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156佐藤公則:2025/05/28(水) 10:09:48
 徹底して身体を、そして生命を辿っていきますと、細胞に、さらに辿ると物質に突き当たりますから、否応なく宗教的にならざるを得ないのだと思います。つまり神秘ですね。現在の段階では、突き詰めていくと、そうなると思います。三木さんが幾ばくか学者の世界で傍流として遇されたのは、科学と宗教の境界の所まで考えを詰めたからだという気がします。ですからnishiyanさんが「宗教イメージにも通じるやわらかな人間観」と評するのも、あり得ないことではないという気もします。実際三木さんが、「おもかげ」を多用して論ずるくだりなどは、ちょっと危なく感じました。ですからまったくそういう所が、宗教的要素が、ないとは言えないとは思います。ですがやはり解剖学者ですから、著述の方は徹底的に論理的だという印象をぼくは持っています。それを超えたところですね、それを超える先があって、そこでは宗教的なところを許容しなければならない。そういう「やわらかさ」、それは持っていたように思います。

 もうひと言だけ付け加えますと、安藤と三木さん、それに養老さんも加えて考えたときに、ぼくは共通するのは頭の働きに対する危惧だと思っています。実に人間的な本質のところで、人間性という言い方も含めて、三者三様に、危ないもんだよと警告を発しているような気がしています。よいと考えること、理想とするところを考えると言うことは、文明が不可逆に進むように、人間にとっては単に不可避であって、結果的によいことかどうかは分からないことだ。そう言っている気がします。現に社会はよくなっているどころか、生きづらさが増して全体としては悪くなる一方ではないかと。これに関して言うと、他方、吉本さんが全幻想領域という、登る峰を別にして、登って行ったわけです。ぼくからすれば三人は深入りするなと言っているように思えますし、一方吉本さんは解明に向かって突き進むという方向性だったと思えます。三人は人間の考えを信じるなと言うことを考えていたし、吉本さんは、考えろ、だがすべてを疑えという考えだったと思います。ぼくはここでハタと立ち止まってしまいます。もちろんどちらも人間や人間社会の理想を念頭に置いて言っていることは間違いないと思います。その意味では同じとも言えましょう。
 ぼくとしては、nishiyanさんもこういう所は視野に置かれているだろうという気はしています。そしてそれを上手く処理できているよということであれば、そこの所を伺ってみたいなと思います。
 ずいぶん長々と書いてしまいました。ただ長いだけのとりとめのない文章になってしまったかも知れませんが、ご容赦ください。では、今日はこれで失礼します。

157nishiyan:2025/06/04(水) 11:44:28
https://i.postimg.cc/gkQCMLTB/mizusi015.jpg


水詩(みずし)  #15
 
地面に杖を差さない
神の言葉にすがらない
今や水はどこにでも流れ出す
(ほらネット空間にも流れている)
 
註.画像は、ネットの水のフリー素材より。

158佐藤公則:2025/06/04(水) 16:51:05
nishiyanさんへ

 「水詩(みずし)#15」の投稿ありがとうございます。
 東北宮城は今日からグンと気温が上がりそうです。お互いに気をつけていきましょう。
 それから、野球の長嶋茂雄さんが亡くなりましたね。子どもの頃はファンでした。当たり前のことですが、
 そういう人たちが次々と亡くなっていきますね。そんなに願ってもないですが、いつまでも健康でいましょう。

