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歴史掲示板

10861管理人:2021/05/21(金) 23:48:11
Re: オホーツク人研究の発展
シマオゥさんへのお返事です。

オホーツク人の研究史お知らせありがとうございます!


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> 1974年
> モヨロ貝塚などの人骨を総合的に分析した結果、もっとも類似した関係にあるのがアムール・サハリン地方の諸集団で、その中でもウリチ人が最も近いとされた(山口敏)。
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> アイヌの精神文化との関係1 クマの牙偶
> 胴部に観察される腹帯がサハリン・アイヌのクマ送り儀礼のものと酷似しており、アイヌ文化の精神世界はオホーツク文化からの強い影響を受けている(渡辺仁)。
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なるほどですね・・・。



> 1975年 山丹人との関係
> アムール河流域の黒水靺鞨が直接にサハリンから北海道に移住したとされたさらに、アムール河流域の黒水靺鞨はウリチ人であり、彼らの子孫が後に山丹として山丹交易を担ったとされた(加藤晋平、大塚和義)。
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> 1976年
> 土器、石製品、鉄製品、青銅・銅製品、ブタ、イヌの飼育、仰臥屈葬、木棺墓などにより、オホーツク文化は黒水靺鞨文化を主体としながらも、その前後の文化との類似性も強く認められる。その一方で住居形態や墓制など社会の基本形態の違いが大きいことを重視すると、靺鞨文化や女真文化の直接的な波及はなかった。オホーツク文化の担い手については、中国唐代の『通典』などに登場する「流鬼」すなわちニヴフが該当する(菊池俊彦)。
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> →こうして、オホーツク文化の成立過程については、北海道の在地文化の影響を受けながらも、基本的には大陸にルーツを持ち、サハリンで成立、北海道に南下したということに一応落ち着いた。
>

ふむふむ。



> 1981年 北アジア人としてのオホーツク人
> オホーツク人の信仰
> 牙製女性像の衣装には鈴や鐸、帯飾りが付けられており、集団内のシャーマンであり、弁髪を結い、スカートをはき、前かがみで手を組むなどの特徴から、北アジアの古代習俗との結び付きがある(加藤晋平)。
>

牙製女性像ですね・・。


> 1989年 アイヌの精神文化との関係2
> オホーツク文化遺物に集中して登場するクマ、海獣、鳥がアイヌ文化の動物信仰と共通していることから、オホーツク文化の信仰はアイヌ文化に受け継げられた(宇田川洋)
>

アイヌ神話には、思うに、動物などを主体としたシリーズと、それとは別のヤタカラス神話によく似た西方遊牧民・中東系のそれとがあるように感じてます。前者がオホーツク人の影響で入ってきた可能性ありですね・・。


> 1990年
> 年代譜が明らかにされた。
> プレ期 3ー4世紀
> 前期・後期 5ー9世紀
> 終焉期 9ー12世紀
>

7世紀の阿部の遠征に出てくる粛慎でしょうね。石狩川より西の道東に本拠をもっていたはず。



> 1994年
> 目梨泊遺跡の墓の副葬品として鉄刀類や鉄鉾、曲手刀子、耳飾りなどの組み合わせがモヨロ遺跡と類似するとともに、帯金具はアムール河中流域の靺鞨文化のものと類似しており、大陸文化の強い影響がある。一方で、両遺跡とも本州文化からの渡来品である蕨手刀が見られ、南北交易の拠点であった。


思うに、その帯金具などの金属精錬技術の確保あるいは輸入が、西方遊牧民や中東系の集団から取りいれたものでしょう。

ステップルートで遼東や沿海州周辺で交易していた集団から、オホーツク人が取り込んでいって、それに付随して、中東・西方系の神話なども、アイヌ神話の原型に導入されていったのかな??






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