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創作メモ

78管理人:2012/03/24(土) 20:06:17
とりとめもなくダラダラ書いてきたが、だいたい雄略代はこんなもんである。
他にも物部メによる伊勢の朝日郎討伐とか、なぜか浦島太郎の話とかがある。
記紀を見ただけでは、この後に雄略系が潰える予兆はあまり感じられない。
いちおうまとめると、
1.重用されているのは大伴ムロヤと物部メである。大臣であるはずの平群マトリはあんまり出てこない。何故だ?
  他には渡来系を重用している感じがする。(前述しなかったが、アオとかハカトコとか。)
2.一方、武内系の扱いはよろしくない。即位前に滅ぼされた葛城氏や、新羅出征で仲間割れしている紀・蘇我あたり。
3.神様は三輪山。(これは上述の1と2に関係しているのかもしれない。王政復古的なアレ。)
4.百済復興など、半島への影響力も保持し続けている。どちらかというと反新羅だが、新羅とはよく分からん関係。

全くの思いつきなのだが、
①崇神系・仁徳系・大伴系・物部系・百済系は比較的近い存在であり(仁徳系の雄略はこのグループ)、
②神功系・武内系・新羅系も比較的近くて①とはやや距離があり、
③東漢系・西文系などの新しい渡来勢力は①と仲が良く、
④吉備系などのもっと昔から独自性を持っている勢力が①に反して②に寄っている、
って風に考えられるかもしれない。
デタラメかもしれないが、1〜4を見てるとそんな気がしないでもない。
つまり、崇神立国は主に馬韓経由の渡来を起源に持つ側の最終形態であり、卑弥呼共立は主に辰韓経由の渡来を
起源に持つ側の最終形態なのではなかろうか? 当然、それぞれお互い同士やら土着やら後着渡来やらとの結託等も経ているので、
一概には言えないかもしれないが、だいたいそんな感じ?と思うのである。まあ、ただの思い付きですわ。流れ的に。

雄略崩御後は全くどうなっているのか分からなくなる。清寧・顕宗・仁賢・武烈を一気に見ていきたいところである。


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