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歴史掲示板
古代史掲示板を新設しました
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Re: 三角縁神獣鏡
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http://www12.plala.or.jp/himukai/index.html
Re: 委奴(いと)国の成立
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https://ja.wikipedia.org/wiki/ 土蜘蛛
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Re: 三角縁神獣鏡
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011372M.jpg
http://www12.plala.or.jp/himukai/index.html
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神門(みかど)神社。
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http://blog.livedoor.jp/ushijimatoshihiro/archives/45107723.html
Re: 神門(みかど)神社。
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https://www.youtube.com/watch?v=ln9KBz74Vh8
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扶桑国
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011375M.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/ 扶桑
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前回、続き
委奴(いと)の逆は、「とい」樋・土井=渡井で、渡会
委奴(いと)の「い」ですが、「良い」の良の読みです。漢字の「良」から、カタカナの「ラ」になったようですね。古代エジプトの「ラー」は太陽神。イネ科の葦は、ウィキペディアに、「和名ヨシの由来は、もともと本来の呼び名はアシであったが、「悪し」に通じるため、「ヨシ」と言い換えられたものである。日本の在来植物で、『日本書紀』に著れる日本の別名「豊葦原千五百秋瑞穂国」とあるように、およそ平安時代までは「アシ」と呼ばれていたようである。『更級日記』においても関東平野の光景を「武蔵野の名花と聞くムラサキも咲いておらず、アシやオギが馬上の人が隠れるほどに生い茂っている」と書かれている。」とあります。たぶん、吉や義も「良(ラー)」からですかね?
津島の逆は島津ですが、島津の紋は、”丸に十”〔チョット苦しいですが逆さまで、”に十丸”(=に本国憲法20条)〕
「よい」と「いい」の違いは、
「今日は天気がよい」とも「今日は天気がいい」とも言う。何か違いがあるのか。また、「よい」と「いい」はどういう関係なのかという質問を受けた。
この2語に意味の大きな違いはなく、どちらも物事の性質、状態、様子、機能などが好ましく、満足すべきさまであるという意味である。だが、ことばとしては「よい」のほうが格段に古い。「よい」の文語形は「よし」だが、『日本書紀』『万葉集』といった奈良時代や平安時代初期の文献にも用例が多数ある。
これに対して「いい」はかなり新しい。最も古いものは江戸時代中期の用例である。このようなこともあって、『日本国語大辞典』は、「江戸時代前期に見られる『えい』の関東なまりとして生じた語か。」と推定している。この「えい」は、たとえば、『雑兵物語』(1683頃)にも「もはやゑい時分だ程に今にこべい」などとある。『雑兵物語』は江戸時代の兵法書で、雑兵(下級武士)の心得を説いたものだが、江戸初期の口語資料としても貴重である。文中の「こべい」にも注目していただきたいのだが、この「べい」は「べいべいことば」「関東べい」といわれた「べい」である。「こべい」で、来るにちがいないといった意味である。
「えい」は『日本国語大辞典』によると、
「明和、安永頃(1764〜81)から広まり使われたらしく、明和八年(1771)頃「遊子方言・発端」には通り者が「ゑい」を用い、明和八年「俠者方言」に「ゑゑ」が見えるなど、俠(きお)い者や、それに近い人から用い始めたようである。」とある。
「通り者」「俠い者」とは、義俠・任俠をたてまえとしている者、つまり俠客(きょうかく)のことである。
このように口頭語として使われていた「えい」が「いい」となり、徐々に文章語にも定着し、意味も「よい」と同じように用いられるようになるのである。
以上のことからもおわかりのように、「よい」は文章語的、「いい」は話しことば的と言える。だが、それ以外にも大きな違いがある。
「よい」は形容詞としての活用をすべて持っているのに対して、「いい」は終止形(「・・・したほうがいい」など)と連体形(「いい感じ」など)の用法しかない。このため、「よい」と「いい」を別語と考えずに、「よい」の終止形・連体形に「よい」と「いい」の両形があるとする立場もある。
しかし、最近は「よい」よりも「いい」の方が優勢になりつつあるため、終止形と連体形に限っては「よい」を使うと文語的なニュアンスを持つと受け止められることが多くなった。
たとえば「頭がよい」と「頭がいい」、「腕のよい料理人」「腕のいい料理人」などの違いである。
なお、「いい」には、終止形・連体形以外の活用形「よく・よかった」(連用形)や「よければ」(仮定形)などに当たる形はないと書いたが、実は方言としては「いく」「いかった」などの形も見られるのである。日本語は本当に面白い。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fjapanknowledge.com%2Farticles%2Fblognihongo%2Fentry.html%3Fentryid%3D280
まあ、平家物語には、「 驕れる者は久しからず」とありますし、万世一系の平和国に出来た訳でしょうかね?
隅田八幡鏡銘文
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011377M.jpg
https://asia-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=13011&file_id=22&file_no=1
Re: 隅田八幡鏡銘文
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011378M.jpg
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou72/kai07206.html
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 隅田八幡鏡銘文
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011379M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011379_2M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011379_3M.jpg
https://plaza.rakuten.co.jp/utiwauke/diary/?PageId=6
Re: 隅田八幡鏡銘文
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011380M.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/ 癸未
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 隅田八幡鏡銘文
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011381M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011381_2M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011381_3M.jpg
https://note.com/spinozaist1/n/n1b8e5522cddb
Re: 隅田八幡鏡銘文
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011382M.jpg
青面金剛さんへのお返事です。
何これ、鏡の銘文が相当、異なるな、全文不明のため、参考
癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟
添付してある、銘文の赤が訂正部分
癸未年八月日十大王年男弟王在意朱(あけ、)以加宮時斯麻念長奉(まつる)遣開中費直穢人今州利二人尊(みこと)所(ところ)白上同二百旱作此竟
癸未八月、日十(あき、すべて)大王年(ね:種族)男弟王、在(あり)意い、朱(しゅ、)(大(たい、)朱(しゅ、)王(おう、))以(い)(あか、もって)加わる宮を時(とき)斯(ここ)に麻念長(あざ、おもう、おさ)、奉(まつる、)(まつる)遣わす、開(ひ)らく中(あたる)費(つい)やす、直(まこと)穢(けが)人、今州(いま、くに)利(よ)し二人尊(みこと、)所(ところ、)白(つくも)、上同じ、二百(ふた、なり)旱(陸地)作る、此れ竟(さかい)。
?
第51回 韓国史 広開土太王、好太王碑 ?改定(原文直訳)
?
https://www.youtube.com/watch?v=ln9KBz74Vh8
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 隅田八幡鏡銘文
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011383M.jpg
https://note.com/spinozaist1/n/n1b8e5522cddb
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 隅田八幡鏡銘文
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011385M.jpg
https://note.com/spinozaist1/n/n1b8e5522cddb
Re: 隅田八幡鏡銘文
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011386M.jpg
https://note.com/spinozaist1/n/n1b8e5522cddb
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 隅田八幡鏡銘文
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011387M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011387_2M.jpg
http://www.ten-f.com/suda-kagami-to-oshisakamiya.html
Re: 隅田八幡鏡銘文
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011388M.jpg
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_27.html
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 隅田八幡鏡銘文
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011393M.jpg
https://dictionary.goo.ne.jp/word/ 空しい/
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 磨溝(甘粛)、金蝉口(青海)、石?(Shimao、陝西)、牛河梁(遼寧)、夏家店(内蒙古)、バヤン・ウルギー(西モンゴル)制覇!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011396M.jpg
シマオゥさんへのお返事です。
青面金剛さんと同類だな・・・?
> 黄土高原で青銅器社会を形成し殷商と激しく対立した
黄土高原は古代には荒地で鍬もなかったの、海岸でイワシ漁で貧しく生きてたようだ。
史記を読め・・・
>
> もう一点。夏家店下層文化集団を気候変動で南に移動した「原殷人」と見なすと、殷の人々は古羌と同じ祖先を持っていたことになる。女系MT-haploで見れば、古羌と中原の人々とはさらに区別が付かない。羌と殷商の人々の互いに対する敵意は、彼らの生業の違いからのみ来ていたことが確認できるんだよ!!
> 感動だろ。
>
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: アイヌ・蝦夷の起源7
シマオゥさんへのお返事です。
>
> アイヌのもうひとつのルーツといえば、オホーツク人に決まっている。彼らが熊送りをはじめとして、アイヌの精神文化に多大な影響を及ぼした。
>
> では、オホーツク人はどこから来たか?文化的には靺鞨の強い影響下にあった。しかし、オホーツク人の骨格の研究では、アイヌ人とは全く異なることは当然として、靺鞨やツングース系とも異なる北の渡来人。ニヴフやコリャークが関わってくる。1ー2年前からの遺伝人類学的研究の進展で古墳時代人の来歴もだいたい分かったし、あとはオホーツク人の全ゲノム解析が行われると面白い。
>
ルーツさん、おひさしぶりです。1年半ぶり・・ですね、お元気そうで何よりです。
アイヌ人のルーツ、興味深いですね。先日はアイヌ神話を分析してみましたが、その構造に中東的?要素が多く、いつごろそれらの神話伝承が持ち込まれたのか、その起源に興味があります。
ご指摘のニブフやコリャークの言語なり成立過程がどうなっているのか、気になるところです。
あと、こちらの掲示板は来るものは拒まず、去る者は追わずの方針ですが、誹謗中傷の度が過ぎている場合は削除対応しますので、よろしくご了承ください(^^)
Re: 発寒環状列石ライン
シマオゥさんへのお返事です。
> 管理人さんへのお返事です。
>
> > ここ最近胃の調子悪く、更新滞ってます。
>
>
> なんじゃこれ。新興宗教?