159nishiyan:2025/06/18(水) 21:20:34
 佐藤さんへ

佐藤さんの三木成夫らへのとまどいが何なのか、ぼくには興味深く思われたので、先のやりとりになりましたが、ぼくの一区切りとしてもう一回書いてみます。
 
ぼくの『吉本さんのおくりもの』の「20.ぜひこれだけは ―吉本さんの語った言葉から」に五十代の時の吉本さんの講演の質疑応答時の言葉を引用しています。引用の1.番目です。( ht★tps://ameblo.jp/okdream01/entry-12725622126.html ) この吉本さんの言葉に出会った時、ちょっと意外な印象を持ちました。いつもの論理的な吉本さんじゃないなあという印象でした。しかし、晩年の、お猿さんから分かれてきた時から人間をちゃんと捉えないと、ある人間的な問題を解く場合に間違うような気がするという吉本さんの言葉とも関連しているように、最近のぼくは思っています。人間は外界の変化に対応する柔軟性は持っていると思いますが、本質的な根っこの部分はあんまり変わらないのじゃないかと思っています。

そうは言っても、大ざっぱな理解ですが、生命体の発生から水棲段階へそして上陸して陸棲段階、そこからまた人間へと、途方もない時間の中で、大変動をいくつも潜り抜けてきています。そのことは原初の〈人間〉にも刻印されているはずですし、吉本さんの『母型論』によれば赤ちゃんが胎内生活での母からの刻印を受けてこの世界を歩き出すように、刻印された人間の道を歩いて行くのじゃないかなと、ぼくは漠然と思っています。その受けた刻印は、途方もない時間の中での生命体としての刻印と、人間になった以降の誕生時の刻印と二重に考えられるのじゃないかと思いますが、現在の段階では、後者(これがお猿さん以降に対応するのかなと見ています。)を主要なものと考えれば良さそうに思います。

そこで、人間の根っこの本質的な有り様を繰り込みながら、この世界の動向や自分の進路を見定めれるほかないのじゃないかと思っています。これと関連して、ぼくの人間認識の根幹のようなものを挙げてみると以下のようになります。

160nishiyan:2025/06/18(水) 21:21:57
1.人間は動植物と同じく自然に日々を生きるという、生の無意識性のようなものを持っているのではないかと思っています。
2.動植物と大きく違うのは、突き詰めて、内省する、頭で考える―感じ考え判断するようなことは動植物にもありそうに思いますが―ことばの人であるということだと思います。
3.人の大事なものは、心臓辺りにあった歴史の段階から、近代以降現在では脳に中心があるようになってきています。こうした状況は避けられないものだと考えています。もちろん、脳中心、脳化社会はさらに高度化していくと思いますが、脳と心との折り合いや調和の問題は、人類が生き延びている限り、人類史的な課題として何度か俎上にのるはずです。そうして、軌道修正などしながら進むだろうと考えています。そのことは、人間以前の大変動の経験とも連続性を持っているような気がします。
 
最初の吉本さんの言葉に戻ると、吉本さんの「人間とは、そういうものなんだよ、」や「つまり役に立たんことを、あるいは本当の意味で誰が聞いてくれるわけでもないし、誰がそれを信じてくれるわけでもないし、どこに同志がいるわけでもないし、だけど死ぬまでは一歩でも先へすすんでという、・・・・・・ものすごく人間は悲しいねえーという感じがぼくはしますね。人間とは、そういう存在じゃないんでしょうか。そういう存在じゃないんだろうかということが、親鸞に「唯信鈔文意」とか「自力他力事」とかを書き写しちゃ弟子たちに送るみたいなことをさせたモチーフじゃないでしょうか。それがぼくの理解です。」の言葉は、この世界での人間の有り様に深く触れているような気がします。つまり、わたしたちがそれぞれどう思いどう考えどう振る舞おうと自由だけど、それを超えたところでいわば〈関係の絶対性〉のようにわたしたち人間存在を深く規定しているものとして、人間はそうできている、という吉本さんの言葉はあるように思います。
 
もちろん、一方には人間がこの世界で生きる意味や目的というものを考えるような言葉も存在してきたし今も存在しているわけですが、それらはほんとうの有り様からすれば作り物めいているように思います。人はどんな考えを思いつくのも自由だし、実際そんな自由さからの考えや言葉も世の中にありふれています。しかし、人間本質の有り様を潜り抜けた言葉じゃないと、人類史レベルでのほんとうに生きている言葉にはなれないのじゃないかと思っています。
 
