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継続:科学と疑似科学を判別する

25とりあえず:2024/07/26(金) 00:04:04
>>23
>16世紀の知識体系の中で、地動説を天動説より優位に置くことに、科学的合理性はあったか?
>18世紀の知識体系の中で、波動説を粒子説より優位に置くことに、科学的合理性はあったか?

それを支持する人間にはあり、支持しない人間には無かったと言うことです。
だからぶつかるんですよ。お互いに。



>地動説と天動説のどちらが支持を集めたか、波動説と粒子説のどちらが支持を集めたか、ではありません。
>地動説を優位に置いたコペルニクスや、波動説を優位に置いたホイヘンスの行為に合理性があるなら、彼らがまったく支持されなくても、彼らの行為は正しいのです。
>合理性がないなら、万人の支持があっても誤りです。科学は多数決ではないし、主流か非主流かの問題ではありません。

その時代、その時にもっとも合理的と思われるものが多数から支持される。
それだけのお話。
ホイヘンスにとって波動説を優位に置くのは合理的でした。仰るように正しい行為です。
そしてホイヘンスに反対し粒子説を優位に置く者にとってもその考えは合理的で正しい行為でした。

いいですか?お互いに正しいと思うから議論になるんですよ。


>鉄のようなものとは、鉄のような質量と弾性があるという意味でなければ、なんでしょうか?

弾性ってことだけじゃないの?
質量って、真空中に何もないんだから鉄のような質量はちょっと想定できないんじゃ無いかにゃー?


>そう考えなかった光波動説論者はだれですか? その人は、どんな媒質を想定しましたか?

これ、実はホイヘンス自身だったりします。
ホイヘンスの時代には光の伝播についての理解がまだ初期段階にありました。彼が提唱したエーテルの概念について、具体的な性質や構造に関する詳細な記述は必ずしも一貫していません。
ホイヘンスは光が波動として伝わるための媒質としてエーテルを想定しましたが、そのエーテルの性質についてはさまざまな解釈が存在しました。
エーテルは目に見える物質とは異なり、非常に微細であって、通常の物質のような質量や摩擦の概念とは無縁のものとして捉えられていました。


>媒質が分からないとは「鉄のような」質量と弾性が必要なのに、そういう物質が見つからないという意味です。だって、物質的な媒質を想定しなくてもよいなら、媒質問題は光波動説の弱点にはならないでしょうが。

弱点でしょ?そのものズバリが不明なんて。
実際貴方もそこに攻撃してるんですよ。弱点だからです。


>限り無く0に近い質量では、鉄のような物質になりません。質量が必須でない理由を出せないのなら、必須であることを理解してください。

必須であることを示してくれればそうします。


>光波動と津波には「波」という共通項があるが「数式に質量がない」という共通項はありません。

「数式に質量がある」ってのもないね。
例えとして不適当です。


>それでは、ロジックのない、ただの情緒的な感性ではありませんか。結局、矛盾がある地動説や光波動説を優位に置く、個人の感性ではない、客観的な根拠はないのですね。
>それで優位を主張するのは、逸脱ではないのですか? 創造論を進化論の優位におく人に、その根拠を尋ね、個人の感性だと回答されたら、どうします?

だから感性だってずっと言ってるでしょ?
貴方がロジックと思ってるもの客観的根拠からなると思ってるもの、全て個々人の感性の発露です。
様々なデータ、論拠それを組み上げるのは個人個人のスキーマで決まります。だから全く同じデータでも人によっては異なった結論に至ったりします。

それ故に集団知による検証が必須となるんですよ。


>しかし、仮説Aを仮説Bより優位に置くなら、優位に置く根拠を述べねば、科学ではありません。それは、単に仮説を立てるのではなく、特定の結論を導く行為だからです。

根拠無く優位に置く科学者なんかいませんよ。


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