中学レベルの幾何学がわかる知能指数に達してないと決してこの図の意味は理解できないと思う・・。
強いて言うと、旧石器時代から縄文時代にかけて、かなり知能指数の高い人種が紛れ込んできた可能性を示しているのだが、どこのどういう人種だったか?を突き止めたいところだね・・・。
朝から血圧あげてくれるのは毎度感謝していますよ(^^)
発寒環状列石
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https://ja.wikipedia.org/wiki/ ストーンサークル#世界のストーンサークル
Re: 文化とDNA自慢
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https://www.youtube.com/watch?v=BQxh2H0iaio
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 文化とDNA自慢
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http://www.daido-it.ac.jp/~sawaoka/kyoiku/index14.html
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
額田王
https://blog.goo.ne.jp/yuki0805/e/547ce56f34986418d2b6166ee8df161d
https://blog.goo.ne.jp/yuki0805/e/547ce56f34986418d2b6166ee8df161d
Re: 額田王
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011414M.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=y5dMmfnz6o4
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 額田王
有り難うございます。YouTube見ました。高槻という地名がありますが、古名は高月ですね。
槻の一族という意味もあり、弓月君のように、月の属性があるという意味ではないでしょうか。槻は弓の材料でもありますね。
額田王の事で間違いないと思います。
https://blog.goo.ne.jp/yuki0805/e/547ce56f34986418d2b6166ee8df161d
Re: 額田王
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011416M.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/ イカル
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 額田王
秦野北斗さんへのお返事です。
藤ノ木古墳はいいですね。
私は神武から数代は九州と奈良で激しい往来があったと考えています。
中原氏の祖先、十市首の祖先が、饒速日に同行したホホロ。
戦後、熊本の鹿子木氏によって公開された家系図から、中原氏は熊本に拠点を置いたまま、奈良で活動していたようです。
安寧天皇の皇子の子孫とされています。
阿蘇山周辺では、綏靖天皇は金属の神(金凝神・かなこりがみ)として祭られています。
鹿子木氏の人々は、熊本を出るとカノコギと名乗りますが、熊本ではカナコギと名乗っています。最近ではあまり気にしないようですが。
blog貼っておきます。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fyuki0805%2Fe%2Fb6e777afe925f1340741113e290fbc31
Re: 文化とDNA自慢
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011420M.jpg
シマオゥさんへのお返事です。
黄土高原は、広いな、中国も尖閣など言わず、黄土高原を開発したら・・・と思うよ、
ところで、DNAと関係あるの、文献がないな・・・どうせ史記だろう。黄帝は総称で、史記には
これ何々(太郎)で記録されてる。
黄土高原の侵食は速いようだな・・・馬鹿な秦野です。
島尾は、エジプト?同様に古代には黄河を溯った・・・
島(しま):海や湖沼にあって、常に水上に出ている陸地。
尾(お);うしろ。あと。すえ。「尾行」「船尾」、番外の意味に入り江の港がある。
> エリートの埋葬、そして豊富な遺物。私たちの最近の学際的調査は、後者の発見に沿って、以前は黄土高原と見なされていた地域である黄土高原からオルドス(以下、北黄土高原と呼ぶ)への移行帯で発達した予期しない先史時代の複雑な集落システムを明らかにしました。集落の多くは丘の上に建てられた石の要塞であり、このシステムの主要な中心は陝西北部のShimaoにある巨大な石壁の場所でした。これらの新しい発見は、課題と研究の機会をもたらします。
>
> 2. Shimaoの発見
> Shimaoは、陝西省楡林市神木郡の南西約40kmの高家堡郵町にあります。この場所は、翡翠との関連性から1970年代から知られています。世界中の美術館や個人のコレクションに保管されている約3000から4000の翡翠は、おそらく島尾に由来すると推定されています。
> Shimao遺跡と翡翠の関係を明らかにすることを目的として、1970年代から1980年代にかけて小規模な発掘調査が行われた(西安番浦博物館、1988年)。しかし、収集された翡翠の正確な出所も、Shimao遺跡の規模も明らかにされていません。
> 何千年もの間立っていた壁は、王朝時代に建てられた万里の長城の一部であると考えられていました。 1990年代以降、Shimaoの城壁の翡翠に関する噂が地元の村々に広まり、略奪活動が激化し、敷地に甚大な被害をもたらしました。サイトを保護し、その歴史的重要性をよりよく理解するために、陝西省考古学研究所は2011年からShimaoとその周辺地域で体系的な調査と発掘を行い、この壮大な場所の正体を徐々に明らかにしてきました。
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
続中国方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011421M.png
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シマオゥさんが今回紹介してこられたShimao遺跡について、ちょっと気になったので、方位ラインで結んでみました。図1のとおりです。
以前、図2,3のラインもこちらでお知らせしたとおりですが、今回このShimao遺跡を含めて再検討してみた結果、いくらかまた新たな位置関係がわかってきましたね。
中国方面における測量の起点としては三星堆遺跡があることは以前も申したとおりなのですが、そこから龍山文化に属する鹿台崗遺跡と大汶口遺跡へと伸びるラインですね。
これが重要で、その大汶口遺跡から烏海に至るライン上に、SHIMAO遺跡が位置しています。
この烏海については、どういうわけか多くの遺跡の測量起点となっており、当時の遺跡があるんじゃないかとおもうんですね・・、いや、あったかな、記憶がおぼろげ・・・?
それで、その烏海から陶寺遺跡、そして洛陽そばの二里頭遺跡へのラインがあり、また同様に鳥海から鹿台崗遺跡をへて長江方面の良渚文化へと伸びるラインも見えてきます。
あと、後代になると、昆明から二里頭遺跡をへて殷墟へと伸びるラインが出てくるわけですが、この辺のラインは時代的に相違があるので、他の拠点とは図をみても関係してこないこともわかりますね。その殷墟については図2のように亀ヶ岡方面へと伸びるラインがあるのですが、今回は説明は割愛します。
今回のSHIMAO遺跡に関しては、これらのライン関係をみるかぎり、大汶口文化ともっとも深くかかわる可能性があり、また次点として龍山文化の一部や良渚文化、あるいは三星堆文化とかかわってくるように予想しますが、どうでしょうね・・・。
そのSHIMAO遺跡の年代としては、ご紹介の翻訳によれば、西暦前2300年から1800年とされますから、夏家店下層文化や、大汶口文化の後期、あるいは三星堆文化の年代と重なりそうですが、ちょうどそのころに、縄文人の世界に先の環状列石があらわれてくるわけですね。一部は図2のように、朝鮮の漢城周辺も経由しているはずです・・・。
以前も図3で示したように、インダス、あるいはシュメール文化方面から南まわり、あるいは北方経由で東遷してきた集団の影響があるのではないでしょうか。この時期に急激に都市構築や金属精錬などの特殊技能が発達したようにみえます。
もちろん、その担い手の多くはそれ以前にいた中国の集団であることは間違いないのですが、一部の支配層・技術者層に西方からの移民が混じっていた可能性もあるんじゃないかなと思いますよ。その痕跡をDNAなり言語面から見いだせれば面白くなりそうです。
Re: 文化とDNA自慢
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011423M.jpg
シマオゥさんへのお返事です。
史記には、種族も出ているの・・・
この世界は不公平なの・・・
>
> > 黄土高原は、広いな、中国も尖閣など言わず、黄土高原を開発したら・・・と思うよ、
> > ところで、DNAと関係あるの、文献がないな・・・どうせ史記だろう。黄帝は総称で、史記には
> > これ何々(太郎)で記録されてる。
> >
>
> ん?「黄土高原が広い」んじゃなくて、秦野よ、「あんたらの世界」が狭すぎんの!!
>
> 勉強不足以外の何ものでもない。卑小だからこそ、蚊蜻蛉は跳ね返ろうとする。
> そうして、井の中の蛙のような夢を作り出す。そう、これは表裏一体なのだよ。
>
> 中国の古人骨データもこの1ー2年でかなり蓄積されて来た。いまどき、遺伝人類学の最新データを知らずに古代史を語ることなどできない。
>
> 黄帝そのものが実在したかはともかく、黄帝に類する有力者やその部族が存在したのは確かだろう。紅山文化晩期の牛河梁遺跡で出た五号大墓双亀老人(ハプログループF8〔威信財から当時の宗教的統率者と推定〕)か大?(Shimao)文化のF8-A9459-F438-Y17728-F2137-MF15397あたり。黄帝の本拠地はまさに黄土高原北部とされるから後者がより可能性がある。年代も近い。
>
> F8は紀元前2000年から紀元前1000年にかけて最も有力な農耕牧畜集団であり、夏殷周から、秦漢、五胡十六国時代までこのハプログループF8を中心に歴史が展開して行ったと言っても過言ではない。中国人においてF8としては15%、F438としては5%を占める。漢代以降、北方・南方の諸民族を編入し割合を下げた。
>
> 当然、我が国の歴史、日本人の形成にも大きく関わる。原日本語集団はおそらく遼河〜山東で成立したはずだ。F8としては現代日本人の5%、F438としては2%を占める。日本人も、中国の場合がそうであったと同様に、列島で異民族の縄文人や縄文人との混血である弥生人を多く組み込み割合を下げる。現代人に5%残っているというのはかなり凄いことなのだよ。
>
> 毛玉さんがこのグループに残ってたら張り合いも出るが、今の面々では学ぶところがなさ過ぎる。
> さて、そろそろ、管理人の別ハン「通りすがり」君が登場する頃じゃないか?・・・
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 文化とDNA自慢
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011424M.jpg
シマオゥさんへのお返事です。
> 毛玉さんがこのグループに残ってたら張り合いも出るが、今の面々では学ぶところがなさ過ぎる。
> さて、そろそろ、管理人の別ハン「通りすがり」君が登場する頃じゃないか?・・・
般若心経で送ってやるよ、
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切[注 5]顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪
即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶
般若心経
誰も読めないな、農業技術の伝来の記録だが、百姓の4000年の歴史
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 文化とDNA自慢
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011429M.jpg
シマオゥさんへのお返事です。
ハプロでは、説明が出ないだろ・・・
中国文献も読めず、ハプロだけじゃダメなの
ヒントは倭国なんだ、こいつらが匈奴になる、フン族だよ・・・
ユーラシア帝国をつくる、モンゴル帝国より大きい。
ハプロのごちゃごちゃが説明できるだろう。
次ぎは、ハプロの混血説明できるかな・・・
>
> 諸君に共通して言えることですが、「想像」だけではダメなんですよ。そんなもん子どもにもできる。
> 「証拠」が伴わないとね。
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
続中国方位ライン2
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011432M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011432_2M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011432_3M.png
https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12619747152.html
http://
Re: 続中国方位ライン2
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011435M.jpg
https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12619747152.html
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 続中国方位ライン2
シマオゥさんへのお返事です。
> 管理人さんへのお返事です。
>
> まー、どうせ暇つぶしでやる分には良いんじゃないですか?こちらも批評するの面倒くさい。
> 最後に管理人さんの年齢当ててみましょう。
> 「ムー大陸とかオカルトが流行った世代」の宮台真司くらいで、1960年前後生まれ、つーと、60歳前後、でしょ。>元オウム真理教の上祐も同じ世代なんだね。秦野は高次脳機能障害の終末期老人。
こちらも、たくさん投稿されても読むのが大変だよ・・笑
シマオウ(ルーツ)くんは、そのマンガ世代の言葉遣いからみても、20代後半くらいかな??博士論文まで書いたんだから、研究所や大学の金食い虫で終わらないようがんばってね!
