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創作メモ
75
:
管理人
:2012/03/24(土) 16:31:49
またしても脱線したが、要は雄略代における三輪山の神様は当然最高神なのである。
別に雄略代に限らず、仁徳系大王(仁徳〜武烈)の時代はずっとそうであるし、その後の時代についても、
7C後半の壬申乱まではずっとそうなのである。もちろん、その間にアマテラスがいなかったわけではなく、
応神系や武内系においてある程度は重要視されていただろう。ただ、表立って持ち上げることはできなかったのである。
>>70
の飲み会事件についても、無礼のあった采女が斬られそうになる寸前、纏向の日代の宮を讃える歌を采女が詠い、許されている。
日代の宮とは景行の宮であり、三輪の権威そのものである。それは雄略を含む王統権威を裏付けるものであり、
だからこそそれを讃えた采女は許されたわけだ。(神功・応神が余所者だとしても、仁徳は三輪王権の色も濃いのである。
>>32
>>37
)
※ただ、実は別の仮説も想定している。反正と允恭の間に断絶を見て、四世河内系と允恭畿内系の対立が背景にあるという仮説である。
当然この場合、畿内系は三輪王権系との繋がりを保っていると考える。この仮説はややこしいので割愛というか無視。
とにかく雄略は三輪王権の末裔なのだよ。それがスガルや飲み会の采女に関する逸話から窺えるので面白いなあ、と思う次第。
マヨワやクロヒコを担いだ葛城が滅ぼされたり、葛城の祟りを怖れたりするのも、これに関係しているのかもしれん。葛城は当然武内の子孫だ。
でも大臣は武内子孫の平群なのよね。平群も雄略没後に滅ぼされるけど。
まあ、昔の禍根が後々にも尾を引いているんだとすると、3C中頃の事件がいかに重要だったかってことになる。管理人は相当重要だと思っている。
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