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創作メモ
1
:
管理人
:2012/03/08(木) 21:43:03
管理人の備忘用。
85
:
管理人
:2012/03/25(日) 16:35:09
古代史の謎ランキングがあるとしたら、オホド擁立はベスト5に食い込むと思われる。
応神五世の孫ってことになっている。何者なんだろうか?
オホド、継体である。父は彦主人、近江高島の人らしい。母は越前の三国やら坂井やらあたりの人で、
父が早くに死んだため、越前で育ったらしい。大伴カナムラや物部アラカヒの推薦で擁立されたらしい。
父・彦主人の祖父がオホホドであり、これは允恭嫁の忍坂姫・衣通姫姉妹と同母の兄妹である。
オホホドの父がワカヌケフタマタ、その父が応神である。怪しいと言えば怪しいし、大したことないと言えば大したことない。
また、オホホドは息長、坂田、酒人、三国、米多などの祖であるらしい。継体については息長氏出身説もあるそうだ。
息長氏はオホホドを祖とする近江坂田あたりの豪族らしい。神功本名のオキナガタラシは関係あるんだろうか?
いずれにせよ、継体は上記の近江・越前集団に関係があることは疑いえない。
さて、ここで言う応神とは、管理人の言う仁徳三世該当者のことなのではないだろうか? だとすれば「五世の孫」であることについても
そんなに怪しくないような気がする。真・応神の五世の孫だと、間に入っている連中が長生きすぎることになるし、系譜も極めて怪しくなる。
また、継体の母は三尾氏系であるらしい。この三尾氏について調べると、その祖は垂仁の子・イワツクワケであるらしい。
イワツクワケの子孫は近江〜北陸エリアに根付いたらしく、つまり息長系+三尾系が継体というわけだ。
まあ、カナムラもアラカヒも馬鹿じゃないんだから、それなりに裏付けはあったとは思うが、正統性が薄いのは確かである。
継体の即位前の嫁も三尾氏系であるようだ。古事記を見ると嫁は他にもいっぱいいて、尾張系の女(子に後の安閑・宣化)、
仁賢の娘であるタシラカ(子に後の欽明)、息長系の女、坂田系の女、三尾系の別の女、阿倍系の女がいる。
息長・坂田・三尾あたりの嫁は、おそらく即位前からのものであろう。この時期に近江・北陸系が勢力を伸ばしており、
大伴や物部が結託または牽制を図るため、入り婿をとったと考えることもできるかもしれない。
この継体大王であるが、なぜか樟葉で即位した。これまた意味不明である。
86
:
管理人
:2012/03/25(日) 19:23:19
書記における継体代は507-531年、崩御は534年。古事記では527年崩御となっている。
まず樟葉で即位し(書記507年)、以降、筒木(書記511年)、乙訓(書記518年)、磐余(書記526年)ってな感じでうごめいている。
大和に入るまで二十年もかかっているのである。執政についても、実際には大伴カナムラ、物部アラカヒ、
許勢オヒトらが携わっていたと思われ、継体は何にもしていなさそうである。本人も仁賢孫(後の欽明)が育つまでの
つなぎだと分かっていて、好きなところに住んでいただけなのかもしれない。ただ、安穏としていられなくなるような事件が起きる。
書記527年、半島へ進軍しようとした近江毛野の軍勢を筑紫の磐井が妨害し、翌年に物部アラカヒによって磐井が鎮圧される。磐井の乱である。
継体の大和入りもこの事件に関連してのことかもしれない。今まで見てきたとおり、百済第一の滅亡後、
半島情勢がよく分からないことになっている。近江毛野は新羅に奪われた任那の一部を取り戻す軍勢であり、磐井は新羅と結んで
それを妨害したとされる。磐井の出自であるが、全くの謎である。火の国・豊の国を制圧・懐柔し、半島航路を封鎖したというのだから、
かなりの大勢力である。乱以前から新羅の力を得ていたのだろうか? 新羅が磐井へ賄賂を贈っていたなどの記述もある。
・任那:最近旗色が悪く、よく負けている?
・百済:475年の第一滅亡以来、ぐちゃぐちゃになっている?
・新羅:相変わらず倭国とは仲が悪い? 磐井と結託?
・高句麗:別格の国。最近、倭国が関係を持とうとしている?
この辺は当時の半島情勢も考えないと見えてこないと思われる。上記はあくまで推測。とりあえずは置いておくか。
87
:
管理人
:2012/03/25(日) 19:51:40
近江毛野について。近江というからには、継体と繋がりを持っているのかもしれない。
wikiによると、この人は武内系波多氏(羽田氏?)の出自であるらしい。さらに波多氏について調べてみると、
それが武内系だったり、息長系だったり、いろんなのが出てくる。いずれにせよ、継体と関係はありそうだ。
ということは、息長の祖であるオホホドは武内系なのか? そもそもオホホド・忍坂姫・衣通姫の兄妹は
応神息子のワカヌケフタマタの子なのだが、一つ考えられるのは、ワカヌケフタマタの母(仁徳三世の嫁)が
羽田系だということである。仁徳以降、武内系を嫁にもらう例が多いので、多分そうだろう。
4Cは全く分からんので推測だが、そう考えると収まりがいいような気がする。もちろん、ワカヌケの親父が仁徳三世でなく
真・応神だとしても結局は同じことが言えるので、まあ、どっちでもいいのである。
近江毛野が継体と同陣営の勢力であり、それにさしあたって継体が磐余入りしているので、半島情勢が悪化しており、
何らかの手をうたなければならなかったことは容易に想像できる。それを磐井が邪魔をしたという話なのだ。
書記には磐井が近江毛野に対して「かつて同じ釜の飯を食った仲ではないか」と言ったとされている。これはどういうことだろう?
①昔、一緒に中央で研修を受けていた。
②同族、または、近い氏族である。
③書記の記述が嘘っぱちである。
どれもありそう。③だとどうしようもないわけだが、発言が事実なら①か②であろう。個人的には②を推したい。
磐井は新羅と繋がったので、
>>78
の妄想から考えると、アマテラス系(仮)である。近江毛野は武内系なのでアマテラス系(仮)である。
>>78
自体が妄想なので無茶苦茶書いているかもしれないが、書記にわざわざ発言を載せているくらいだから、なんかあるんだよ、きっと。
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