「遮光器土偶」
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011437M.jpg
https://www.baobuzz.com/info/115528.html
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 文化とDNA自慢
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011439M.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/ 邪馬台国
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
続中国方位ライン3
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011441M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011441_2M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011441_3M.jpg
秦野さん、シマオウさん、わかちあいありがとうございます。
まずは秦野さんの遮光器土偶の件から・・・、確かによく見ると、遮光器土偶と西周時代の青銅器の紋様には共通性があるようですね。
以前、殷と亀ヶ岡について、その遮光器土偶等との両者の関連を指摘されているサイトがありましたが、やはり殷の影響が大きいのではないでしょうか。年代的にも重なってきますしね。
以前もお知らせした殷墟と亀ヶ岡遺跡などの亀ヶ岡式土器を出土した遺跡を結んだラインについて、もう少し精度を上げたものを作成しなおしてみました。
図1、2です。両者は図法が異なり、図1は緯度・経度の位置が正確です。図2は角度を見る際に役立ちます。図3は拡大図。
ここでは、まず三星堆遺跡を起点として、殷墟を経て、常呂遺跡に至るラインがありますね。その常呂遺跡自体は亀ヶ岡遺跡よりはるかに古いのですが、ただ亀ヶ岡式土器が出土しているそうですから、後代の前1000年前後にも、この遺跡が再活用されいたのでしょう。
そして、殷墟⇔平壌南部⇔亀ヶ岡遺跡へと伸びるライン、殷墟⇔城子崖遺跡北部⇔三崎山遺跡へと伸びるラインがあります。
その三崎山遺跡からは殷代の刀子が出てますから、殷との関係が疑われるのですが、また図のように、三崎山遺跡と亀ヶ岡遺跡をさらに北へ伸ばすと手宮洞窟へと至ります。手宮洞窟からはフゴッペ洞窟と同様な先刻文字がありますね。これも縄文時代のものと考えてきたとおりです。
そして、亀ヶ岡遺跡⇔大湯環状列石北部⇔大洞貝塚へと伸びるラインがありますが、また常呂遺跡から大湯環状列石北部を経て三崎山遺跡へと至るラインもあります。
加えて、図のように手宮洞窟⇔亀ヶ岡遺跡⇔三崎山遺跡へのラインもあります。
あと、図のように平壌南部⇔漢城中心部⇔金海へと伸びるラインがありますが、また漢城⇔手宮洞窟⇔常呂遺跡へと伸びるラインも確認できます。
そのほか、殷墟⇔城子崖遺跡北部⇔三崎山遺跡⇔大洞貝塚へのラインもあるかもしれません。
これらのラインの誤差については、図3の各遺跡と、そこを通過するラインについての拡大図を確認していただきたいのですが、まず、上記の三星堆⇔殷墟⇔常呂遺跡に至るラインについては、殷墟の位置において北へ3KM前後の地点をラインが通過している、つまり誤差があることがわかります。
三星堆⇔殷墟間=1096?、三星堆⇔常呂遺跡=4925?に対して、3?のズレですから、3/1000 前後のズレが生じていたと考えてよいでしょう。
また、同じく漢城⇔手宮洞窟⇔常呂遺跡へと伸びるラインですが、これも手宮洞窟の北1km前後の地点をラインが通過してますから、同様に漢城⇔常呂遺跡=1605?で、漢城⇔手宮洞窟=1340km となりますから、1/250くらいの最大誤差がありますね。
なお、この漢城⇔手宮洞窟⇔常呂遺跡は、先の平壌南部⇔漢城⇔金海に対して直交、つまり90度になってますから、意図的な角度とみなしうるでしょう。偏角は東30度となるわけです。
そして、手宮洞窟⇔亀ヶ岡遺跡⇔三崎山遺跡については、亀ヶ岡遺跡の東の500mあたりをラインが通過してますから、手宮洞窟⇔亀ヶ岡遺跡=265?、亀ヶ岡遺跡⇔三崎山遺跡=201?ですから、最大で1/400くらいの誤差があると考えるべきでしょう。
あと、大湯環状列石の北部2kmあたりを上記の亀ヶ岡遺跡⇔大湯環状列石北部⇔大洞貝塚へのライン、また常呂遺跡⇔大湯環状列石北部⇔三崎山遺跡へと至るラインが双方通過していますが、大湯環状列石⇔三崎山遺跡=152?、大湯環状列石⇔大洞貝塚=156?ですから、2/150前後のズレがあり、ややこの時代の測量としては誤差が大きいですね。この誤差発生には何らかの別の理由があるはずです。
ちなみに三崎山遺跡⇔大洞貝塚=160?ですから、正三角形の領域を構築しようとした可能性も考慮すべきかもしれません。
このようにみていくと、幾何学的な測量方法を用いて、殷代からその末期あたりにかけて、朝鮮半島、日本の東北部へと移住していった集団がいたと考えるべきかと思いますし、それが亀ヶ岡式土器や三崎山の殷の遺物と、殷との相関性にあると考えれば理解しやすくなりますね。
その測量精度としては、ばらつきはありますが、概ね1度以内の誤差に納める精度はあったのではないでしょうか。距離が数百キロ単位ですから、GPSもない当時としてはよく測量していたと思います。
そして、これらのライン上、特に交点には、まだ明らかにされてない当時の遺跡が多くあるはずですし、そこにポイントを絞って発掘すれば、自ずから結果がついてくるでしょう。
ローラー作戦的な考古発掘は数十年となされてきたわけですが、ここらでもう一段階、その発掘精度を上げて、経費や労力を削減ために、方位ライン分析をそろそろ採用してみてはいかがですかね・・・。
また、これらのライン上の遺跡については、同一集団の移動が予想されるわけですから、当然その遺骨にも同じ遺伝子が混じっている可能性が高いと言えるでしょう。
これもローラー作戦的に遺伝子を把握する段階から、ライン上の都市を絞り込んでその遺伝子を調査していけば、もっと目的の遺伝子を持つ人物が多く見えてくることも予想できますし、目的達成までの効率が良いと思います。
ローラー作成が終わるまで待たずとも、早い期間で結果を出せれば、それだけ早く学問を発展させうるわけです。
方位ライン分析にこだわる理由は、研究を効率よく進めるためといっても過言ではありません。地道なローラー作戦をしている時間や資金は、そろそろ日本人にはなくなっていくような気がしますからね・・・。
Re: 文化とDNA自慢
シマオゥさんへのお返事です。
> 管理人さんへのお返事です。
>
>
> それでも、ミトコンドリアは体重の1割をも占めるんで、MT-haploはY-haploより存在感があります。6リットルの水って結構重たい。Y染色体DNAを抜いても生きていられるだろうが、ミトコンドリア抜いたら死ぬだろうね。しかし、私のY-haplo O-F438は「自閉症リスクが低い」という研究結果もあるので、「重要ではない」とは言い切れない。
>
なるほど、、ミトコンドリアって、確かに細胞内でも体積占めてますよね、そこまで重くなってくると、ミトコンドリアダイエット!とかもできるかも・・・・!体への影響力が大きいですね。
> 以上、DNA的アイデンティティをまとめると、「現代北東アジア人の私は、ルーツを辿れば過去の黄土・チベット高原、シベリア集団、もっと絞れば、黄土高原・長城地帯の集団の一員だった」ということになります。古墳文化を日本に齎した北方集団です。彼らの故郷は、北方中国とくに遼西・遼東半島、そして朝鮮半島(北京漢族に最も近いのは奈良県人)。
>
なるほど、偶然か必然か、そのご自身のルーツに近いところへとお出かけになられているようですから、本能的なものもあるのかもしれませんし、また帰国される際には、日本の渡来人の遺跡もめぐってみてくださいね・・・!
> あと、おまけで、
> (5) 「トレジャー遺伝子」ー良いものにも悪いものにも感謝!
> ? 中国の長寿遺伝子
> ? 炭水化物代謝が早い遺伝子
> ? 脂質代謝が早い遺伝子
> ? アルツハイマー・リスク低減遺伝子
> ? トップアスリート遺伝子
> ? ハゲ遺伝子ー管理人さんにあげたいですが、今は良い薬もあるようだから、早期発見・早期治療を目指します。
>
> 管理人さんのトレジャー遺伝子は何ですか?
いやはや遺伝子調査をしたことないので、遺伝子面では何も言えませんけど、?のハゲ遺伝子は父型にはなく、母方に多いようですので、気にし始めてますが、まだ幸いにも白髪が少々出始めたくらいですから助かってますよ(笑)
長寿遺伝子は、うちも双方そのようですが、細胞のエネルギー代謝の早いのは短命だとかいう研究もあるようですね。ラットとかはそれが人間の2倍近くで短命だとか・・。
あと、やはり脳とか神経系の遺伝の影響は大きいと思いますね。父型は機械系、祖父の父は宮大工だったらしく、祖父もバイクとか何も見ないで分解して組み立てなおせるくらいの空間認知能力があったようです・・・。逆にあまり話し上手ではない、文科系に向いてないというのもそうでしょう・・・だからこんなところでこんなわけのわからない幾何学図形を書いてるわけです(汗)
仕方ないですよね、本能とか適性には逆らえないこともありますから、だましだまし欠点を隠して、その長所を生かせるように使っていくべきでしょう。
グループ作業や研究の利点は、その欠点を補い、長所を生かしあうところにあるとおもうんですよね・・・・。相手の欠点を言い始めたらキリがないですし、双方無駄な時間になるでしょう。
野球でも、先発投手と抑えの投手が役割分担してたりしますが、大局的な準備をするのがうまいひとがいれば、素早い詰め将棋が得意な人もいて、それぞれ適性あるとおもいますし、双方を一人でこなす必要もないかと感じてます。
ハプロタイプの組み合わせ論などでも、о系統とD系統は双方うまくやっていける?とかいけないとか、相性みたいなもののあったんじゃないですかね。牧畜と漁業者の協同みたいなもので、その辺のパートナー論も、見えてくれば面白いですね。
Re: 文化とDNA自慢
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011443_2M.jpg
https://kknews.cc/history/blgbopn.html
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 続中国方位ライン2
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011447M.jpg
http://konchan.net/x/archives/11014
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: Re: 文化とDNA自慢
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011451M.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/ 魏志倭人伝
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
続中国方位ライン4
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011453M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011453_2M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011453_3M.png
https://www.yfull.com/tree/O/
Re: 続中国方位ライン4
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011455M.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/ 史記
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 文化とDNA自慢
シマオゥさんへのお返事です。
> 似とるな。
>
> 私は自分のMT-haplo G3a2繋がりでオホーツク文化にも関心があるので、北海道住まいの管理人が羨ましい。G3a2はロシア沿海地方のウデヘに見られる。「私の血の中に、北海の怪獣狩人の血がまじっていることを知っただけで豊かな思いを持っ
ちょうど、昨日は蔦屋でアイヌ文化の雑誌を立ち読みしてましたが、オホーツク文化は、粛慎、後代の靺鞨とかかわりがあるとみなされているようですね。
粛慎
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E7%25B2%259B%25E6%2585%258E_%28%25E4%25B8%25AD%25E5%259B%25BD%29
確かに、毒矢や住居形式など現在のアイヌ文化ともかかわり深そうです。その起源は、紀元前の粛慎の風俗にあるということになると、実に長い伝統を継承してきたことになるはずです・・・・。
>
> 2. Okhotsk culture 牙製婦人像
>
> オホーツク文化(プレ期3世紀〜終末期13世紀頃)
> この文化を特徴づける遺物のひとつとして,骨・牙製の婦人像がある。それらはすこし前かがみで,手を前に組んだり,合掌したりしている姿をし,そのモティーフはモンゴル出土の牙製婦人像や遠くセミレチエ地方の突厥の女性石像に類似している。この文化の発生については,南サハリンと北海道北部において自立的に生まれたとする説と大陸からの影響を受けて生じたとする説がある。
> →大陸起源が通説。紅山文化の後裔で、靺鞨と関係。
突厥ですか・・!合掌するのは宗教者っぽい雰囲気ありますよね・・・。
ソグド人の石像、ルーツさん的には突厥のそれなんでしたっけ、その石像文化が、6世紀代に北九州へともたられて磐井の墓の石人となったという見方もありましたね。
同じ突厥の石人文化が、九州と北海道にもたらされていったとすると面白いですね。文化的に双方に共通性が見いだされればもっと興味深い!
