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継続:科学と疑似科学を判別する

23Ken:2024/07/23(火) 23:42:29
今回は、まず、これですね。

>貴方は科学界と言う大きなコミュニティでの判断と研究者個々人の判断を混同しています。
>18世紀に光り粒子説が一般に認められ主流となったことと、その中で個人的に波動説を優位と考える事は別個の問題です。
>誰にも支持されない中生代の品種改良を貴方が信じるのと同様です。

「どの仮説が支持を集めたか」という話に、なにがなんでも議論を持ってゆかれたいようですが、私の問題提議は、そこにはありません。問うているのは、その時代の知識体系の中では、どういう結論にいたるのが、科学的な合理性があったか、です。多数に支持されたかとは、まったく異なる切り口です。よろしいですか、問題は、

16世紀の知識体系の中で、地動説を天動説より優位に置くことに、科学的合理性はあったか?
18世紀の知識体系の中で、波動説を粒子説より優位に置くことに、科学的合理性はあったか?

です。地動説と天動説のどちらが支持を集めたか、波動説と粒子説のどちらが支持を集めたか、ではありません。地動説を優位に置いたコペルニクスや、波動説を優位に置いたホイヘンスの行為に合理性があるなら、彼らがまったく支持されなくても、彼らの行為は正しいのです。合理性がないなら、万人の支持があっても誤りです。科学は多数決ではないし、主流か非主流かの問題ではありません。

>“ようなもの”でしかありません。

鉄のようなものとは、鉄のような質量と弾性があるという意味でなければ、なんでしょうか?

>それにあくまでホイヘンスたちはそう考えた、と言うだけです。

そう考えなかった光波動説論者はだれですか? その人は、どんな媒質を想定しましたか?

>そうです。光の媒質はわからないのです。
>ですので弾性と質量を持った物質的なものを想定しなければならない絶対的理由もないのです。

媒質が分からないとは「鉄のような」質量と弾性が必要なのに、そういう物質が見つからないという意味です。だって、物質的な媒質を想定しなくてもよいなら、媒質問題は光波動説の弱点にはならないでしょうが。

>私としてはどっちでも良いのです。必須なら単純に限り無く0に近い有限の質量と仮定するだけですから。

限り無く0に近い質量では、鉄のような物質になりません。質量が必須でない理由を出せないのなら、必須であることを理解してください。

>今更ですが、この例えの意味が良く分りません。

ライオンとヒツジには「哺乳類」という共通項があるが「草食性」という共通項はありません。
光波動と津波には「波」という共通項があるが「数式に質量がない」という共通項はありません。


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