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継続:科学と疑似科学を判別する
531
:
Ken
:2025/10/04(土) 10:06:00 HOST:KD059132141229.au-net.ne.jp
特定の理論が科学の正当な手順を踏んでいるか、それとも踏み外した「疑似科学」であるかは、どこまでを正当の範囲に含めるかに依り、その範囲は評価する個人によって変わります。しかし、ある理論Aと別の理論Bの相対比較なら、より客観的な評価ができる。ID論をID論だけで評価するのではなく、光波動説のような歴史の中で登場した理論と比較することで、科学理論としての正当性を評価するのが目的です。
私は、教育には一切の拘束をかけず完全自由にするのが科学の進歩に貢献すると思いますが、スレッドで明らかになったように、それとは異なる思想もある。そこで16世紀の地動説と18世紀の光波動説は格好の考察対象になります。この両説は科学史の中で巨大な位置を占めるからです。もし両説が「疑似科学」という理由で教育の場から排除されていたら、その後の進歩は重大な障害を受けたことでしょう。教え伝えられたからこそ、続く時代の飛躍に繋がりました。
ただし、私が主張するのはあくまでも「自由」です。16世紀の地動説も、18世紀の光波動説も、現在のID論も(他にも超光速ニュートリノ、血液型性格診断、ダークマター、天地創造論)、教えたい人と教わりたい人がいるなら、つまり需要と供給の関係が成立するなら、教えればよい。成立しないのなら、教える必要はない。そういうことです。間違っても、上記の諸説を「教えるべき」とは言いません。「教えるべき」も「教えてはいけない」も、自由とは反対の拘束です。ID論を教育の場から排除せよというドーキンスの主張も拘束を目指すものです。
www.theguardian.com/science/2005/sep/01/schools.research
これも間違えられては困りますが、これは個人が教わりたいことを教わる「権利」の話をしているのではありません。私自身はこういう権利を最大限尊重するべきという思想を持ちますが、今はそれを論じてはいません。
論じているのは、完全自由な教育が科学の進歩に最も貢献するのだ、という事実関係の話です。自由を拘束すれば進歩は阻害されます。旧ソ連の遺伝学が停滞したのは、ルイセンコ説を教える自由があったからではなく、ルイセンコ以外の説を教えられない拘束があったからです。
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