個人的には、その磐井等のご先祖の北燕遺民ですね、これらが新漢人として天智系の天皇家のパトロンとして白鳳時代から平安時代ごろまで活躍、靺鞨粛慎との交易ルートを、彼らはもっていて、片方が渤海・新羅からの交易ルート、もう片方が北海道、サハリン、沿海州ルートで、そこに靺鞨人が行き来していたと思うんですね。
その末裔には当然、同じ遺伝子が見えてくるはずですしね・・・。
Re: 文化とDNA自慢
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011464M.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/ ムックリ
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: キラータ(Kirata)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011465M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011465_2M.png
https://hollywoodsnap.com/black-people-bleached-skin-turned-into-a-white/
Re: 文化とDNA自慢
シマオゥさんへのお返事です。
> ニヴフが基調だと思います。
> サハリンのニヴフはYに次いでD4mが多く、大陸側のニヴフではYに次いでGです。D4mは悪魔の門の洞窟で出たものと同じです。図は悪魔の門の洞窟集団のデータ。
>
> 図から分かるように、悪魔の門の洞窟の人々は北東アジア人と極東ロシアの先住民とのハイブリッドです。私は、日本人との遺伝人類学的関係において、アイヌよりもオホーツク人の方に関心があります。もっとも、アイヌの女系の多くは彼らが由来なので、アイヌに伝わる文化の中にオホーツク人を感じることができると思っています。
アイヌ文化を考える際に、そうですね、オホーツク人の文化と縄文人、和人のそれの区別も必要でしょうし、さらにオホーツク人のそれもいくらかに分類しながら識別作業が必要ですね。
アイヌのチャシなどは、東北方面にも似たようなものが多くあり、オホーツク人のそれとは異なる縄文人起源だと考えているのですが、神話面では東北のそれと比較したことはないですが、どこか西方的な要素が強く、中・近世にロシア方面からもたらされたのか、やはり縄文系なのかも気になるところです。
入れ墨や刺繍については沖縄と共通要素が多いそうで、縄文系のようですが、ただ、先のアイヌ神話を読む限り、入れ墨をしていたコロポックルのような小柄な先住民がいて、そこにある時期に、文化人であるアイヌの祖先がどこからか移住して、その入れ墨文化を継承したような構造になっているんですよね・・・。
かなりはっきりした歴史記録を継承しているところからみて、それほど遠くない時代にアイヌのもう片方の祖先がどこからかやってきたように感じるのですが、ニブフとかその辺の兼ね合いを考えていくと何かみえてくるでしょうか・・・
あと、アイヌのムックリは有名ですね!呪術で使うのでしょうし、呪術の楽器って、結構その民族において根幹をなすものだったりするので、解明のカギになるかもしれません・・。
Re: 文化とDNA自慢
シマオゥさんへのお返事です。
> 秦野北斗さんへのお返事です。
>
> > アイヌの楽器(ムックリ)ですか、なんじゃ
>
> 近世アイヌへはニヴフから入ったんだとよ。
確かに形状的にもムックリとニブフのそれは、よく似てますね。
起源は、なぜかShimao遺跡が出てくるところが興味深い・・・・。
「Jew's harp」
History
The earliest depiction of somebody playing what seems to be a Jew's harp is a Chinese drawing from the 3rd Century BC, and curved bones discovered in the Shimao fortifications in Shaanxi, China are believed to be the earliest evidence of the instrument, dating back to before 1800 B.C.E.[4][5] Archaeological finds of surviving examples in Europe have been claimed to be almost as old, but those dates have been challenged both on the grounds of excavation techniques, and the lack of contemporary writing or pictures mentioning the instrument.[6]
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fen.wikipedia.org%2Fwiki%2FJew%2527s_harp%23cite_note-6
北燕遺民
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011473M.png
https://ja.wikipedia.org/wiki/ 龍城
Re: 紅山文化の人たち
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011479M.jpg
https://wenku.baidu.com/view/e594e7e8bdeb19e8b8f67c1cfad6195f312be8e0.html
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
高句麗の歴史
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011482M.jpg
紀元0年夫余、好太王碑【第一面】韓半島の歴史が記録される。
夫余は臨津江 まで、その後、臨津江を越え韓半島に、時(種族)が欲しがり、高句麗は韓半島に取り込まれた部族。高宗の大唐大將軍(白村江の戦い)で滅亡する。「栄光ナル朝鮮語族」だ、流れ者だぞ、現在の韓国と同じ、アメリカに活かされている。尚、時(種族)は土岐氏、明智君の先祖
好太王碑【第一面】
鄒牟王は大水王(別名)こと臨津と云う。母は河伯と云う、世子(子供)は弱いため、留める黄龍を迎王とする、黄龍こと大朱王(別名)の十七世孫が永楽太王になる。
日本書紀
冬十月、大唐大將軍英公、打滅高麗。高麗仲牟王初建国時、欲治千?也、母夫人云「若善治国、不可得也、但當有七百年之治也。」今此国亡者當在七百年之末也。
解説する、高麗は高宗の大唐大將軍、英公に滅ぼされた。高麗仲(鄒)牟王が建国した国、時(種族)が欲しがり治める、治める善い千(かしら)は歳なり、母は夫(種族)人は云う。此の国は若くないと聴くなり、当り有る700年此れ治めるなり、今此の国亡き者、当り在る700年此れ末(終る)なり。
高宗:母: 文徳皇后長孫氏
在位期間: 649年7月15日? - ?683年?12月27日?
没年: 弘道元年12月4日; (683年12月27日)
父: 太宗(第9子)
朝鮮語族はハプロではゴミ、考えないほうがいい・・・
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 紅山文化で行われていた言語
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011485M.jpg
https://www.weblio.jp/content/ 狄
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 紅山文化で行われていた言語
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011489M.jpg
シマオゥさんへのお返事です。
理解できないだろうな、
秦野が史記、古事記、・・・が読めるのは共通語を見つけたからなんですな。
DNAには、記憶もありそうだな、シマオゥさんはコロナワクチンで復活???・・・
夢、夢・・・
シマオゥさんへ、好太碑の碑文(文献)訳したら教授になれるぞ、
> > 例、シベリアは痺れる、らしいな。
> > 大変だ、百済、新羅、高句麗、日本(倭)、匈奴、中国・・・は共和国ですな
> >
>
> 秦野さん、きちんとお薬飲んでますか?DNAは、記憶
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 北燕遺民
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011490M.jpg
https://youtu.be/6eILFgXv4yM
Re: オホーツク人研究の発展
シマオゥさんへのお返事です。
オホーツク人の研究史お知らせありがとうございます!
>
> 1974年
> モヨロ貝塚などの人骨を総合的に分析した結果、もっとも類似した関係にあるのがアムール・サハリン地方の諸集団で、その中でもウリチ人が最も近いとされた(山口敏)。
>
> アイヌの精神文化との関係1 クマの牙偶
> 胴部に観察される腹帯がサハリン・アイヌのクマ送り儀礼のものと酷似しており、アイヌ文化の精神世界はオホーツク文化からの強い影響を受けている(渡辺仁)。
>
なるほどですね・・・。
> 1975年 山丹人との関係
> アムール河流域の黒水靺鞨が直接にサハリンから北海道に移住したとされたさらに、アムール河流域の黒水靺鞨はウリチ人であり、彼らの子孫が後に山丹として山丹交易を担ったとされた(加藤晋平、大塚和義)。
>
> 1976年
> 土器、石製品、鉄製品、青銅・銅製品、ブタ、イヌの飼育、仰臥屈葬、木棺墓などにより、オホーツク文化は黒水靺鞨文化を主体としながらも、その前後の文化との類似性も強く認められる。その一方で住居形態や墓制など社会の基本形態の違いが大きいことを重視すると、靺鞨文化や女真文化の直接的な波及はなかった。オホーツク文化の担い手については、中国唐代の『通典』などに登場する「流鬼」すなわちニヴフが該当する(菊池俊彦)。
>
> →こうして、オホーツク文化の成立過程については、北海道の在地文化の影響を受けながらも、基本的には大陸にルーツを持ち、サハリンで成立、北海道に南下したということに一応落ち着いた。
>
ふむふむ。
> 1981年 北アジア人としてのオホーツク人
> オホーツク人の信仰
> 牙製女性像の衣装には鈴や鐸、帯飾りが付けられており、集団内のシャーマンであり、弁髪を結い、スカートをはき、前かがみで手を組むなどの特徴から、北アジアの古代習俗との結び付きがある(加藤晋平)。
>
牙製女性像ですね・・。
> 1989年 アイヌの精神文化との関係2
> オホーツク文化遺物に集中して登場するクマ、海獣、鳥がアイヌ文化の動物信仰と共通していることから、オホーツク文化の信仰はアイヌ文化に受け継げられた(宇田川洋)
>
アイヌ神話には、思うに、動物などを主体としたシリーズと、それとは別のヤタカラス神話によく似た西方遊牧民・中東系のそれとがあるように感じてます。前者がオホーツク人の影響で入ってきた可能性ありですね・・。
> 1990年
> 年代譜が明らかにされた。
> プレ期 3ー4世紀
> 前期・後期 5ー9世紀
> 終焉期 9ー12世紀
>
7世紀の阿部の遠征に出てくる粛慎でしょうね。石狩川より西の道東に本拠をもっていたはず。
> 1994年
> 目梨泊遺跡の墓の副葬品として鉄刀類や鉄鉾、曲手刀子、耳飾りなどの組み合わせがモヨロ遺跡と類似するとともに、帯金具はアムール河中流域の靺鞨文化のものと類似しており、大陸文化の強い影響がある。一方で、両遺跡とも本州文化からの渡来品である蕨手刀が見られ、南北交易の拠点であった。
思うに、その帯金具などの金属精錬技術の確保あるいは輸入が、西方遊牧民や中東系の集団から取りいれたものでしょう。
ステップルートで遼東や沿海州周辺で交易していた集団から、オホーツク人が取り込んでいって、それに付随して、中東・西方系の神話なども、アイヌ神話の原型に導入されていったのかな??
続中国方位ライン5
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011493M.png
https://kotobank.jp/word/ 廟底溝遺跡-121364
Re: 北燕遺民
シマオゥさんへのお返事です。
>
> 紅山文化の古人骨のadmixtureは現代人ではホジェンが近いのでツングース寄りだったんじゃないですか?コリアンにも近いですかね。
>
なるほど・・・、ツングース系の先祖のY-C?と、その後に出てきたY-N、あるいはOの混血の可能性もありますかな・・・
>
> ウラル祖語は、ウラル諸語に現れる動植物や養蜂、塩関係の語彙の分析から割り出された東西南北の境界の推定から、ウラル山脈東西どちらかで起源したという説が一般的なので、紅山文化の人たちがウラル語を行っていたとは思えませんが、サハ(ヤクート)はどうですかね。バイカル方面にいたとされるんですが、でも、サハはMT-haplo D5が多いので結構南にいたのかもしれません。あとは、紅山文化は朝鮮語族の可能性もあります。
バイカル湖周辺の集団・・・気になりますね!!また明日に・・!
Re: 北燕遺民
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011499M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011499_2M.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=FuEjONKb3fQ
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 北燕遺民
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011502M.jpg
シマオゥさんへのお返事です。
PDFだよ、お前の頭じゃ、理解できないだろう
淮南衡山列伝原文よむか、2,3回生まれ変わるな
> ま、秦野は単純にアホな分、キシさんよりマシだ。短文しか書けないから掲示板も見やすい。
ところで、キシさんの漢字遊び懐かしいな、コロナで引きこもりかな・・・
古代史研究家の最先端だな、こじ付け、最先端研究家だよ。古田武彦の影響だろうな
淮南衡山列伝原文+ハプロで教授席は間違いなし、難あり、中国人は読めんな、
>
> >??紅山文化集団は牧畜(秦、以降は農業、コウリャン)
> > 仰韶文化集団は牧畜
> > 騎馬民族ですな、史記の記述がただしいな。
> >
>
> 紅山文化=騎馬民族説?
> 騎馬?最先端じゃん?すごいね!ところで、秦野君は、大学行けたの?
> ま、秦野は単純にアホな分、キシさんよりマシだ。短文しか書けないから掲示板も見やすい。
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 口琴の発祥地
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011503M.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=e-1Qp9Y0RKE
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 口琴の発祥地
秦野北斗さんへのお返事です。
> シマオゥさんへのお返事です。
>
> > SHIMAOからは最古の口琴が見付かっている。アイヌのイメージくずれる。
>
> 口琴演奏《黄昏》|依然?得从你口中?出再??决如【吹口琴的小园园】
> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3De-1Qp9Y0RKE
>
> Olena UUTAi. Earth music festival
> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DLH2J81ZjsGk
>
> 口琴好き中学生No.6
> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DDHvD5QliFTg
>
>
ひとつめの動画は口琴?ではないような・・。2つ目と3つ目は、確かにアイヌのムックリとよく似てますね。
アイヌのムックリ演奏
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DPvv6xzfLyT8
こちらがシベリア方面?のkhomusですね。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fyoutu.be%2FipsdHA3gLnM
口琴についての呼び方ですが、ムックリの語源ってどこからきたんでしょうね?
ハカス語xомыс(khomys)ホムス
トゥバ語xомус(khomus)ホムス
アルタイ語komusコムス
ヤクートkhomusホムス
キルギスtemir komuz, jugach komuz, ooz komuzテミル・コムズ、ジュガチ・コムズ、オオズ・コムズ
カザフshan qobyz, temir qobyzシャン・コブズ、テミル・コブズ
中国口弦、嘴琴
アイヌmukkuriムックリ
北インドmorchangモルチュン、モルチャン
南インドmorshingモールシン
フィリピンkubing, kumbing, afiw, kinabanクビン、クンビン、アフィウ、キナバン
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E5%258F%25A3%25E7%2590%25B4
Re: 口琴の発祥地
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011505M.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=e-1Qp9Y0RKE
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
続中国方位ライン6
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011509M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011509_2M.png
シマオゥさんへのお返事です。
> 管理人さんへのお返事です。
>
> > ちょっと先ほど目についた遺跡に廟底溝遺跡がありますが、これが図のように、三星堆遺跡と殷墟を結ぶライン上にあるようです。
> >
>
> 常識ですが、廟底溝は甘粛・青海の馬家窯、斉家文化の母胎です。Y-haploは紀元前3500年頃のO-M133(F5)-F8が出ています。
シマオウさん、お返事ありがとうございます。なるほど、ハプロ系統図からいくと、廟底溝遺跡から馬家窯、斉家文化へと向かうわけですね!
