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159
:
nishiyan
:2025/06/18(水) 21:20:34
佐藤さんへ
佐藤さんの三木成夫らへのとまどいが何なのか、ぼくには興味深く思われたので、先のやりとりになりましたが、ぼくの一区切りとしてもう一回書いてみます。
ぼくの『吉本さんのおくりもの』の「20.ぜひこれだけは ―吉本さんの語った言葉から」に五十代の時の吉本さんの講演の質疑応答時の言葉を引用しています。引用の1.番目です。( ht★tps://ameblo.jp/okdream01/entry-12725622126.html ) この吉本さんの言葉に出会った時、ちょっと意外な印象を持ちました。いつもの論理的な吉本さんじゃないなあという印象でした。しかし、晩年の、お猿さんから分かれてきた時から人間をちゃんと捉えないと、ある人間的な問題を解く場合に間違うような気がするという吉本さんの言葉とも関連しているように、最近のぼくは思っています。人間は外界の変化に対応する柔軟性は持っていると思いますが、本質的な根っこの部分はあんまり変わらないのじゃないかと思っています。
そうは言っても、大ざっぱな理解ですが、生命体の発生から水棲段階へそして上陸して陸棲段階、そこからまた人間へと、途方もない時間の中で、大変動をいくつも潜り抜けてきています。そのことは原初の〈人間〉にも刻印されているはずですし、吉本さんの『母型論』によれば赤ちゃんが胎内生活での母からの刻印を受けてこの世界を歩き出すように、刻印された人間の道を歩いて行くのじゃないかなと、ぼくは漠然と思っています。その受けた刻印は、途方もない時間の中での生命体としての刻印と、人間になった以降の誕生時の刻印と二重に考えられるのじゃないかと思いますが、現在の段階では、後者(これがお猿さん以降に対応するのかなと見ています。)を主要なものと考えれば良さそうに思います。
そこで、人間の根っこの本質的な有り様を繰り込みながら、この世界の動向や自分の進路を見定めれるほかないのじゃないかと思っています。これと関連して、ぼくの人間認識の根幹のようなものを挙げてみると以下のようになります。
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