ぼくがよくわかっていない部分もあって、すっきりとしたわかりやすい文章になっていないと思いますが、取りあえずぼくの方からのひとつの締めくくりとしたいと思い書いてみました。
佐藤さんの更新と近況の「2025年6月12日」の最後の二段落は上に引用した吉本さんの言葉とも響き合うのではないかと思います。

161佐藤公則:2025/06/19(木) 11:27:27
nishiyanさんへ

 丁寧にお話していただき、ありがとうございます。深い内容ですが、ぼくにも分かるような書き方をしてくださって助かります。
 一読しての反応ですが、やっぱり似たような所を考えていらっしゃるなあと思いました。
 今回のお話の2番目の2として、「ことばの人」というnishiyanさんの表現がありました。この表現をお借りして言えば、前にも述べたぼくの躊躇や停滞というものは、ことばを
信じる人か信じない人かの一点に尽きるという気がしました。自省的に言うと、いつもそこで立ち止まっちゃうなあと言う気がしています。
 信じるも何もすでに持っちゃっていますから、意味のない問いであり反省ですが、でも引っかかってしまいます。普通一般には信じるより仕方ないことでしょうし、ちょっとまあ
おかしなこだわりと言えばおかしなこだわりなのだと思います。でもなんか、疑問符です。
 たぶんこれは自分以外にはどうでもよい問題で、意味ない問題だと思います。ただ自分では、いつか自分の中で決着をつけなければいけない思っていて、手放せない問
題と言うようには考えているところです。
 こうした自分の考えの点でも刺激を受け取ることが出来るお話でした。心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
 また何かのご意見やご指摘などいただければ幸いです。今日の所はこれで失礼いたします。

162nishiyan:2025/07/03(木) 11:46:04
https://i.postimg.cc/SQvz77HJ/mizusi0016.jpg


水詩(みずし)  #16
 
水は人の命に関わる切実さがあり
人の身の内も流れ巡っている
人世界で荷を解(ほど)いた水は
水の神 禊(みそ)ぎ 水に流す 水割り 水遊び・・・
 

註.画像は、ネットの水のフリー素材より。

163佐藤公則:2025/07/03(木) 12:09:59
 「水詩(みずし) #16」の投稿ありがとうございます。

 今年は梅雨がないような天候で、一足飛びに夏が来ている感じです。
 蒸し暑くもあり、体温調整、こまめな水分補給など気をつけたいところです。
 nishiyanさんも今夏も乗り越えるべくご自愛ください。
 では、失礼いたします。

164nishiyan:2025/08/04(月) 15:46:08
https://i.postimg.cc/TYGyqyKs/mizusi0017.jpg


水詩(みずし)  #17
 
川で水遊びしていた少年の頃
きらきらした水面
が目の奥に残っている



佐藤さんへ

異例の感じで暑い日々が続いていますが、
なんとかしのいで居られるようですね。
こちらは、10日以上と思いますが、晴天続きでしたが、
今日やっと雨が降りました。助かりました。
予報では今週は雨曇りのようです。

165佐藤公則:2025/08/05(火) 13:54:20
nishiyanさんへ

 「水詩(みずし) #17」の投稿ありがとうございます。

 キラキラした水面は夏の定番でしたが、最近は直で見る機会も少なくなりました。
 車で少し走るとダムがあり、公園にもなっていて、時々ドライブがてらで行きました。
雨が多い年は水面も高く、風のある時の方がキラキラ光っていました。

 西の方から天気が崩れ、少し遅れてこちらも雨が降る見込みです。物価高の折なので、
ついつい農作物の順調な生育を願ってしまいます。しかし、改めて農家の人たちは大変だ
なあと思いますね。明日からは仙台七夕祭り、短冊には豊作祈願の文字ですかね。


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