そこで、その馬家窯、斉家文化の遺跡も交えて、ここ数日明らかにしてきた中国各地の遺跡を結ぶラインを整理してまとめてみました。図1はラインの方向性をみるために、図2は距離と方角をみるために図法を変えてあります。
なおこれらのラインとまったく関係がなかった他の遺跡は外してあります。こうみるとほとんどは前3000〜2000前後の遺跡だと言えるでしょう。つまりそれ以前の文化の遺跡は、これらのライン上にはまず載らないことも確認しています。
そして新たに、長江文明と遼河文明の遺跡も追加してあります。
すなわち、三星堆⇔大渓⇔屈家嶺(石家河)⇔良渚遺跡のラインや、良渚⇔呉城鎮⇔昆明へのライン、呉城鎮⇔屈家嶺(石家河)⇔馬家窯遺跡へのラインなどは長江文明と関係しますが、その一部が良渚⇔鹿大崗⇔烏海へのライン、大渓⇔廟底溝⇔陶寺遺跡へのラインのように、黄河文明へと橋渡ししていることもわかりますね。
そして遼河文明の夏家店遺跡、これがやはり測量の起点となっており、図のように夏家店⇔鹿大崗⇔石家河遺跡へのラインのように、3文明を橋渡ししているものも見て取れます。
夏家店⇔SHIMAO⇒馬家窯遺跡へのライン、あるいは夏家店⇔城子崖⇔大エン口遺跡へのラインなどもあるでしょうし、ラインの交差面からみるとやはり三星堆遺跡へのラインもあったはずです。
そしてその三星堆遺跡が測量の起点であり、先日もお話した三星堆⇔廟底溝⇔殷墟へのライン、同じく三星堆⇔二里頭⇔大エン口遺跡へのラインなどもありますし、あとは烏海市中心部も測量起点であり、烏海⇔陶寺⇔二里頭、烏海⇔SHIMAO⇒大エン口遺跡へのライン、などもありましたね。
このように、おそらくは前3000〜2500年前後あたりから中国に移住してきて青銅器などを広めたであろう彼らは、一種の三角測量を用いて、都市の位置を決めてその構築を行っていったことが明らかになります。
ただ、図のように馬家窯⇔陶寺⇔殷墟のラインは、似たような位置にある斉家坪⇔陶寺⇔大エン口遺跡へのラインへのラインと1〜2度前後のズレが生じており、前者のほうが500年ほど新しいので、それが原因でこのズレが生じているのではないでしょうか。
その誤差の発生については、測量方法や北極星の位置のずれ、あるいは冬至の日の出角が緯度によって増減する件を先ほどは考えていたのですが、後者については具体的には三星堆や昆明の緯度での日の出角と、殷墟など北方都市のそれとは1〜2度相違しており、どちらを起点とするかで、それらの誤差が出る可能性を感じます。
なお、地軸の歳差運動の誤差は5000〜1万年単位とかでないと1〜2度はずれないので、違う原因の可能性がありそうですね。
また日の出角を測るためには、ストーンヘンジとか環状列石を立てて、その日の出位置を正確に測りだす必要があり、大きな列石ほど測量精度の正確性が増すので、ストーンヘンジなどは巨大化していったはずです。月の位置を使えば経度の測量も可能だったでしょう。
ちょうどこの前3000〜2000年ごろは、その環状列石が世界に拡散していく時期ですから、中国や縄文時代後期前半の日本の環状列石もその日の出角から緯度を割り出して、三角測量で経度も割り出し、結果として特定の測量起点となる複数の都市から、図のようなラインを放射状に伸ばして、その交点にも都市を造営しながら、地域支配を確立していったように見えますね。
その進出の細かい年代推移については、シマオウさんご紹介のようなハプロ系統図、そこに見える各遺跡の人骨の年代と分岐から、明らかにできるのかもしれませんし、日本における縄文人なり弥生人、渡来人の渡来から地域進出の過程までも、同様な方法で明らかにすることができるでしょう。
そして日本においても、同様な遺跡や古墳を結ぶ方位ラインが多数あるわけですから、双方を比較分析することで、より正確な年代推定や血縁推定ができるようになるわけで、結果として邪馬台国はどこにあって、その人たちはどこへ拡散・移動していったのかなどといったテーマも明らかにできるかも知れない点で、貴重な資料となるだろうと感じますね。何か新しいプロジェクトを立ち上げたいですね。古代測量とハプロ・・・と掛け合わせて、古代史を本格的に解明するような・・・。その辺をまとめていく知恵が必要です。
Re: 北燕遺民
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011510M.jpg
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000345549
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: O2(旧O3)とN1、C2は過去も現在も「同じような人々」です。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011518M.jpg
https://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/about/iseki/
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 北燕遺民
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011519M.jpg
シマオゥさんへのお返事です。
合掌・・・成仏しろ、迷うなょ
>
> キシが冥土から呼んどるぞ。
>
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
甲骨文字
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011521M.jpg
史記卷一百一十八淮南衡山列傳第五十八作者:司馬遷
抜粋、昔秦?(むかし、しん、たやす)、聖人之道(きよい、ひと、これ、いう),殺術士(そぐ、すべ、さむらい),燔詩書(やく、うた、かく),棄禮義(すてる、れい、よい)
燔詩書(やく、うた、かく),です、燔:ひもろぎ。祭りに供える焼いた肉。
これ、甲骨文字ではないか。詩書・・・図添付
読めそうだな・・・
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 長城地帯vs東方大平原
シマオゥさんへのお返事です。
> ハプログループの分布からは、長城地帯vs東方大平原の構図が見えてくる。東方大平原への進出を図りたいO-M133と東方大平原の旧勢力。しかし、いずれにせよ、控えめに見ても、夏殷周、秦漢まではO-M133の政治的世界だろう。
>
> とくに、紅山文化晩期やSHIMAOといった王権の萌芽が見とめられる重要な遺跡群でF438の勢力が強い。
>
> 漢はM133-F438-F155でほぼ確定している(日本・朝鮮半島にはF155は皆無)。
> 子沢山の皇帝や王族が出た時期にどのサブグループが膨張した等細かく分析されている。
> 現在、F438-F155は中国に2%、F438全体では5%、M133全体では15%にのぼる。
>
なるほど、そういう見方もできそうですね・・・。
今回のラインで取り上げた文化の時期に、そのM133-F438が長江方面まで進出していったのでしょうね。
M133-F438がその後の中国の文化の主体、王朝のハプロとなっていたとのことも、系統図をみるとうなづけるように感じますが、やはりそこには、金属精錬技術を何らかの形で手に入れたことが大きいのではないでしょうかね。
青銅器や鉄器は、武具にもなるし農具にもなり、石器や木器を使用していた他を圧倒したはずです。
> 一方、日本にもF438は2%、M133全体では5%もいる。
> 当然、日本の初期の王権もこの中国大陸の強大な集団の動きから免れ得たというわけには行かないだろう。古人骨を調べられたら、必ずM133やF438辺りが多く出るはず。
>
おそらくは、縄文時代の中期後半、あるいは晩期の亀ヶ岡文化の時代に、それぞれ大陸の影響を強く受けた技術者集団が渡来したはずですが、青銅器が定着するまでには至らなかったような感じがしますね。
後者は殷の時代で、殷の青銅刀子なども出土しているわけですが、それが時代がたつにつれて石で模造した刀子になることからみると、青銅精錬技術が継承されなかったのか、そもそも精錬技術をもった人物が渡来してこなかったようにも見えます。
つまり金属器は輸入等に頼り、自前で掘削・精錬するほどのことは考えていなかったケースです。
この技術者の渡来の有無の件は、後代の壁画古墳のような場合にも当てはまっていて、大陸系の技術者が渡来した場合は、大陸そっくりな絵画や彫刻を描いたりするわけですが、渡来しなかった場合は、その絵画や彫刻の真似を素人がやったような稚拙な作品が残ったりしてます。
あるいは技術者が来ても、その継承者がいなかった、あるいは数代で途絶えてしまったケースですね。言語の継承にも同様な現象はあるでしょう・・。
> 日本に狩猟採集民系のD1a2aや中国では周縁化された漁業・園耕民系のO1b2が多く残っているのは、東国の土豪の膨張も理由のひとつだが、第一に共存を許す自然環境があった。つまり、深い森林の東日本、海に囲まれた日本という自然環境。弥生・古墳文化人の側にも犠牲を出してまで文化程度の劣る彼らを殲滅するよりは、緩やかな同化によって労働力を確保しようという意図もあった。
>
はたして、M133-F438が有していたであろう大陸系の技術・文化・言語は、日本へ渡来したのちに、圧倒的に多数だった先住民に対して、どれほどの影響を与えれたのか?ここが課題となるでしょう。
> 列島にやって来た日本人が優しかったとか、土着の「ヤポネシアン」の勢力が根強く妥協せざるを得なかったというわけではなく、戦争し殲滅することで得られる利益と、狩猟採集や漁業をさせて得られる利益や得られる労働力とを比較考量した上での施策だったと言えるだろう。そして、古墳時代を通じて東北まで一気に北方日本人化される。東北にO-M133が多いのもこのためだ。弥生・古墳文化人すっごーい!笑
そうですね、先住民を殲滅することを避けた、明らかに無理があった・・・、妥協・共存のほうが有益と見て取れたのかもしれませんね。
縄文時代のM133-F438の日本文化への影響は、それほどでもなかったのかもしれませんが、あとは古墳時代後期の渡来人の影響ですね、金属精錬技術も卓越していたでしょうし、文書技能も同様で、大陸文化を全国レベルで波及させていく、、、この影響がどのくらい日本人の遺伝子ハプロや言語の変遷等から読み取れるか?気になるところです。
Re: 朝鮮半島で見付かる最も古いハプログループMT-haplo G3a
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011528M.jpg
シマオゥさんへのお返事です。
> 韓国の掲示板でイルボン、エソという字を見つけて、何やら日本のG3a2に関わることを言っている
古事記に韓国は倭で日本である、紀元前200年ぐらいですな。此のあたりで、ぐちゃぐちゃになる。
シマオゥさんのルーツはシルクロードの流れ者のようだな、秦野はシルクロードが妙に懐かしく感じた、
ぐちゃぐちゃが原因か?
> > しかし、G3a2aは現代韓国人にもいることが分かっているので、朝鮮半島から日本に来た可能性は非常に高いです。朝鮮半島にいたのであれば、広義の遼河文明圏において櫛目文土器文化(紀元前8000年〜紀元前1500年頃)に参加していたのでしょう。朝鮮半島のG3aが南方の縄文人に対して文化的影響を与えた可能性はあり、場合によっては縄文期の列島に渡ったこともあり得ないことではありません。
> >
>
> 韓国のMT-haplo G3a2
>
> 韓国にも私のMT-haplo G3a2がいる。その事は以前から知っていた。で、図2の韓国の掲示板でイルボン、エソという字を見つけて、何やら日本のG3a2に関わることを言っていると発見した!ハングルと「イルボン・エソ」が「日本から」くらいのことは私にも分かる。
>
> 面倒くさかったが、コピー&ベイストできないので、ひとつひとつハングルを打ち込んでグーグル翻訳にかけてみる。こういう時の対処法は前に教えてもらってはいたが忘れてしまった。
>
> 労力に比して、得られたもの「日本からカザフへG3a2が行った」くらい。
> 旧石器時代の朝鮮半島のG3aから日本でG3a2が起源し、それがカザフまで逆走して行ったということか?!G3aが北東アジアで起源して、遼河文明人として、モンゴル、中央アジア、青海方面に移動したこと自体はあり得る。
>
> ただ、G3は東より西の方が比率が高く、古人骨の所在地も西北モンゴルのフブスグル(G3a)と青海の斉家文化(G3a2)なので、西から東への移動の線も依然としてある。
>
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
ハプロタイプと言語系統
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011529M.png
シマオゥさんへのお返事です。
> 図は計算言語学の手法による Jägerらの研究(2015)。
> こういった手法では、言語接触による語彙の借用による類似や偶然によっても「同系」として扱われてしまう可能性が高いですが、チュクチ・カムチャッカ語族が印欧語族と同クレードにあったり、さらにウラル語族やニヴフ語、ユカギール語とも近い関係にあるところが面白いでしょう。
>
> 日本語もアイヌ語とともにオーストロアジア語族のようになっています。
> これは、日本語の基層言語にオーストロアジア系言語があったことを窺わせると解釈した方が良いでしょう。アイヌ語は、日本語との借用語の要素が強く結果に反映されたのだろうと思います。
>
>
こちらの言語比較系統図は大変興味深いですね!
