豊)
( )内については、記紀にしか記述がないので、エポケー的な取り扱いになっていると思ってください。(そもそも前半部は記紀にすら記述はない。)
応神までは②が主力であったものを、第三勢力の宇治を経て(※後代の可能性あり)、主①従②のバランスを確固たるものにしたのが仁徳だと思うである。
・応神:父①?、母②(実際は父母ともに②だと思う。だから応神は完全に②)
・宇治:父②、母⑤(⑤は第三勢力。治世時の実験は⑤にあったと推測)
・仁徳:父②、母①(母は景行系。対⑤のために、①+②を実現、主①従②の関係を構築。今後の父系は①となる。)
以後、分からなくなるが、富国強兵を実現したとみて、仁徳システムを継承したと考える。宇治が後代のものとしても、結果は同様のものとなったと仮定。
・履中/反正/允恭:父①、母②(母は葛城氏である。)
・安康/雄略:父①、母②(母は忍坂姫。>>85-87より、応神系・武内系の色が濃い。つまり正統としての①、外戚としての②、という構図は変わらず。)
ただし、ここで雄略によってバランスが崩壊する。皇后は允恭娘①、側室は葛城②(しかし滅ぼした)、吉備④(しかし喧嘩した)、春日⑤、である。
嫁に②はいるが、嫁の実家を滅ぼしているので意味がない。また、景行代の宮を讃える巫女を許すエピソード(>>75)等を考慮してみても、
かなり①に偏った専制であったと推測される。うまく機能していた仁徳システムは終わりを迎えるわけである。
・清寧:父①、母②(清寧しか王の条件を満たす者がいなかった、と考えることもできる。)
・飯豊/顕宗/仁賢:父①、母②(無理にでも条件を満たす者を立てている、と考えることもできる。)
武烈は①+⑤である。ちなみに管理人は、武烈の実在は高確率で怪しいと考えている。もし実在なら、夭折したと思っている。


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