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創作メモ
79
:
管理人
:2012/03/24(土) 21:52:44
>>78
の①はオオモノヌシ系、②はアマテラス系と総称することもできるわな。
<清寧・顕宗・仁賢・武烈代、古事記>
清寧即位(磐余)→妻子なく崩御→履中娘の飯豊が執政(忍海)→播磨で市辺のオシハの息子二人(後の顕宗・仁賢)を発見
→ヲケ(弟・後の顕宗)が平群シビと歌垣(カラオケ合コン)現場にて好みが被ってしまい喧嘩→翌朝、兄弟がシビを殺す
→譲り合いの末、弟の顕宗即位(近つ飛鳥)→近江のオキメという婆さんのおかげでオシハの遺骨発見
→父の仇(雄略)の墓を申し訳程度に壊す事件→顕宗崩御→仁賢即位(石上)→仁賢崩御→武烈即位(初瀬)→武烈崩御
<清寧・顕宗・仁賢・武烈代、書記>
シラカ(後の清寧)を世継ぎに指名し、雄略崩御→ホシカワ(シラカとは別腹の弟)反逆→清寧即位(磐余)、大臣:平群マトリ、大連:大伴ムロヤ
→オシハの息子発見、後継とする→飯豊の初体験談→清寧崩御→オケとヲケの譲り合い、その間、飯豊執政(忍海)→飯豊崩御
→顕宗即位(近つ飛鳥)→オキメの話→雄略の墓の話→顕宗崩御→百済vs任那→仁賢即位(石上)→高句麗に使者派遣
→仁賢崩御→平群マトリの専横・傲慢→歌垣事件(古事記と配役が異なる)→平群氏討伐→武烈即位(初瀬)、大連:大伴カナムラ
→武烈による猟奇事件の数々→武烈崩御→百済の話
このへんは年次の特定が難しく、500年前後、としか言いようがなくなる。そもそもどこまで史実どおりなのかさっぱり分からない。
記紀における在位年数は、清寧五年、顕宗三年、仁賢十一年、武烈八年である。どれも短い。
仮に雄略が489年没とすると、清寧493〜494年頃没、顕宗496〜497年頃没、仁賢507年頃没、武烈514年頃没、といったところか。
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