その精度はともかく、ハプロタイプとの比較をしていくとどうなるかが気になりました。
今回は、Y染色体ハプロタイプの系統図と、ご紹介の言語系統図とを、個人的に比較してみたのが図1です。
ウィキで適当にその語族を話す集団とY染色体ハプロの関係をみながら、図に青文字で対応ハプロを書き込んでみました。
こうみると、Y染色体ハプロの系統図とは相関性は見出しうるものの、きれいに割り切れてないことがわかりますね。
つまり父系のみで言語が継承されるという規則がないかぎり、母系の影響も多大に受けている、、、下手すると母系のほうが強いかもしれない可能性を感じます。
特に本来はY染色体系統では、O系統はC系統の下層にあるNやR系統に近いはずなのに、実際はD系統とのアジアでの混血によって、その言語を取り込んだのではないでしょうか。
日本人の場合は、シマオウさんのお話にもあったように、オーストロアジア語族、つまり縄文人の言葉がやはり基層にあるのでしょうね。Y-Dと関係するでしょう。
北東アジアの集団はN系統とQ系統との混血が多いので、双方が絡んでいるようにみえますし、ただR系統やC系統は父系が強いのか、あるいはほかの集団と混じらなかったのか?で。比較的きれいにY染色体系統で割り切れているようにも見えます。
そして、母から子へと父親からよりも言語が自然に継承されるであろうことを考慮すると、むしろ母系のミトコンドリアハプロタイプの系統図に、言語の系統図が近似する可能性を感じますが、その辺は、秦野さん、シマオウさんのお話にでてきているミトコンドリアハプロとアジア系集団との兼ね合いあたりからも、はっきりしてくるような予感がしますね・・・。
また明日あたり、ミトコンドリアハプロについても考えてみます。
Re: 伽倻の始祖首露王の妃「許黄玉」
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011537M.jpg
シマオゥさんへのお返事です。
伝説は嘘ぽいな・・
> 伝説
> 『三国遺事』巻二「紀異」の駕洛国記の条に、次のような記述がある。古代朝鮮の部族国家ができあがる時の神話として解釈されている[3]。
>
駕洛国の原文に総て百が姓になっている?。百の姓は史記、古事記にもあるぞ・・・
古代朝鮮の部族国家・・・これ正しい??文章添付
> こりゃ面白いね!
> なんと!伽倻の始祖首露王の妃「許黄玉」はサータヴァーハナ朝から来たインド人!
>
> 遺伝学的根拠があり、子孫は「インド南方系のMT-haplo」を持っているという。インド南方系ということは、インド人の1割を占め、インドにしか見られないM2だ。ドラヴィダ語族に関係すると言われている。
>
> 釜山広域市と金海市は、「許王后婚行ロード」として世界遺産登録を目指しているという。
>
> --------------------
> 参考
> サータヴァーハナ朝
> 公用語 マハーラーシュトリー語
> テルグ語
> サータヴァーハナ朝(Sātavāhana、紀元前3世紀/紀元前1世紀? - 後3世紀初頭)は、古代インドの王朝である。プラーナ文献では、アーンドラ朝とよばれる。サータヴァーハナが王家名で、アーンドラが族名である。ヴェーダ文献ではアーンドラ人はダスユ(夷狄 非アーリア人)と呼ばれており、恐らくドラヴィダ系の集団であったといわれている。
>
> 許黄玉
> 許 黄玉(きょ こうぎょく、???、32年 - 189年)は、金官伽倻の始祖首露王の妃[1]。金官伽倻の第2代の王居登王を生む。
>
> 許黄玉はインドのサータヴァーハナ朝の王女で、インドから船に乗って48年に伽耶に渡来し、首露王と出会い、その時にインドから持って来た石塔と鉄物を奉納した。許氏は首露王との間に10人の息子をもうけたが、そのうち2人に許姓を与え、それが金海許氏の起源とされる[2]。
>
> 2004年の学会発表によると、許氏の「インド渡来説」には遺伝学的根拠がある。金海にある古墳の、許氏の子孫と推定される遺骨を分析した結果、ミトコンドリアDNAは(韓民族のルーツである)モンゴル北方系ではなくインド南方系の特徴を備えていた[2]。
>
> 伝説
> 『三国遺事』巻二「紀異」の駕洛国記の条に、次のような記述がある。古代朝鮮の部族国家ができあがる時の神話として解釈されている[3]。
>
> あらすじ:阿踰陀(あゆだ)国の黄玉の両親に夢のお告げが下った。曰く駕洛国(金官伽倻)の首露王は天が遣わした特別な人間であるが、いまだ独身だ。黄玉を送り妻とするようにと。黄玉は海から蒸棗(なつめ)を求め、天に昇って蟠桃を得ると[3]首露のもとにやってきた[4]。なお、蟠桃は神仙思想に現れる長生不死の桃で、昆崙山にある「玉桃」とか仙桃山に実る「仙桃」とも呼ばれる[5]。
>
> 釜山広域市と金海市は、「許王后婚行ロード」の観光商品化にむけた「許王后婚行ロード再現および祝祭事業」に共同で取り組んでいる。同ロードは、インドからやってきた黄玉が金海に到着した地点をスタートとし、結婚式を挙げたところをゴールとする(望山島(鎭海龍院)→維舟岩→興国寺→金首露王凌)。長期的ビジョンとしては、同 ロードのユネスコ世界文化遺産登録を目指している[6]。
>
> その他
> 金官伽倻は良質の鉄に恵まれ、中国や日本に輸出して栄えた。鉄の武器のほか、小さな鉄のインゴットを製造した。これは貨幣のような交換手段に使用した[7]。
>
> 釜山広域市海雲台区の冬柏公園には、「海を渡って恩恵王に嫁いだ黄玉姫」の伝説に基づく人魚のブロンズ像がある[8]。ここでの黄玉姫を許黄玉と同一視する郷土史家もいる[9][10]。
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
ハプロタイプと言語系統2
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011539M.png
https://en.wikipedia.org/wiki/Human_mitochondrial_DNA_haplogroup
ハプロタイプと言語系統3
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011545M.png
https://ja.wikipedia.org/wiki/ オーストロアジア語族
陝西省の歴史
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011549M.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/ 日本人
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: ハプロタイプと言語系統3
シマオゥさんへのお返事です。
>
> そういう単純な考え方は10年以上前のネットでは通用したかもしれないですが、今では噴飯ものですよね。AもN9もNから直接分岐する根の深いものなので、現代に至るまでの言語的な関係はないですよ。だって、4ー5万年以上も前の関係でしょう?
>
> 4ー5万年以上も前のハプログループの「兄弟関係」なんて、現在の言語系統に影響を及ぼしません。語族形成期、だいたい印欧語でもトランス・ヒマラヤ語族、ウラル語族でもどんなに遡れても紀元前4000年くらいを目安にします。
>
なるほどそうなんですね・・・。言語というのは、伝言ゲームに例えることができるでしょうか。同じ文章を伝えても、100人も伝言すると、まったく別の文章になってたりするものですよね。特に語彙が変化してしまう・・、意味も変化するし、しかし、語順とか文法は100人伝言してもそれほど変わらない・・・のかな?
また、100人で伝言ゲームするにしても、文字にしてあれば、グッと伝言の変化も抑えれますし、また1人が1人に伝言するより、10人が10人に伝言するほうが、相互で間違いを補完できるので、伝言精度があがるでしょうね。。
つまり、ど田舎の移動生活をする数家族で言語で継承すると、都市部の数十家族で文字を用いて伝言しあうような文明が起こってからのほうが、言語の変化が少なくなるということでしょう。
> そこにおいて圧倒的意味を持つのが「農耕牧畜民の言語」です。印欧語族やトランス・ヒマラヤ語族は言うに及ばず、コリャークやウラルなどもトナカイ牧畜民の民ですね。新しくシベリアに拡がった人々。
>
そうそう、そういうことですね。定住生活者、集団生活、都市の形成、文字文化の発達・・・ですね、これらの要因で言語が固定化していくのでしょうね。
それでも明治の言語と現在の言語では大きく異なっているように、年代とともに語彙が変化していくのが免れないのですが、文法ですね、これは明治も平安もそれほど変化してないので、もし縄文人とか旧石器時代人の言語から継承している部分があれば、語彙の近似よりも、文法の近似に求めるべきということになりそうですね。
> > つまり、弥生人はオーストロアジア語族であった可能性が高いということになると、サンスクリットやドラヴィダ語族のそれとも相関性が出てくる可能性もありそうですね。
> >
>
> O1b2が元はO1b1と同じオーストロアジア系であったとしても、中国沿岸を北上してO2と接触するのですから、言語転換から免れることはないでしょう。形質的にも北方化していたでしょうね。
>
確かに弥生人の人骨なりを考えていくと、北方系新モンゴロイドの影響大きいように感じますね。
そして、他の集団と混合する可能性ですね、、ルートとその時間差によっては、どうしても避けれないケースがあり、日本列島への渡来に関しては特にその件が重要要素になりますね。
朝鮮半島と、南西諸島、この辺でどうしてもほかの集団と混合しますから。ただ、先日の5〜6世紀の北燕遺民のケースのように、1世代あるかないかで朝鮮半島を通過してしまうケースでは、ほとんど朝鮮語の影響を受けずして、北方遊牧民などの言語が九州などにもたらされた可能性を感じます。
> そうでなければ、「超南方系」の先住D1a2aと「南方系」のオーストロアジア系を掛け合わせても、非常に南方系の形質やDNAになってしまいます。これでは北方系の古墳文化人がいくら流入しても、「現代日本人の北方形質やDNA」にはとても近付かなかったでしょうね。
>
そうですね。弥生人と縄文人(それ以前の旧石器時代人の形質も保持)は、あまり混合してないと思うんですね。ごく最近になってからでしょう。今でも田舎にいくと、まったく弥生人的な形質を持ってない人を多くみかけますからね。農耕に適しない土地には弥生人はあえて進出しなかった・・・・。言語的にも混合してなかった可能性がありますね。出雲とか東北とか、今でも一般的な日本語のそれとは相違があるようです。
> 東アジアのハプログループと言語系統の関係で、一番スッキリしているのは、Y-haplo O-M133(F5)-F8またはO-M134とトランス・ヒマラヤ語族との系統関係です。これは古人骨と現代人の両方で確認することができるので申し分ありません。
>
> 古人骨では、甘粛磨溝の古羌遺跡で見られるF8-A9459-F438ですね。現代人ではチベット高原を除くチベット・ビルマ系はF8-A9459-CTS4658です。青海喇家、金蝉口の古羌遺跡ではF8-YP4864です。
>
海外のモデルケースを、日本でもあてはめたいですね。その土地出土の人骨やハプロ、言語(方言)の扱い方とか・・。サンプルケースがいくらかあって、それを日本のそれにあてはめたときに、どのサンプルケースに似た現象が起きていたか?を確認しながら、その土地の成り立ちを類推するみたいな方法論ですよね。日本の各地の方言の構造と、ハプロの対応関係があきらかになれば、彼らがどこからどこへいつ移動したのか?みたいなことも日本古代史の研究成果として取り上げれるような時代もくるのかな・・・
>
> チベット・ビルマ系も類型的には膠着語ですね。しかし、基本的なことですが、類型論は原則系統論と別です。形成論も違います。類型が似ているからといって同系統というわけではないんですよ。分析的な傾向の強い英語と漢語は同系ですか??語順が同じの日本語とヒンディー語は同系ですか??
