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創作メモ

1管理人:2012/03/08(木) 21:43:03
管理人の備忘用。

78管理人:2012/03/24(土) 20:06:17
とりとめもなくダラダラ書いてきたが、だいたい雄略代はこんなもんである。
他にも物部メによる伊勢の朝日郎討伐とか、なぜか浦島太郎の話とかがある。
記紀を見ただけでは、この後に雄略系が潰える予兆はあまり感じられない。
いちおうまとめると、
1.重用されているのは大伴ムロヤと物部メである。大臣であるはずの平群マトリはあんまり出てこない。何故だ?
  他には渡来系を重用している感じがする。(前述しなかったが、アオとかハカトコとか。)
2.一方、武内系の扱いはよろしくない。即位前に滅ぼされた葛城氏や、新羅出征で仲間割れしている紀・蘇我あたり。
3.神様は三輪山。(これは上述の1と2に関係しているのかもしれない。王政復古的なアレ。)
4.百済復興など、半島への影響力も保持し続けている。どちらかというと反新羅だが、新羅とはよく分からん関係。

全くの思いつきなのだが、
①崇神系・仁徳系・大伴系・物部系・百済系は比較的近い存在であり(仁徳系の雄略はこのグループ)、
②神功系・武内系・新羅系も比較的近くて①とはやや距離があり、
③東漢系・西文系などの新しい渡来勢力は①と仲が良く、
④吉備系などのもっと昔から独自性を持っている勢力が①に反して②に寄っている、
って風に考えられるかもしれない。
デタラメかもしれないが、1〜4を見てるとそんな気がしないでもない。
つまり、崇神立国は主に馬韓経由の渡来を起源に持つ側の最終形態であり、卑弥呼共立は主に辰韓経由の渡来を
起源に持つ側の最終形態なのではなかろうか? 当然、それぞれお互い同士やら土着やら後着渡来やらとの結託等も経ているので、
一概には言えないかもしれないが、だいたいそんな感じ?と思うのである。まあ、ただの思い付きですわ。流れ的に。

雄略崩御後は全くどうなっているのか分からなくなる。清寧・顕宗・仁賢・武烈を一気に見ていきたいところである。

79管理人:2012/03/24(土) 21:52:44
>>78の①はオオモノヌシ系、②はアマテラス系と総称することもできるわな。

<清寧・顕宗・仁賢・武烈代、古事記>
清寧即位(磐余)→妻子なく崩御→履中娘の飯豊が執政(忍海)→播磨で市辺のオシハの息子二人(後の顕宗・仁賢)を発見
→ヲケ(弟・後の顕宗)が平群シビと歌垣(カラオケ合コン)現場にて好みが被ってしまい喧嘩→翌朝、兄弟がシビを殺す
→譲り合いの末、弟の顕宗即位(近つ飛鳥)→近江のオキメという婆さんのおかげでオシハの遺骨発見
→父の仇(雄略)の墓を申し訳程度に壊す事件→顕宗崩御→仁賢即位(石上)→仁賢崩御→武烈即位(初瀬)→武烈崩御

<清寧・顕宗・仁賢・武烈代、書記>
シラカ(後の清寧)を世継ぎに指名し、雄略崩御→ホシカワ(シラカとは別腹の弟)反逆→清寧即位(磐余)、大臣:平群マトリ、大連:大伴ムロヤ
→オシハの息子発見、後継とする→飯豊の初体験談→清寧崩御→オケとヲケの譲り合い、その間、飯豊執政(忍海)→飯豊崩御
→顕宗即位(近つ飛鳥)→オキメの話→雄略の墓の話→顕宗崩御→百済vs任那→仁賢即位(石上)→高句麗に使者派遣
→仁賢崩御→平群マトリの専横・傲慢→歌垣事件(古事記と配役が異なる)→平群氏討伐→武烈即位(初瀬)、大連:大伴カナムラ
→武烈による猟奇事件の数々→武烈崩御→百済の話

このへんは年次の特定が難しく、500年前後、としか言いようがなくなる。そもそもどこまで史実どおりなのかさっぱり分からない。
記紀における在位年数は、清寧五年、顕宗三年、仁賢十一年、武烈八年である。どれも短い。
仮に雄略が489年没とすると、清寧493〜494年頃没、顕宗496〜497年頃没、仁賢507年頃没、武烈514年頃没、といったところか。

80管理人:2012/03/25(日) 00:39:18
>>79で重要なのは、飯豊執政と歌垣事件に伴う平群氏討伐か。顕宗・仁賢の発見話は
いかにも創作臭いが、どうなんだろう? ちなみに播磨国風土記にも記紀と同じように描かれてある。
とりあえず現段階では、史実は概ね記紀通りと仮定して、いろいろ見ていくか。考えが変わるかもしれん。

シラカ、清寧である。父は雄略、母はカラヒメ(葛城ツブラの娘)。生まれつき白髪だったらしく、
雄略は霊威を感じて世継ぎに指名したという。アルビノかもしれん。妻も子もいない。

ヲケ、顕宗である。父は履中息子の市辺のオシハ、母は葛城系の女。おかんが葛城系ってパターン、多くないか?
履中・反正・允恭の母も葛城系の磐之媛であるし、清寧・顕宗・仁賢もかよ。
ヲケの嫁は難波小野王。たいそうな名前である。イハキの娘らしい。
イハキとは雄略と吉備系ワカヒメ(タサの元嫁)の子である。子供はいないらしい。

オケ、仁賢である。顕宗の同母兄。父母は顕宗に同じ。嫁は春日大娘皇女、これは雄略と春日系との間の子である(>>73)。
子供にタシラカ(継体の嫁)、ワカササギ(後の武烈)、タチバナ(宣化の嫁)などがいる。
他に一人側室がおり、ワニ系である。この子供にカスガヤマダ(安閑の嫁)がいる。
雄略要素を除くと、ヲケは吉備系、オケはワニ系で周囲を固めている感じがする。

ワカササギ、武烈である。父は仁賢、母は春日系(ワニ系)である。妻子はいないようだ。
書記における扱いは、完全に暴君そのものである。古事記には何にも書いていない。書記の記述はさすがに創作だと思われる。


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