>
> > 例えば、「飛ぶ」という動詞だと
> >???? tob という語幹[2]に、
> >???? tob anai:「飛ばない」
> >???? tob imasu:「飛びます」
> >???? tob eba:「飛べば」
> >???? tob ô:「飛ぼう」(発音はトボー)
> >
>
> 日本語と朝鮮語とニヴフ語の類似として、語根と接辞との間に特定の母音を介入させる点が挙げられます。形容詞も活用する、これも同じです。これはモンゴル語やトルコ語等には見られない形式です。
>
> たとえば、日本語の「飛ぶ」tobuの語根はtob-です。これに否定の接辞-naiを付ける際に、tob-naiではなく、tob-と-naiの間に母音aを介入させますね。
>
> 日本語と朝鮮語とニヴフ語間の言語接触はあったと見て良いでしょう。SHIMAOにも関わって来ると思います。
>
> --------------
>
こういうのは不思議ですね。文法面での構造的な類似ですよね・・・。語彙が同であるか否かにかかわらず、その根底に流れる文法が同じということですから、その3つの言語については、同じ祖先がいて、その文法構造を継承していったとのことになるでしょうか。
現存しない集団を浮き彫りにしていく作業、、、興味深いところです
Re: 陝西省の歴史
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011553M.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/ 秦河勝
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 陝西省の歴史 SHIMAOと秦人, 戎狄(西戎)
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Re: 陝西省の歴史 SHIMAOと秦人, 戎狄(西戎)
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https://ja.wikipedia.org/wiki/ 華夏族
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Re: 陝西省の歴史
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https://ja.wikipedia.org/wiki/ 日本人
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Re: ハプロタイプと言語系統3
シマオゥさんへのお返事です。
>
> それは、とても間違った認識です。音韻は変わるからこそ、変わらないのです。音韻の規則的対応を見出すことが比較言語学のオーソドックスな方法です。これと比較すると、文法はランダムに変わって行きます。
>
おっしゃる意味がよくわからないのですが・・・。音韻については、語彙というより、文法・・ですよね?
> > 朝鮮半島と、南西諸島、この辺でどうしてもほかの集団と混合しますから。ただ、先日の5〜6世紀の北燕遺民のケースのように、1世代あるかないかで朝鮮半島を通過してしまうケースでは、ほとんど朝鮮語の影響を受けずして、北方遊牧民などの言語が九州などにもたらされた可能性を感じます。
> >
>
> そうですか。北方遊牧民というと、トルコ、モンゴル、ツングース諸語ですか。
> では、例を示してもらおうか!笑
そうですね・・・、まずは、同じ渡来人でも北燕遺民(新漢人)より前に、やってきた東漢氏の系譜に、遊牧民に多い「腹(ハラ)」と兄弟のことを呼ぶことがあり、その東漢氏が製鉄や馬の飼育にたけていたことから、遊牧民系とみなされていることがありますね。
坂上氏の上奏文にその腹が記されてます。
臣等本是後漢靈帝之曾孫阿智王之後也。漢祚遷魏。阿智王因牛教。出行帶方。忽得寳帶瑞。其像似宮城。爰建國邑。育其人庶。後召父兄告曰。吾聞。東國有聖主。何不歸從乎。若久居此處。恐取覆滅。即携母弟迂興徳。及七姓民。歸化來朝。・・・・乃勅遣臣八腹氏。分頭發遣。其人民男女。擧落隨使盡來。
後漢の霊帝の時代、つまり三国志の時代ですね、牛の教え(インド系の占術に多い牛宮のそれです)に従って、朝鮮の帯方郡にまず向い、そこで優遇されて、立派な都市や村を建てるまでに至ったとあります。相当な人数だったことがわかりますよね。技術者で優遇されていた。それで、また何らかの要因で壊滅されるとおもったので、母弟である迂興徳および、七姓民を率いてやってくるわけです。
これが4世紀末〜5世紀初頭とされる応神朝とされますが、当時の百済・東晋・日本との間での同盟関係を通じて、派遣された技術者の子孫が彼らとのことになるようです。
製鉄技術と乗馬技術を日本にもたらしますが、同時に漢字など大陸系習俗を多くもたらしたことでしょう。その習俗の中に、なぜか遊牧民系のそれがあったわけですね・・。
東晋と山東半島、百済・・、ここに遊牧民系の集団の痕跡を求める必要がありそうです。
それから6世紀になって、北燕遺民とかかわるであろう新漢人が渡来して、一部がこの東漢人等の中に同族として取り込まれた可能性も考えられてます。
それで、問題は腹(ハラ)の語彙ですが、彼らの七姓漢人(朱・李・多・皀郭・皀・段・高)姓をみると、特に高姓、段姓は、高句麗・鮮卑系ですよね。
遼西の段姓は有名。
段部
前史
段部の始祖である段日陸眷は幼い頃に売り飛ばされ、漁陽烏桓の大人である庫?官の奴隷となった。漁陽で大飢饉が起きると、庫?官は段日陸眷が強壮であることから、遼西に移って糧食を集めるよう命じた。段日陸眷はこれを機に庫?官に叛いて自立すると、流亡の人々をかき集めてその勢力を強大化させ、かつて漢代に放棄された遼西郡令支県にある城郭を根拠地とした。
段日陸眷の死後は弟の段乞珍が位を継ぎ、その死後は子の段務勿塵が継いだ。段務勿塵は遼西の地を統べて西晋に臣従し、その部民は3万家余り、騎兵は4・5万にも及んだ。
王浚に従属
303年12月、幽州刺史王浚は幽州での地盤確立の為に、娘の1人を段務勿塵に嫁がせた。これ以降、王浚とは親密な関係となり、王浚の上表により遼西公に封じられた。
319年4月、段匹?の兵は食糧不足のために四散したので、薊を離れて上谷に拠点を移した。だが、代王拓跋鬱律より攻撃を受け、段匹?は邵続の統治する楽陵郡に身を寄せた。
12月、遼東を治める東晋の東夷校尉崔毖の呼びかけにより、段末波は慕容部討伐の兵を挙げ、宇文部・高句麗もまた呼びかけに応じてそれぞれ軍を動かした。三国連合軍は慕容部の本拠地棘城に攻撃を仕掛けたが、慕容廆の離間工作に引っ掛かり、兵を退却させた。
356年1月、慕容恪が河を渡ると、段龕は迎え撃ったが、大敗を喫して数千の兵が捕虜となった。段龕は広固に逃げ戻ると、慕容恪はそのまま軍を進め、広固を包囲した。
2月、慕容恪は長期戦の構えを取った。また、段龕の治める諸城に降伏を促し、段龕配下の徐州刺史王騰・索頭部の単于薛雲らを帰順させた。
8月、段龕は東晋に救援を要請すると、穆帝は徐州刺史荀羨を救援に派遣したが、荀羨は前燕軍を恐れて進軍しなかった。
10月、慕容恪が糧道を断ったので、広固城内では飢餓により共食いが発生する有様であった。追い詰められた段龕は城から打って出るも慕容恪に敗れ、かろうじて単騎で城内に逃げ戻ったが、取り残された兵は全滅した。
11月、段龕は遂に降伏を決断し、面縛して出頭した。段龕は目を潰された後に殺され、その配下3千人余りは生き埋めとなった。これにより、段部は完全に滅亡した。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E6%25AE%25B5%25E9%2583%25A8
概して東晋と高句麗との間で友好関係があったようですが、356年に滅んでます。
またこの段部のいた遼西が後の北燕の本拠ともなるわけです。
だから先の腹の概念は、鮮卑の習俗と関係する可能性がありますね。
あと、この坂上氏のうち、坂上浄野の子孫の田村氏から私の父がたの姓が分かれ出てきます。
坂上浄野の子孫。
摂津守に任じられた清和源氏の源満仲が多田盆地に入部、所領として開拓すると共に、多くの郎党を養い武士団を形成し、武士団の中心として坂上党の棟梁坂上頼次を摂津介に任じ、山本荘司に要請して西政所、南政所、東政所を統括して多田院の警衛にあたらせた[14]。34代坂上頼泰が足利義輝に仕えたものの、同じ多田御家人の一人であった塩川国満に侵攻され山本坂上氏は衰微する。その後一時豊臣秀吉の親衛を務めるが、後に退隠して町人となり、山本膳太夫と号して山本で庄屋や酒造、銀鉱採掘、両替業などを営み、園芸をして余生を過ごした。
紀伊国の在地領主小島氏は坂上望城の末裔という。大坂の陣で豊臣方につき本家は滅亡したが、庶流が後に大庄屋と成った。
紀伊の山口氏は田村麻呂の5世の孫である坂上五郎の末裔の武士。紀伊山口西に坂上田村麻呂の墓である「将軍塚」や山口西は坂上村とも呼ばれて、紀伊坂上氏の本貫地であった(『和歌山県神社誌』)[15]。山口喜内が大坂夏の陣にて活躍。[16]
田村氏は、陸奥国田村郡に起こり坂上浄野の曾孫の田村古哲にはじまるという。奥州屈指の大豪族で、伊達政宗の正室を出し、江戸時代も名望大名家として続いた。
氏族は山本氏、町口氏、小島氏、山口氏、田村氏、田母神氏など。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E5%259D%2582%25E4%25B8%258A%25E6%25B0%258F
この氏族のハプロがわかれば、ある程度私の父系のハプロはわかるでしょう・・・。
特に田母神氏ですね、これが血縁的には近い。前航空幕僚長の田母神俊雄さんの顔は祖父の家系の顔ですよ(笑)
田母神 俊雄(たもがみ としお、1948年(昭和23年)7月22日 - )は、日本の軍事評論家[1][2]、航空自衛官、政治活動家。予備役ブルーリボンの会顧問、「日本をまもる会・大東亜聖戦大碑護持会」会長[3]。
第29代航空幕僚長、太陽の党代表幹事兼国民運動本部長[4]、次世代の党副代表[5]を歴任。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E7%2594%25B0%25E6%25AF%258D%25E7%25A5%259E%25E4%25BF%258A%25E9%259B%2584
Re: 陝西省の歴史
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Re: 陝西省の歴史
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漢人の故地
シマオゥさんへのお返事です。
>
> これはね、例えばチベット文語で「鷹」はbyargotと言うのね。現代語の発音はchagöで似てないでしょ。
>
> 他のチベット・ビルマ語でも音節を落として「byargot鷹」を「チャ」と発音したり「ゴ」と発音したりしてる。似てないでしょ?でも法則性に気付けばbyargotと再建できる。
>
> 今は似つかない語との間で一定の法則性を見つけるという作業が比較言語学のオーソドックスな方法です。
ご説明、ありがとうございます。なるほどですね・・・・。
>
> カラー。トルコ諸語でも「腹」をカルンと言いますね。で、日本語とツングース諸語ないしトルコ諸語との間の類似する語をもっと見付けて来て、そこに音韻の対応が見い出せれば、借用語である可能性があります。借用語でも音韻が規則的に対応しますので。でも、そういうことが出来ないんですよ。無理です。
>
カラですか・・!
あと、先の段姓ですが、6世紀の継体朝の百済から派遣された人物なんですよね。東漢氏に組み込まれた新漢人ともいえそうですが、詳しくは下記のとおりです。
段楊爾(だんように、生没年不詳)は、継体天皇の在位中である西暦513年に朝鮮半島の百済から来日したとされる、文献に最初に現れる古墳時代後期の五経博士である。
記録
『日本書紀』によると、西暦513年、継体天皇7年の6月に、穂積押山が百済から帰国するときに、姐弥文貴(さみもんき)・州利即爾(つりそに)両将軍とともに同行したとされる[1]。
前年12月、穂積押山は百済への「任那四県割譲」問題で大連大伴金村の賛同を得て、四県への百済の進出を許している[2]。さらに、大和政権は段楊爾来日の同年11月に己汶(こもん)・帯沙(たさ)を百済に賜与している[3]。これらに対する返礼の結果として段楊爾の来日が実現しており、帰化ではなく、貢上・交替制度であったところに特色がある。また、高句麗や新羅に対抗する百済の外交政策のひとつであったともとれる。
西暦516年、継体天皇10年の9月に、百済からの要請により、漢高安茂と交替させられて、帰国している[4]。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E6%25AE%25B5%25E6%25A5%258A%25E7%2588%25BE
つまり東漢氏の中で腹とみなされていた七姓の漢人自体は、段姓、そして上記の高安茂の高姓・・といった百済に流れ込んでいたであろう漢人集団であったと考えるべきですが、またその皀姓と皀郭姓ですね、これが興味深いのは、サイカ、サカイといった発音だった可能性があることです。
皀 象形。食器に盛られた食物の象形で、穀物のよい香りの意味を表す。『説文(せつもん)解字』では、会意で、白+ヒ。白はもみ殻の中の米の象形、ヒは、それをすくうさじの象形とする。(新漢語林より)
皀(さいかち)
→「皀」を使う名字は全国で、これ一種のようです。
皀郭(きゅうかく)、皀莢(さいかち)、皀角(さいかち)。
(新漢語林より) /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fnozomi.a.la9.jp%2Fkaijitbl139.htm
この皀郭姓については、 坂合部首、佐大首の祖。であり、皀姓は 大和国宇太郡佐波多村主、長幡部の祖。ですから、皀郭(サイカク・サイカチ)が、坂合(サカイ)、佐大(サダイ)となり、また皀も佐波多(サハタ)村主(スグリ)、長幡部(ナガハタ+ベ)となるのですから、この集団の元の名は、「サカ(タ)+(イ)」の可能性がありますよね。
サカイというと、サカ族の語音となり、ソグド地方の遊牧民のそれと重なるあたりが、気になるところですが、また細かいことは後日に・・。
Re: 陝西省の歴史賈湖遺跡(Jiahu, 7000 BC〜5700 BC)の集団は陝西出自。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011581M.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/ 賈湖契刻文字
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
豊饒の海に消えたオホーツク人とは
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011582M.jpg
流氷と共にやって来た謎の民族
アイヌ人が広く北海道に定住する以前の5〜13世紀頃、サハリン南部から北海道北岸、
南千島のオホーツク海岸部に栄えた海洋狩猟民の文化が有った。
大正2年、在野の学者であった米村喜男衛氏が、網走の河口岸の断崖でふと目にした貝塚(モヨロ貝塚)が、オホーツク文化として日本考古学史上に現れる端緒である。この発見は当時、世界的にも注目され、作家の司馬遼太郎も米村氏を、トロイの遺跡を発掘したシュリーマンになぞらえた程であった。
それにより、オホーツクの豊かな海の恵みを受け、高い航海技術と海獣狩猟や漁場の技を
持っていたオホーツク人の存在が明らかになったのである。
オホーツク人は何処から来て何処へ去ったのか。アイヌのコロボックル伝説はオホーツク人のことなのか。
古代人が残した爪痕は、訪れる者を果てしない想像の世界へと駆り立てずにはおかない。
「世界古代文明の謎を探る」(52)「豊饒の海に消えたオホーツク人とは」
主 催 アストライアの会 協 力 日本セカンドライフ協会
ゲスト 高橋 健 横浜ユーラシア文化館学芸員
日 時 令和3年7月6日(火)午後2時から5時
会 場 としま区民センター会議室401(池袋駅東口)
費 用 お茶代込み参加費二千円
連絡先 TEL049(258)3218 松原まで
備 考 後半はゲストを交えたお茶会です。
Re: 北の渡来人と西の渡来人
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https://ja.wikipedia.org/wiki/ 衛温
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: わがMT-haplo G3a2aの原郷
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シマオゥさんへのお返事です。
> ボケ老人のウリジナルは海を越える、、、か。笑
>わがMT-haplo G3a2aの原郷
>1. 旧石器時代晩期韓国江原道淵堂洞窟ーG3a
>2. 西北モンゴルの後期青銅器時代フブスグル遺跡ーG3a
>3. 青海省北東部金蝉口遺跡ーG3a2
>4. 朝鮮半島ーG3a2aが見られる(現代人)。
>5. ロシア沿海地方ウデヘーG3a2-a*が見られる(同)。
>6. 南シベリア・中央アジアーG3aが比較的多い(同)。ウイグルにG3a2-a*が、ウイグルにG3a2aが見られる(同)。
>7. 新疆ハミ市石人子遺跡ーG3b。現代チベット人にG3b、G3a1が多い。
ウリジナルは海を越えるの、日本は南から北への移動がある、
この移動は紀元前1から紀元後2世紀ものだ。檀石槐の一族の領地
3. 青海省北東部金蝉口遺跡ーG3a2 女王国
4. 朝鮮半島ーG3a2aが見られる(現代人)+日本。東女王国
檀石槐の一族の領地(>1.から>7.)
檀石槐は自らの領有する土地を東・中・西の三部に分けた。右北平から東方は遼東の夫余や濊貊(わいはく)と接するあたりまでの20余邑を東部、右北平から西の上谷に至るまでの10余邑を中部、上谷から西方の敦煌,烏孫に至るまでの20余邑を西部とし、各大人を置いて統領させた。
よく、見つけたな。檀石槐の孫が美和(卑弥呼と誤訳する)、魏誌倭人伝の女王(アマテラス)なの・・・
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: わがMT-haplo G3a2aの原郷: "我がモヨロ人(オホーツク人)"ではなかった!笑
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011592M.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/ モヨロ貝塚
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 日本のO-F438の原郷と「父系出自集団に基づく騎馬民族的社会」
シマオゥさんへのお返事です。
なかなか体調悪く、読み込めてない感じですが、お返事、情報ありがとうございます。
>
> 4. 朝鮮半島
> (1) 新羅ーM117が多い。
> (2) 加羅ー金海金氏がF438(F438*を含む)。
>
> 加羅には注目している。
> KAYAやKARA/KALAが江上波夫が言うように「父系出自集団に基づく騎馬民族的社会」を象徴するものであるならば、牛河梁遺跡の「時の統率者」O-F8や「戦闘的雰囲気」が濃厚なSHIMAO遺跡のF438がその中枢にいた可能性が非常に高い。
>
> なお、牛河梁遺跡のF8のサブグループは不明であるが、古人骨の紀元前3000年頃という年代から、ちょうどそのときに起源したSHIMAOのF438-MF15397(漢族に多いサブグループ)である可能性がある。
>
F438の極東への動きも興味深いですね・・。
> 李基文は本例を日本語の「to(戸・門)」や満州語の「duka」と結び付け、高句麗語ら夫余系言語の影響を示唆している。
>
そうですね、加羅方面へは扶余系の集団の影響強いと思います。ただ、その南下自体は、弥生時代後期あたりではないでしょうか。
> その他では、『三国史記』の加羅地域の地名表記から加羅語を再構する試みも行われている。李基文は、「玄驍県、本推良火県。一云三良火。」(巻34)から「推」の訓「mir」に基づき数詞「mir(三)」を、「漆隄県、本漆吐県。」(同)から普通名詞「to(堤)」を、それぞれ再構し、前者については高句麗語及び日本語と、後者については高句麗語と、それぞれ結び付けることができるのではないかと指摘している。
>
日本語の数詞は、高句麗祖語と扶余系でしょうか、明らかな関係がありますね。。
>
> 江上波夫. 騎馬民族国家 日本古代史へのアプローチ引用
> ウカラ・ヤカラ について は、 すでに 岡 氏 の 見解 を 紹介 し た が、 大野 氏 も、「 ウカラ・ヤカラ は、 朝鮮語・満州語・蒙古語・トルコ 語 に、 同源 の 単語 を 見いだし うる。 古代 朝鮮 では、 しきりに 加羅・伽耶 という 語 が 国 の 名 の 下 に つけ られ て いる。 当時 は 国 と いっ ても 氏族 で あり、 その カラ・カヤ は、 日本 の カラ と おなじ 起源 で あっ た と 思わ れる。 満州語 にも ハラ( hara = 一族) という 単語 が あり、 ツングース の ビラル・クマル・ 興安嶺 方言 では、 カラ( kala = 一族) として 現在 用い て おり、 オロチ・ゴルジ・ソロン の 方言 では、 ハラ( xala) の 形 で、 やはり 一族 の 意味 で ある。 満州語 では、 その ハラ は、 その なか の 人々 の あいだ での 結婚 が 禁止 さ れる 一族 の 意味 を もつ。 蒙古語 では ダグール 方言 に、 やはり ハラ( xala = 一族) として 用いる が、 これ は 満州語 からの 借用語 らしい。
> 古い トルコ 語 に カヤ シ( kaya) という 形 が ある が、これ は 朝鮮語 の カヤ と 類似 する 形 で あり、 l という 音 は しばしば y に 転じ 得る ので、 これ も 起源 を 同じく する で あろ う」 と 説い て おら れる。 この よう に、 日本 古代 の 政治・社会組織 において 基本 的 単位 を なし た ところ の、 父系 出自 集団 の 名称 が、 朝鮮語、 ツングース 語、 蒙古語、 トルコ 語 などに 連なる もの が ある と すれ ば、 それ は たんに 言語 上 の 同系 問題 に とどまら ず、 その 政治社会 組織 自体 において 本質的 に 同類 の もの が、 内陸 アジア、 東北 アジア、 朝鮮半島、 日本 にわたって、 ひろく 存在 し た こと を 示唆 する もの で あろ う。 そう し て それ は 騎馬民族 社会 に 普遍的 な 父系 出自 集団 に ほかなら ない。
> 江上波夫. 騎馬民族国家 日本古代史へのアプローチ [改版] (中公新書) (Kindle の位置No.3267-3276).??. Kindle 版.
>
>
興味深いのは、弥生時代ごろは、カヤと表記されていたのに、その後、カラと変わることです。
ここで別の集団が朝鮮半島に流入した可能性を考えているのですが、上記の論説をみていくと、トルコ系?集団がまず先にいて、その後、古墳時代の前後で、ツングース系集団が新たにやってくる、そういう可能性はないでしょうか。
Re: ヤマト王権を作った古墳文化人, 「天孫族」
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011597M.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/ 宝賀寿男
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: ヤマト王権を作った古墳文化人, 「天孫族」
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011599M.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/ 忖度
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: ヤマト王権を作った古墳文化人, 「天孫族」,宝賀説ー「天孫族」とは長城地帯がルーツのO-F438を中核とした、朝鮮半島から渡来したO2(旧O3), C2, O1b2の民だった!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011602M.jpg
シマオゥさんへのお返事です。
>??キシさんと一緒にきちんと成仏しなはれ...
キシさんの現住所は、極楽だろう、
青面金剛は、コロナだろう、
秦野は、行いが悪いので、現状維持なんですな、
シマオゥさんは、現世で忖度修行ですな、
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 古代日本の「天孫族」は「炎黄子孫」ということ: 遺伝人類学的に見た「炎黄子孫」
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011606M.jpg
https://ja.wiktionary.org/wiki/ 炎黄子?
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 古代日本の「天孫族」は「炎黄子孫」ということ: 遺伝人類学的に見た「炎黄子孫」
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011608M.jpg
https://kotobank.jp/word/ 天人-102647
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
Re: 古代日本の「天孫族」は「炎黄子孫」ということ。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011610M.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/ 天神
https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos
弥生人・渡来人とO-F438系統
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011611M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011611_2M.png
https://www.yfull.com/tree/O/
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